数日前からとても涼しくなって快適さを満喫しています。

恐れていた発表は平穏無事に終了しました。
取り立てて、質問もなく、するっと受け入れてもらえました。
頑張って要点を絞った甲斐があったなと思いました。

自分は昨日「目星が付いている」と言いました。
あれは単に、根拠薄弱なのに、私が自らURLを教えたのはその人だけだからというだけで、決めつけてかかろうとしていた、たったそれだけのことだったような気がしてきています。
その人が荒らしでないのなら、本当に申し訳ないことを考えてしまったし、可能性も極めて低いかと今では思えています。

どうも自分は数日ほど前から、根本がむしゃくしゃしているようなのです。
それで考えがそういう方向へ行くのでしょう。

記憶にある限りでは初めて「文才が無い」と言われ、納得がいきません。
腑に落ちません。
だからといって文才があると言い張ることもできず、これはまたも幻影との戦い…苦笑

文才とは何か。
定義することは難しいですね。
私が勝手に、実情に近い風に定義づけてみようと思うのですが、「その人(読み手、そして書き手)が望む通りのことを、文章によって提示し、明快に理解・受容させることができる」ことかと思います。
望むことは個人によって大幅に違いますから、誰をして文才ある人の頂点とするかは難しいし、不可能に近いと思います。
それぞれが分かりやすく、丁寧で、需要があればおもしろい文章を書こうと努め、相手がそれを受け入れ享有するということは可能でしょうけど。
一般的に広く、これこそが文才であるといえるようなものは、無さそうに思います。
それを極めようとしていた時期も無かったとは言えないのですが……。

ある人にとって硬い難文でも、ある人にとっては絶妙なる真理かもしれないし…
ある人にとっては馬鹿げていても、またある人にとっては癒しと楽しみを与えてくれるのかもしれないし……
話とは、そういうものです。
目安や、望ましい書き方はありますが、これという正解はないように思います。

こういう長文だから文才が無いとさえ言えてしまうかもしれません。

だからやめまして、ぬるい話をしましょう。
非常食の体験をしました。
水で戻せるご飯に、温めていないカレーをかけたものです。

大抵のものはおいしいと思って喜んで食べる私ですが、そのカレーだけは、食べられないとは言えませんけど、ちょっと遠慮したいようなそんなものでした。
しかし、水をかけて一時間半放っておけばそれなりに戻るご飯というのは、技術力の産物だなと思いました。

蝉の声に代わって、夜泣きやバイクの音のする深夜です。
私も、眠らないといけない時間です。
けれども、眠らないので、結局、明日のとっておきの楽しい休日が、潰れて不意になってしまうのです。

と、自虐していますが、これが日課なんだろうかね……
そんな非生産性、早くおさらばしたい。