スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

高尾山へ行って来た(3)

え〜ここで高尾山とは?

歴史は結構古く、774年に聖武天皇の勅命から行基が開山。高尾山薬王院を作ったことから始まり、後の1370年頃飯綱権現を祀って飯綱信仰の霊山として、今なお修験道の道場として栄えているそうです。
観光地でもありながら、修行の場としていまだ機能しているというところがとても不思議なのですが、見える人にはちゃんと天狗も見えるという、貴重な場所でありましょう。

羽根の生えた方々というだけで、ワクワクする私は、今回半ば強引に計画を立て、妹を巻き込みました(笑)。
そして山頂に着き、早速お弁当を頂きます。

2年振りのおにぎりです(ダイエット中。お米厳禁)。登山直前に頂いたおにぎりは、久々のカンドーのおにぎりでしたが、ここでそれをしっかり堪能します。
お弁当は他に卵焼き、ウィンナー、ポテトサラダなどなど。

妹はー…ビールです(笑)。

実は山頂に着いたらちょっとふざけた写真を撮ろうと用意して来たものがあったのですが、これ程人が沢山いては無理でした。諦めて下山です(笑)。ひとごごちつき、改めてルートを確認。少し風が涼しくなって来ました。
意図したわけではありませんでしたが、薬王院へは下山の際に寄ることになりました。本当は登りの際にご挨拶するのが良いのでしょうが、上から降りて来てなんだが偉そうです(笑)。
参拝客が沢山いましたが、あまり俗っぽく感じなかったのが不思議です。"スピ☆散歩"で、三巳華ちゃん達が沢山の天狗を観た薬王院本堂にお参りし、ご挨拶しました。

ーお邪魔しています。ありがとうございます。ー

キリスト教で育ち、日本人のアイデンティティよりもエセユダヤ人としての人格が構成されてしまっていた私は、日本の何処へ行っても自分はよそ者だという感覚が抜けずにいます。しかし、高尾山は何だかそんな私でも受け入れてくれた様な気がしました。

後ろに猛禽つけてるから?

透視画を描く事で有名な漫画家、氷室奈美先生に透視画を描いて頂いた時、私の後ろに沢山猛禽類がいると、教えて頂いたのですが、猛禽大好きな私は、それが物凄く嬉しかったのでした。
天狗は、行者と彼の遣わす鷹などの猛禽類が一体となった姿を、霊能力のある人々がそう観たのではないか、と言われているそうです。そして、その天狗が西洋では"天使"として認識されているのではないかとも言われています。

わし、ウリちゃん(大天使ウリエル)付けてまんねん←(氷室さん情報)。

似た者と認識頂けたのでしょうか(笑)。

薬王院周辺は、色々な神様(四天王とか)の他に各種おみくじ、土産物屋さんなどがありました。パワーストーン付きのおみくじがあったので、引いてみました。

アマゾナイトが出てきました。心と身体を健全に保ってくれる石だそうです。
妹せっしーは、タイガーズアイを引いてました。

お金の石です(笑)。

今後、せっしーに何か経済的な変化がありましたらお知らせします(笑)。

つづく。

高尾山へ行って来た。(2)

え〜、高尾山で写真を撮ったので、載せようと思い数回に分けての記事にしようとしたのですが、私がよく分かっていないのか、iPhoneがおバカなのか、メールフォームに画像添付が出来ないので、写真を載っけられません(怒)。
仕方ないので、このまま行きます( *`ω´) 。
さて、高尾山が八王子だという事実に軽いショックを受けつつ、高尾山入口のケーブルカー近くでまず、おむすびを一個頂いて登山開始。やはり台風の影響で土砂崩れがあったようで、まともに行けるのは稲荷山ルートひとつだけ。他は殆ど通行禁止になっていたりしました。
ケーブルカーは通常通り動いていたようですが、二人乗りリフトは運行中止で、ケーブルカーには長い列が出来ていました。
この日、天気予報では、山沿いは殆ど曇り。しかも、にわか雨が予想されていました。台風から二日後ということもあり、人出はどうだろうと思っていたら!
まあ、ぞろぞろ来るじゃないの!
子供の頃、家族でよく行った山歩きは殆ど人にも行合わず、静かな森の中で自分達独り占めの世界を味わったものでした。
ところが台風一過の高尾山はご利益でもあるんでしょうか、皆さん大喜びでご入山です(笑)。外人さんもいらっしゃいます。白い方々なんて、ノースリブざんす。

