え〜(笑)、いきなり物騒なタイトルですみませんm(__)m。
ふうさんのブログタイトル「天国への帰還」よりヤバイネーミングですが、別に自殺の計画の話ではありません(笑)。
実は、このタイトルは、夕べのサバトのテーマです。
ここで一つ誤解の無いように解説しておきます。”サバト”をWiki等で調べると、魔女の集会、乱交パーティーみたいに説明されていますが、本当の意味は、”土曜夜の集会”のことで、怪しい呪術大会でもなければ魔女の乱痴気騒ぎのことでもありません。この場合、私の師匠による講義の事を指しています。
さて、その師匠ですが、去年の11月に70歳を迎えたそうで、”誰も古稀の御祝いをしてくれない”と笑ってました(笑)。
そんな師匠ですが、オムロンの体重計で見ると身体年齢は53歳だそうで、まだまだお元気の様子。
しかし、色々な所にガタが来ているそう。師匠はそれを
―歳を取ると、肉体はまるで手枷足枷の様。身体に走る痛みや病は鞭。例えるなら、手枷足枷をされた死刑囚が、鞭打たれている様なもの―。
と説明されていました。
そこで師匠は、死が襲って来るのを怯えて待つのではなく、こちらから死の期日を定めて、これからの人生設計をしてやろうと試みた、ということです。
つまり、仕事をする際に期日を定めて計画を立てる様に、死ぬまでにやっておくことを決めてみた、と言うべきでしょうか。
”死”とは、哲学が抱える最大の課題だそうです。
極端な言い方をすれば、哲学とは、いかに死ぬかということらしいのです。師匠はこう話してくれました。
―普通、”死”とは闇の様に捉えられるが、実のところ、”死”とは太陽の様なもの―。
歌人、在原業平はその辞世の句で次の様に心境を残しています。
―つひに行く 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを―
この句は人間の”死”に対する態度をよく表しているそうです。つまりこういうことです。
―(訳)いつかは行く道(死ぬこと)とは聞いていたけれど、昨日や今日だとは思いもしなかった―
人は誰でもいつかは死ぬ、と頭では分かっています。けれど、それが昨日や今日だとは思いもしないのです。
”死”とは、解放であり輝きであるということは、古代の哲学や更に古くは古代エジプトの信仰等で語られて来ました。
しかし、それがあまりに眩しく、大きいので、人はそれを直視出来ない。まるで、太陽がそこにあることは分かっていても、眩しくて直視出来ないのと同じだと言うのです。
そういう時、人は気晴らしをするといいます。人々が築いて来た文明や文化は、実は”死”から目を背ける為の気晴らしなんだそうです。
こう言われてしまうと、身も蓋もありませんが…(笑)。
さて、スイスの有名な精神科の女医、キューブラ・ロスは、その著書「死ぬ瞬間」の中で、彼女の長年に渡る調査の結果、人が死に直面して実際に死に至るまでに、全部で五つの段階を通る、と紹介しています。
例えば、末期癌と診断され、余命3ヶ月と告知された方がいらしたとします。すると…
第1段階「驚き、否定」
まず、そんなはずはない。何かの間違いだ…等と考え、抵抗します。
第2段階「怒り」
どうして?何で自分が?こんなの間違っている!と怒り、やり場の無い怒りを家族等にぶつけ、八当たったりします。
第3段階「取引」
この場合、家族や医者に訴えても駄目です。今まで神様なんか見向きもしなかった人が祈り、”どうか助けて下さい。そうしたら〇〇します。”等と言って、神頼みに走ります。
第4段階「絶望」
それでもいよいよ事実が覆らないと悟ると、ここに至って初めて絶望し、抑鬱状態に陥ります。
第5段階「受容」
第4段階が進み、やがて諦めが訪れます。人はここでやっと死と向き合い、受け入れることになります。
実は、”諦め”という意味合いには二つの種類があるそうです。
一つは、嫌々ながら受け入れる。
もう一つは、”全てを明らかにして、受け入れる。”ということだそうです。
ここで、一つ罠があるといいます。今紹介した過程を恐れて、よく”ぽっくり逝きたい”という人がいますが、一見、ぽっくり逝くと楽そうですが、そうなるとあちらへ行ってからすっ飛ばした過程をやらなくてはならなくなり、その苦しみは倍だそうです。
なので、この世での課題はこの世で終わらせるのが一番いい様です。
実は、私はこれらの過程を少し体験したことがあります。
一年半程前、乳癌の疑いが出た時です。
私が発見したしこりは大きく、3oを越えていました。3oを越えたら手遅れだと知っていたので、検査結果を待つ一週間の間、まさに死を受容するまでの第1段階を体験しました。
遠くで、人生の終焉を告げる鐘の音を聴いた気がしました。
―いつかは死ぬのは分かってる。でも、何で今なの?―
けれどその頃、図らずもカバラー13番コースを始めたばかりで、私は決心しました。
―もしも、結果が悪性だったら…この際だから師匠に話して、カバラーで治そう。だって、治療費も無いし、これはチャレンジだ―。
そうして検査結果は良性でしたが、驚いたことにあれだけ大きくはっきりあったしこりが消えていました。
お医者さんは、良性の振りをした悪性もあることをよく知っているので、更に詳しい検査を薦めて下さったのですが、しこりが消えたことに驚いて、正直なところを話して下さったのです。
長年の経験から、あれは絶対に癌だと確信していた、と。
あれが何だったのかは分かりません。けれどあの時、私がほんの少しでも”死”に直面したのは確かでした。
さて、師匠の”死ぬ計画”ですが、このテーマを告知した時、驚いて心配した方々からメールを頂いたそうで(笑)、しかし断じて自殺の計画ではありません(笑)。
師匠によれば、ホロスコープ等で計算した結果、今から16年後の12月8日AM2:00に旅立つのが、自分にとっても周りにとっても幸せだそうです(笑)。
そして私ですが、今回の講義を受ける前に、怒涛の事態に襲われる等していた為、一つ決心してみました。
死は、いつやって来るか分かりません。今日の夜巨大地震に襲われることだってあるでしょうし、明日交通事故に巻き込まれることだって有り得ます。そう考えて、ある挑戦をしようと思います。
自分の寿命を、後一年と考えて、それまでに悔いの無いよう、出来る事を全部やります。
実際、何か地球に近づいているみたいですし(笑)、地震だっていつ起きてもおかしくはない。
だからこれから一年、いつ死んでも悔いの無いように生きます。
これが私の「死ぬ計画」です。つまりこれは転じて「生きる計画」なのです。いかに死ぬかは、いかに生きるか、でもあるのです。
…
…
とりあえずはパソコンですな(笑)。