実はこの話のことを書くのは、もう少し先にしようかと考えていた。いまだ現在進行形で、余震も続いているからだ。
 けれど、先延ばしにしているうちに、後悔する様なことになるのはいいことではないので、私の体験を載せておこうと思う。


 その日、姉のみけーらは久々に平日休みを取っていた。

 当日、彼女は本社へ行く用事があり、ならばついでに代官山のクリスタルショップ「KCジョーンズ」へ行って、クリスタルを買わないかと言う話になった。

 みけは、この春より新しいことを始める計画を立てており、何か彼女のお守りになる様なクリスタルを探そうと考えたのだ。

 そして当日、二人で渋谷にあるみけの会社の本社へ寄り、その足で代官山へ向かった。

 既に2時近かったので、先にランチにしようと、以前から行きたいと考えていた代官山の”EATALY”へ向かい、昼食を取った。風は冷たかったが気持ち良く、食事もとても美味しかった。

 見上げると、澄んだ青空に、黒い雲がかかっている。朝の天気予報はにわか雨があるので傘を持って外出するように、と告げていた。

「やっぱり、雨降るのかね。」

 なんとも不気味な空だったが、雨が降るというし、それ以上は考えなかった。雲が切れると強い太陽の光がまるで刺す様に照らす。不安定なコントラスト。

 食事を終えると、私達二人はいよいよKCジョーンズへ向かった。

 KCジョーンズに入る前に、恐らく同じオーナーさんによるもう一軒のお店、「タリス」に寄った。実は、その時点で既に私は足元に違和感を感じていたが、気にしなかったのだ。

 お店に入るととても綺麗なクリスタル達がキラキラ輝いている。店番の女性が優しい笑顔で出迎えてくれた。その直後だった。

「なんか、揺れてない?」

 みけーらが言った。彼女の感覚は鋭い。注意深く見回すと確かに揺れている。
 しばらくは様子見。大抵ならこれで収まって来る。ところがこの時は違った。
 揺れは収まるどころか次第に大きくなって来る。そして不気味な音がし始めた。

―長周波だ!―

「外へ出よう!」

 姉の声に従い、お店の女性と三人で表へ出た。そこは高台だが、すぐ隣が急な低地に続いていて、目の前の道路はその上に掛かる橋の様な形で通っている。

 私がとっさに思ったのは共振が起こることへの恐怖だった。そして長周波地震は揺れ幅が次第に大きくなる上に長く続く。足元は縦方向に円運動をしていた。
 立っていられず座り込んだ。周りの建物からも人が出て来て”なんだ?なんだ?”と上を見上げていた。目の前を一台のバイクが通ろうとしたが、どうやらハンドルを取られたらしく、立ち止まってしまった。

 しばらくすると揺れが小さくなった。ところが直後に再び大きく振り始めたのだ。

―マジでヤバいかも知れない。―

「あのビル!隣とぶつかってる!」

 みけが叫んだ。見ると7階程ある縦長の古いビルが隣のビルに接触している。この揺れがこのまま続けば完全にアウトだ。後で姉から聞いたが、実はあのビルの窓が、揺れと共に開いたり閉まったりしていたそうだ。少し前に見た、85年に起きたメキシコシティの震災を思い出した。

 正直、恐ろしかった。揺れもそうだが、大地から伝わる容赦のないエネルギーに、ただでさえ最近様々な葛藤を抱えながら何とかバランスを取っていた、私の第2番チャクラ(丹田)と第3番チャクラ(太陽神経叢)が、大ダメージを喰らってしまった。

「怖いよ〜!」

 自分の口から自分でも情けないと思う様な言葉が出た。同時に”何が怖いんだ?死ぬことか?痛みを感じることか?”と自問自答する。ひどく滑稽だ。

 やがて何とか揺れが収まり始めた。みけは、ここにあまり長くはいられないと思ったらしい。
 一度店内に戻ってみると、不思議なことにあれ程揺れたにも関わらず、平然と静かに、微動だにしないクリスタル達がいた。何も落ちなかったし、倒れてもいなかった。