さて、私達も稲荷山ルートへむかいました。大雨の後なので、川や滝の水が大変豊富で、お水大好きな私には気持ちの良い風景でした。しかし、足元はぬかるんでいて注意しないと危険な場所もあり、まるでトラップの如き倒木にも出会いました。確かに"倒木あり。注意してお通り下さい。"とありましたが、何となくわざとかな?と思ったり…(ーωー;)☆\(−−)。
途中足元を澄んだ水が流れていたりする所もありました。人の列は途切れず、道も狭いのですが、とても気持ちが良かったです。

山頂まで2時間近く掛かったでしょうか。その間、普段はデスクワーク、酒飲み放題!タバコ吸い放題の妹せっしーは、ここのところ運動で足腰を鍛えている私よりもさっさかと歩き、息切れもしやせん!( ̄^ ̄)。火星を味方につけたヤツは強いわ…。

やがて、視界が開けて山頂近く。もう少しだね、と話していた私達のそばを、一人のおっさんが、「ビヤガーデン!ビヤガーデンは何処だーーーっ!」と叫びながら通り過ぎて行きました。するとせっしーが、"私もビヤガーデン!"と言い出し、本当に山頂でビールを飲んでました。

…こら。

そして山頂です。眺めが良いです。曇りと聞いていたのに、途中から陽が差して来て、緑が輝いてとても美しい…。やったー!とせっしーと喜んでいると、後ろで一人の若造が一言。

"でもさ、高尾山って、スカイツリーよりも低いんだぜ"

お・ま・え・は・!天狗にでも喰われてろ!

つい思ってしまいました(笑)。

つづく。

高尾山へ行って来た。

今月23日に、妹と二人で高尾山へ行って来ました。
直前に台風がの襲来があり、震災と先月の大雨などでまだ傷の癒えない日本列島に、またまた被害を与えて行きましたが、私には何か放射能で汚染された日本をきれいにしに来ている様な気がしなくもありません。

さて、そんな大嵐の翌々日に私達は当初の予定通り高尾山へ行ったのですが、直前まで、色々と邪魔が入る入る!
天気もそうですが、台風による被害が妹のうちでもありまして、正直やめようかという話にもなりました。

でも、行きました。そして行って良かった。

元々、何故高尾山へ行こうと思いたったのかと申しますと、隔月の実録ホラー漫画雑誌「HONKOWA」に載っていた、伊藤三巳華さんのスピリチュアルスポットを散策する漫画、「スピ☆散歩」で高尾山が取り上げられており、それがとても面白かったからです(笑)。

以前から気になっていた高尾山。大昔、家族と来たことはあるらしいのですが、とんと記憶がございません。ミシュランでも取り上げられ、世界で最も登山客が訪れるという高尾山。もし、登山中に大地震が襲って来ても大丈夫だろうという、根拠の無い自信を持って出掛けました(笑)。

出掛ける直前までは、トラブル続き。特に妹せっしーがこうむった被害は、元彼の怨念じゃないかと思う程、腹だだしいことこの上ないものでしたが、一度出掛けてしまうと、後は大変スムーズに行きました。

