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生存報告


話題:挨拶

更新連発後に放置してしまいました。すいません。

コメ返しを含め再起動はもう2・3日先になります。今日も昼夜連勤です。

ほとんどワーカーホリックと化してます。

首脳会談


話題:一般ニュース

日米韓で首脳会談を行い、日韓の歴史問題には触れないとの事。

ネタ元↓
dailynews.yahoo.co.jp


米国首脳の前で大いに議論すれば良いのに!そうすればクネクネ以下、韓国の異常さが米国にも伝わるはず。

その時は安倍首相に徹底的にやっつけて来て欲しいですね。もう土下座外交などやめにしましょう!

まさかの.....


話題:ランキング



ランキングを覗いてみたらなんとニュース・時事部門で2位となっていました。今までは三位が最高だったのでビックリです。

これも、皆様のお陰です。ありがとうございます。

あんまり気にし過ぎると自分らしさがなくなるので、ちょっと見る程度にしておきます。

しかし、ここの所は読者が増えたりランキングが上がったりと嬉しい事が続きました。


さて、夜勤明け!祝杯をあげたい気分なんですが、これから引っ越しです。
あーぁ、また連勤だ。疲れます。

主観で対決2


話題:歴史


前回に続き歴史記事です。しかも、以前やった主観で対決の第2回です。最近、歴史記事をやると勝手にシリーズ化しています。(汗)





今回は裏切り者対決です。
エントリーナンバー1
小早川秀秋
あの関ヶ原で三成率いる西軍を裏切り、家康天下の立役者と言えます。その後はほとんどノイローゼとなり、若くして死去。ある意味、似合いの末路ですね。

エントリーナンバー2
明智光秀
株式会社 織田カンパニーの出世頭として活躍するも、一時の気の迷いでクーデター決行。信長を倒すことは出来ましたが、新進気鋭のライバル秀吉に討伐され僅か7日の天下で終わりました。裏切りをしたとは言え、雌雄を決する戦いが出来たのは武士として本望?

エントリーナンバー3
小山田信茂
ボロボロ状態の武田勝頼に自分の城に来るように勧誘。しかし、この時既に信長に寝返っており、近づく勝頼を襲撃。最早これまでと勝頼は自刃。裏切り者だらけの武田家臣団を代表してのエントリー。
最期は信長に拝謁もならずに処刑。

エントリーナンバー4
前田利家
賤ヶ岳の合戦において柴田勝家軍として参戦。ところが、勝手に退却をします。これが原因で勝家方は秀吉軍にやぶれ、やむなく北ノ庄城に退却。天晴れな最期を遂げます。
退却の途中に利家と会った勝家は一言の恨み言さえ残さずに、なんと利家を激励!器の大きさを見せました。
その後、秀吉に仕え5大老に就任。加賀100石の礎を築きました。



以上4名がエントリーしました。


私の主観では先ずは光秀が落選。気の迷いとは言え自分で天下を狙っての敗北。そんなに悪くないでしょう。

続いて小早川秀秋も落選ですね。朝鮮出兵の際、三成は配慮が無さすぎ!恨まれても仕方ありません。

決勝は小山田信茂対前田利家。
ボロボロの勝頼にとどめを刺す卑劣さも許せませんが、最期は哀れ!それに比べると何故か評価の高い利家。

個人的にはこんな裏切り者が高評価を受けるなど許せません。よって、戦国一の裏切り者に前田利家を認定したいと思います。

もちろん、これは私ひっけらーの独断と偏見です。

皆さんはどう思われますか?


切腹


話題:歴史



武士が志半ばで切腹していく。そんな場面は歴史の中でも数々ある。今日は壮絶な切腹を紹介したいです。



先ずは幕末の土佐藩士、武市半平太である。
二年に及ぶ投獄生活の後、藩主山内容堂により切腹を言い渡されます。勤皇の志士として無念さを見せつける切腹をします。
なんと腹を三文字に切り裂き、無念と意地を表しました。
生きて明治を迎えていたならば、維新三傑に並ぶ活躍をした事でしょう。



もう一人は仁科盛信。この人物については私が語るよりも下記にアクセス願いたい。

mblg.tv

滅び行く武田家の武勇を示した忠臣である。
彼もまた己の信ずる道を行き、見事な最期を遂げます。
高遠城が落とされる時、なんと十文字に切腹して武田の意地を見せつけるのです。


自殺が誉められる行為だとは思いませんが、武士道が大切だった時代、こんなにも壮絶な男達がいたのです。

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