 みけと私はお店の女性にお礼を言って、すぐにそこから出た。ここにいても仕方がない。私達は買い物を中止して代官山の駅へ向かった。
 電車が止まっていることは分かっている。けれど取りあえずは情報をもらう為にも駅へ向かうべきだと姉は考えたらしい。
 しばらくして再び揺れ始めた。足元がうねる。途中、交差点で見た近くのビルから黒い煙。サイレンが鳴り出した。
 見上げると、青空と白い雲を遮る様に、黒々とした雲がかかっていた。
 関東大震災の直前に見られたという、夕立の様な黒い雲のことを思い出し、ついさっき見たあの黒い雲は地震雲だったのでは?と考えた。

―いずれにしてももう遅い。何故気がつかなかったんだろう!―

 代官山駅に隣接するショッピングモールから伸びる吊橋を渡っているところへ、再び強い揺れが襲った。怖い!
 私が動けなくなってしまったので、みけは近くの公園へ連れて行ってくれた。草木の近くなら落ち着くだろうと言って―。
 強い余震は何度も繰り返された。ショッピングモールのシャンデリアが激しく揺れているのが見えた。
 しばらくして、私は何とか立ち上がった。みけは私の、すっかり冷たくなってしまった手をさすってくれていた。
 姉は…ここへ来てたくましかった。早々に歩いて帰る算段をつけていた彼女は、まず渋谷へ向かかおうと言った。
 不安がっていつまでもへたり込んでいても始まらない―。私も歩いて帰る覚悟を決めた。

 渋谷へはさほどしないで辿り着いたが、街に特別被害を受けた様な印象は無かった。
 そして落ち着いて来ると、妹や甥っ子達、両親、友人や大好きな人のことが気になり始め、ツイッターにアクセスしてみる。

 一見平静な渋谷の街。しかし、それでも小さな飲食店等は早々と店じまいをし、歩道には駅へ向かう人の列が続く。

 震源地は何処なのか?マグニチュードは…?

 ケータイをネットに繋げ、情報を取ろうとすると津波情報が全面に。しかし、それでも震源地が宮城県沖であり、マグニチュードが8.8であることは分かった。

 鉄道の情報はやはりわからない。しかし動いてないことは分かりきっている。あちこちでサイレンが鳴っている。火事は起きているのか…?テレビを観ている人達にはしつこいほど流れる情報も、本当に必要な人に届いて来ない。

 それから私達は、渋谷から新宿を目指すことに。とにかく池袋までは帰らなけれはならない。その後のことはその時決めようとみけーらは言う。


 PM2:46頃。妹せっしーは、出向先の都内の某通信系会社で仕事をしていた。

 16階のオフィスでパソコンに向かっていると、突然鳥のさえずりが聞こえて来たという。

「えっ?何?小鳥?」
「ほんとですか?でもここ16階ですよ。」
「そうよね、何故かしら?でものどかねぇ…。」

 そんな会話の直後だったという。突然、ビル全体が大きく揺れ出したそうだ。
 デスクが持って行かれ、身体が揺さ振られる。
閉所恐怖症に高所恐怖症を抱えている彼女は、瞬時に恐怖でパニックに陥ったそうだ。近くにいた社員に”落ち着け〜!”と言われたらしい。

 その後も断続的に続く揺れの中、息子達にメールを送り、何度も電話をかけたそうだ。しかしどうしても繋がらない。
 それもそのはず、その頃、DOCOMOは2000ヶ所以上の基地局が停止してしまい、メールは出来たものの事実上通話不能に陥ってしまっていた。

 その後、彼女は仕事を続けたそうだが、リアルタイムに入って来る映像と音声に、気がおかしくなりそうだったという。
 何故なら、編集前の生々しい映像がそのまま社内に流されているため、洪水に人が流される姿や、泣き叫ぶ人の声や断末魔の叫び、お茶の間では流されないものを直接観ることになったからだ。

 就業時間が終わり、帰る頃、彼女はどうすべきが迷ったらしい。鉄道の様子が分からなかったからだ。
 しかし、社内の微妙な空気を察して、彼女は最寄り駅を目指した。
 鉄道は、やはりどこも動いていない。せっしーは歩いて埼玉の我が家へ向かう決心をし、姉である私達にもメールを送りながら水道橋を目指した。そこには息子の通う学校があり、もしかしたら、息子(甥っ子B)と合流出来るかも知れないと考えたからだ。

 しかし、その息子は地震の為に池袋のバイト先から動けず、学校にはいなかった。

 そして、私達も新宿を目指しながらどうやら自分達は正真正銘の帰宅難民らしいということを、自覚しつつあった。


つづく。