そして高尾山に着いた私が初めに知ったこと。それはー

高尾山って、八王子にあったのね…。

つづく(笑)。

パラレルワールド考察

iPhoneに変更してから、文字入力がとてもやり辛い。だから小説の方も、あの長い文章をどうしようかと結構悩んでいる。
んで、最近マティックスさんという、名前からして、何となくφさんを思わせる方(ダジャレ好きのφさんというイメージ(笑)のブログで、パラレルワールドの話が出ていたので、ちょっと考えて見た

この方、ご友人と共にこの夏、はるばる長野県皆神山へ、怪しい取材へいらしたそうなのだが、その帰りに九死に一生という、体験をされていたのだ。
興味深いことに、その時彼は車の前に放り出されて、しっかり轢かれた感覚まであったのだそう。にも関わらず、気がつくと車は自分の数cm前で停車。九死に一生を得たのだそうだ。
さて、面白いのはその先。自宅へ戻ったマティックスさんは、そこで、おかしな事態に遭遇する。
行った覚えの無いライブへ行ったことになっていたり、近所のスーパーが変わっていたりしていたのだ。そこで、彼は気づいた。

〜 どうやら次元移動しちゃったみたい...〜

実は私にも似たような体験がある。
幼い頃、線路を渡るとよく似た異世界へ行く、と言われた私は、線路を渡って違う世界へ行くという夢を見た。
翌日、目覚めた私はいつも行く公園へ遊びに行った。迷路の様な長屋の家並みを抜けて、公園に着いた私は、そこにある恐竜の姿の滑り台のデザインが変わっていることに気づき、大騒ぎしたのだ。

周りはキョトンである。

充分大人になった今でも、時々?と思う事態に出会すことがあったりする。
おかしい!前はこんなじゃ無かった!と叫び出したくなる様なことに...。
そんな時、納得出来ない私は冗談で、"次元変換したのよ〜!"と叫んでいるのだが、もしかしたらマジでそうなのかもしれない…。マティックスさんのブログを読んでいてそう思った。
マティックスさん曰く、あの時別の次元の自分と、この自分が入れ替わり、別の次元にいた自分は死んでしまって、代わりにこの"自分"が別の次元に入り込んでしまったに違いない、とおっしゃるのだ。そして彼は、死んでしまった異次元の自分に、ひたすら謝るのであった(笑)。

実は私はここで一つ引っかかった。古代の哲学や、ヌーソロジーなどで言われている様に、もしも本当に自己と他者が同じものならば、そして、世界が自己の鏡ならば、もしかしたら自我はいつも自由に次元を行き来していて、死ぬことは無いのでは?と。
つまりどういうことかというと、自分の死とは他者が体験するものであり、「私」という自我は別の次元へ飛んで行って無事で、他の誰かの死に直面して嘆いているのではないかと考えたのだ。
そう考えると、他者の死を見るという事はすなわち自分の死に立ち会うことであり、「私」という存在が見ている「あなた」とは、全部私自身だということが、証明されるのではなかろうか?
つまり、自我は常に成長しながら次元を行き来し、他人の体験を目撃しながら自分の学びとし、長い時間を旅して遂に神へと至っているのではないか?だから、他の自我には他の次元を生きていて、その視座は決して他者が覗き観ることは出来ない。その視座の中では私が死んでいる次元があり、その死は他者にとっての自己の死に違いないと思えるのだ。

おりしも数日前、従兄弟の奥さんが亡くなった。11年もの間、癌と戦い、52歳の若さで亡くなってしまった。
けれど、もしかしたら彼女の自我は次元を上がって病を克服し、元気になって新たな学びに至っているのかもしれない。

今日、彼女を偲んで彼女と同じ名前のピザ、「マルガリータ」を頂きながら、そんな事を考えて食べ過ぎたミスランディアなのであった...。

忘れてました(汗)。追記します。
マティックスさんのブログのURL載せときます。興味深いことを沢山書かれてらっしゃるので、興味のある方は是非。
matix.blog100.fc2.com
前の記事へ 次の記事へ