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体現者


話題:歴史



最近は歴史ブログと化してます。
今日も飽きずに歴史記事で…
てか、この話題書き…私物化して良いですか?(笑)



安倍川沿いで足利軍との戦い。
水辺への誘い込みに成功した楠木軍。一気に襲い掛かります。慌てた足利軍は逃げようとして、橋に殺到。

その瞬間、なんと橋が崩れ落ちたのです。楠木軍が用意周到、橋が崩れるよう万事細工を施していました。

パニックの足利軍。鎧を身に着けて川の中へ。溺れるのが普通でしょう。
勿論、楠木軍は大歓声!
そんな中、一人の武将が声を上げます。
「味方が溺れている。助け出せ!」

楠木軍の兵士は、
「溺れてるのは敵兵です」
「我々に刃向かわない者が何故敵なのだ!早く助け出せ!」
楠木軍は溺れる足利兵を救出します。
助けられた兵士の多くが、次の戦いでは楠木に参加したと言います。


この武将の名は楠木正行(クスノキマサツラ)。あの偉大な父親・正成の息子である。
正成に関しては語る必要も無いでしょう。日本史が好き人間ならば、間違いなく知っている一人のはずです。
歴史上最大級のスターの一人です。

時を経て幕末では、禁門の変。真木和泉は紛糾する軍議の席で、
「朝廷に攻め入る形が足利尊氏でも、心が楠木正成ならば良いではないか」
そう語り、長州藩の腹は固まったとも言われています。


そんな偉大な父親とともに戦い、湊川の戦いで敗れます。
最後の出陣になるであろう四條畷の戦いの前、
「かへらじと かねて思へば梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる」

との辞世の句を奉納し決戦の地へ。利無く敗れ去り自刃。
父親正成を「大楠公」、対して正行は「小楠公」と讃えられています。


武士道の体現者は何時も私の心に住み着いてしまいます。
私も彼らの10分の1で良い、威風堂々と生きてみたいものです!
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