iPhoneに変更してから、文字入力がとてもやり辛い。だから小説の方も、あの長い文章をどうしようかと結構悩んでいる。
んで、最近マティックスさんという、名前からして、何となくφさんを思わせる方(ダジャレ好きのφさんというイメージ(笑)のブログで、パラレルワールドの話が出ていたので、ちょっと考えて見た
。
この方、ご友人と共にこの夏、はるばる長野県皆神山へ、怪しい取材へいらしたそうなのだが、その帰りに九死に一生という、体験をされていたのだ。
興味深いことに、その時彼は車の前に放り出されて、しっかり轢かれた感覚まであったのだそう。にも関わらず、気がつくと車は自分の数cm前で停車。九死に一生を得たのだそうだ。
さて、面白いのはその先。自宅へ戻ったマティックスさんは、そこで、おかしな事態に遭遇する。
行った覚えの無いライブへ行ったことになっていたり、近所のスーパーが変わっていたりしていたのだ。そこで、彼は気づいた。
〜 どうやら次元移動しちゃったみたい...〜
実は私にも似たような体験がある。
幼い頃、線路を渡るとよく似た異世界へ行く、と言われた私は、線路を渡って違う世界へ行くという夢を見た。
翌日、目覚めた私はいつも行く公園へ遊びに行った。迷路の様な長屋の家並みを抜けて、公園に着いた私は、そこにある恐竜の姿の滑り台のデザインが変わっていることに気づき、大騒ぎしたのだ。
周りはキョトンである。
充分大人になった今でも、時々?と思う事態に出会すことがあったりする。
おかしい!前はこんなじゃ無かった!と叫び出したくなる様なことに...。
そんな時、納得出来ない私は冗談で、"次元変換したのよ〜!"と叫んでいるのだが、もしかしたらマジでそうなのかもしれない…。マティックスさんのブログを読んでいてそう思った。
マティックスさん曰く、あの時別の次元の自分と、この自分が入れ替わり、別の次元にいた自分は死んでしまって、代わりにこの"自分"が別の次元に入り込んでしまったに違いない、とおっしゃるのだ。そして彼は、死んでしまった異次元の自分に、ひたすら謝るのであった(笑)。
実は私はここで一つ引っかかった。古代の哲学や、ヌーソロジーなどで言われている様に、もしも本当に自己と他者が同じものならば、そして、世界が自己の鏡ならば、もしかしたら自我はいつも自由に次元を行き来していて、死ぬことは無いのでは?と。
つまりどういうことかというと、自分の死とは他者が体験するものであり、「私」という自我は別の次元へ飛んで行って無事で、他の誰かの死に直面して嘆いているのではないかと考えたのだ。
そう考えると、他者の死を見るという事はすなわち自分の死に立ち会うことであり、「私」という存在が見ている「あなた」とは、全部私自身だということが、証明されるのではなかろうか?
つまり、自我は常に成長しながら次元を行き来し、他人の体験を目撃しながら自分の学びとし、長い時間を旅して遂に神へと至っているのではないか?だから、他の自我には他の次元を生きていて、その視座は決して他者が覗き観ることは出来ない。その視座の中では私が死んでいる次元があり、その死は他者にとっての自己の死に違いないと思えるのだ。
おりしも数日前、従兄弟の奥さんが亡くなった。11年もの間、癌と戦い、52歳の若さで亡くなってしまった。
けれど、もしかしたら彼女の自我は次元を上がって病を克服し、元気になって新たな学びに至っているのかもしれない。
今日、彼女を偲んで彼女と同じ名前のピザ、「マルガリータ」を頂きながら、そんな事を考えて食べ過ぎたミスランディアなのであった...。
忘れてました(汗)。追記します。
マティックスさんのブログのURL載せときます。興味深いことを沢山書かれてらっしゃるので、興味のある方は是非。
matix.blog100.fc2.com