「ただいま帰りました」
陽が間もなく沈む頃、俄雨は帰るべき部屋の扉を開けた。
橙色の陽の光が差し込むリビングが玄関から見える。
ついこの間まではこの時間でもまだここまで陽は傾いていなかったはずなのに、この時期になると陽が沈むのは本当に早いと思う。
脱いだ靴を揃えてから、ふと、違和感に気づく。同時、妙に静かな室内に俄雨は首を傾げた。
この部屋にはもう一人、同居している自分の憧れの人がいる。
いつもなら自分が帰ってくれば「お帰り」と温かい笑顔で迎えてくれるその人が今日はなかなか来ない。
今日は表の仕事も隠の仕事もないし、久しぶりに家でのんびりするよと言っていたから、確かに彼はこの部屋にいるはずなのだが。
「雷光さん?」
名前を呼びながらリビングに入って、俄雨は慌てて両手で自分の口を塞いだ。
リビングの小さなテーブルに突っ伏すようにして、心地良さそうにうたた寝をしている雷光がいたからだ。
読んでいる最中に眠ってしまったのか、雑誌が顔の下敷きになっている。
自分が部屋に入ってきても気付かない程熟睡している彼は、よほど疲れていたのだろうか。
「そういえば、ここ最近任務続きだったなあ……」
任務の為に遠出をしたこともあった。休む間など、殆どなかったはず。
それを考えると、ここまで無防備に彼が熟睡してしまうのも仕方のないことだろう。俄雨は微笑を浮かべてから、慌てて隣の部屋から毛布を一枚持ってきた。さすがに、この時期は部屋の中にいてもかなり冷える。
眠る雷光の背中に毛布を掛けてやって、これでひとまず大切な人が風邪を拗らせる可能性は低くなっただろうと安堵する。
普段ならここまですれば確実に目覚めるだろう雷光だが、それでも規則正しい寝息が聞こえてくるのみ。
顔を覗き込んでみれば、完全に安心しきった表情で眠り込んでいる。
もしここで敵が襲ってきたりしたら、彼は目を覚ますのだろうか。
そんなことを考えながら、俄雨は雷光の髪に手を伸ばしていた。
さらりと指の間から零れ落ちていく桃色の髪から、微かに感じるシャンプーの香り。このまま顔を近づけていたら、自分が何をしでかすかわからなくなってしまいそうだ。
そう頭ではわかっているのに、体はどうして言うことをきかないのだろう。
今なら、何をしても彼にはわからない
そんな考えが頭をよぎって、それが自分にとって善か悪かを判断する前に体が動いてしまった。
顔を近づける。一瞬だけ、自分の唇と彼の唇が触れた。
「――っ…!!」
そこまでしてようやく自分が何を考えていたのか自覚して、俄雨は慌てて雷光から飛び退いた。
先程自分がした行為に気づくことなく雷光は変わらず寝息を立てているが、それを少し離れたところで見つめる自分の心臓がどくどくと強く、早く鼓動してるのがわかる。
「ぼ、僕は何をやってるんだ…雷光さんの寝込みを襲うなんて最低なこと…!」
先程の考えがよくないことだと今だったらよくわかるのに、何であんなことをしてしまったのだろう。
一人葛藤していると、今まで微塵も動かなかった雷光がもぞもぞと動き始めた。小さく唸ってから、ゆっくりと目を開ける。
「……俄雨…?」
「ら、雷光さん…!?」
さっきのキスで起こしてしまったのだろうか。
とても申し訳ないことをしたと思いながら、目覚めた雷光にどう反応したらいいかわからず俄雨はただ慌てふためいてしまう。
心臓がさっきから全然大人しくならない。顔もきっと、いや絶対真っ赤に違いない。
この静かな部屋だ、鼓動が聞こえてしまいそうで俄雨は自分の左胸をぎゅっと抑える。顔も俯いて見られないようにする。
そんな俄雨の様子を見て、体を起こした雷光は小さく小首を傾げた。「どうしたんだい?」と言い掛けたと同時、雷光の肩に掛っていた毛布がばさりと落ちた。
落ちた毛布を拾い上げて、雷光は再度小首を傾げてから何かを思いついたように口を開いた。
「…これ、俄雨がかけてくれたのかい?」
「え、あ、はい…!風邪をひかれるといけないと思って…」
「全然気付かなかった…相当深く眠ってしまっていたようだね。ありがとう」
いつも通りの穏やかな笑みを浮かべて、雷光は毛布を先程と同じように肩に羽織った。それからまた、眠そうに大きく欠伸をしてテーブルに体を傾ける。
「また眠るんですか?」
「ん…夕飯が出来たら、起こして…」
最後まで言い切る前に、また規則正しい寝息が聞こえてくる。
自分を前にして、なんてこの人は無防備なんだろうと毎度思ってしまう。さっきのように愛しいあまり気持ちが暴走して、何をしてしまうか本当にわからないのに。
いつの間にか大人しくなっていた左胸から手を離して、俄雨はもう一度雷光に近づく。雷光の表情が先ほどのようにうまく確認できなくて、そこで初めて部屋が暗くなり始めていることに気づいた。
「いけない、早く夕飯作らないと…!」
慌てて立ち上がると同時、雷光の肩から毛布が少し落ちてしまっているのに気がついた。
起こさないように静かに掛け直してやると、少し身じろいでからまた寝息を立てる。
「…好きです、雷光さん」
静かな部屋に、彼を起こさないように、小さな声が響いた。
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携帯のメモ帳に書きかけで保存してあったので続き書いてうp。
俄光はこんな関係が好きだ!!