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パソコン・エレジー2

 ここ三日ほど、東京、埼玉辺りでは余震を感じていなかったが、久々に昨日の晩、揺れを感じて慌てている昨今、やはり自分が揺れている感覚から抜け出せないでいるミスランディアである。

 例によって、パソコン設定。インストールした音楽ソフトを起動してみる。
 マニュアルには、初めて起動するとこういう画面が出る…と説明されていたが、その画面が出ずにいきなり本題に入る。意味が解らない。
 当然ながら音も出ない。だが、色々いじっているうちにオーディオ設定をする必要があるのでは、と思い当たり、コンピューターから入りサウンド設定…とかないかなと、探す。

 MIDI音源、インターフェイス、サウンドドライバ、サウンドカード…全部意味が解りませんっ!初めからパソコン内にインストールされているパソコン用語集にも載ってない言葉もある。ASIO、MME基本音源…。わからないことはサポートセンターへ…すいません、インターネットに繋げないんですけど。

 モバイルで繋げないこともないが、ウイルス対策出来てないので恐い。ウイルスバスターを使用するのにフリーメールで登録…という手もあるが、初めにメーカー側に確認を…何!電話での質問の受付はしていないだと?(怒)

 …と、とにかく、自分で出来る事をなんとか…

ドライバ設定…ああ…基本音源やっぱりMMEだね。OK…と。

 ん?何?このメッセージ…

―サウンドカードの読み取りに失敗しました。アプリケーションのアップデートについて、製造元へ確認して下さい―

 わかったことはこのままでは使えないということ―。

 ケータイでサウンドカードの意味を調べ、この場合NECに電話。ガイダンスに従い、固定電話からかける。

ガイダンス―”パソコンのアプリケーションについては8を押して下さい。”

わし―(8を押す)

ガイダンス―”各ソフトのアプリケーションについては、Windowsのサポートセンターにお問い合わせ下さい”プチッ!ツーツー…

 な、何ですか?今の?


ひゅううぅぅ…(風)。


エリザベスカラーを付けられ、飲み食いしづらくなった、ナイゾウ(漫画家今市子さんのペットの文鳥)の心境…今日はフリーズもどきもしたし…なんか…もう…いいや…

パソコンシャットダウン。
ああ…パソコン・エレジー…。

パソコン・エレジー

写真:我が家の地震センサー。コードネーム”ウチノコチョウラン”


 東北東関東大震災(東日本大震災)が起きてからもう二週間が過ぎた。

 余震は収まらず、津波と震災で壊滅した街の復興はまだ遠く、また原発の被害で停電と放射能の危機に日本全体が巻き込まれている。

 そんな中であっても、もしも新しい方向性を見出だし、乗り越えることが出来たなら、きっと日本は世界のさきがけになって、飽和状態のこの世界に未来への突破口を開けるかもしれない。

そうあって欲しいと心から願うと共に、心身ともに深い傷を負った多くの方々が、一日も早く癒されます様にと、祈らずにいられない。


 あの日、私達三姉妹は、それぞれ帰宅難民となってしまい(みけと私は一緒だったが…)、それでもなんとか家に帰り着いたことは既にブログに書いた。
 んで、地震により、わしら姉妹はなかなかの物的損害を被ってしまったりしたのだが、買ったばかりのパソコンはなんとか無事だった。

 地震から数日後、私は途中になっていた、パソコン設定の続きをやらねばならなかった。
 しかし、この設定にこぎつけるまでがどーゆー訳か荊の道だった。

 前にも書いたが、うちの大家さんが回線の増設をしてくれないので、インターネットを利用するのに私はモバイル契約をしていた。

 しかし、そこで再び問題が発生。

 まず、Wi-Fiスティックに装着するUSIMカードの向きが表裏になっていた。これは契約日に担当してくれたメーカーさんの方がやって下さっていたものなのだが、上手く作動してくれないので、自分で調べているうちに、表裏になっていることに気づいたわけだ。
 入れ直して再トライ。しかし、やっぱり作動せず、赤ランプが点滅しっ放し。サポセンに電話するもなかなか繋がらず、やっと話を聞いてもらい対処してみたものの、やはり駄目だったので、やむなく近くのソフトバンクショップへ。

 そこで事情を説明し、どうやら渡された機器が不良品らしいということで、取り替えと話が決まった時、応対してくれた若いお姉さんがカードの入れ方が逆になっていることに気づく。

 初めはカードそのものが裏表。

 今度はカードの向きは正しいが、入れ方が裏表。

 ―私のミスです。ごめんちゃい…m(__)m。

 これで丸一日を費やし、やっと翌日パソコンのお客様登録やウイルス対応ソフト等のインストールにかかった。

 ところが、モバイル回線ではメールアドレスの獲得が出来ず、このままではお客様登録が出来ないことで、ウイルス対応ソフトも使用出来ないことが分かって大ショック!Σ(|||▽|||)。

 再びサポセンへ電話をかけまくる…。

 お話では、フリーメールでも大丈夫だということだったが、プロバイダーとソフトメーカーの言うことが正反対、ということもよくある話なので、ちゃんと確かめてから…と思っていた矢先、震災に会う。

 震災の後は余震の恐怖と計画停電。落ち着かなく、節電のこともあり、パソコンの電源になかなか手が伸びなかった。

 そして先週半ば、やっとパソコンに向かえたのだった…。

 しかし、聞くところによるとあの地震以来、常に自分の身体が揺れている様に感じてしまい、かなりナーバスになってしまっている方が増えたそうだが、かくいう私も例外ではなく、ついグラリと感じて慌てている。そして時には本当に余震だったりする。

 緊急地震速報のサイレンが聞こえて来ると心臓が縮み上がる。そんな中でのパソコン設定。

 が、進まないので、先に使いたい音楽ソフトをインストールしてしまおうと考えた。
 インストールの仕方は各ソフトのマニュアルに。が、しかし…

 DVDドライブに入れただけでは起動せず、インストールに移るまでの手順を探す。ところが、何処にもない。パソコンのマニュアルにも無い!もう、ど〜やるんだよ〜っ!

 …どうやらインストールに至るまでのやり方は、今更マニュアルに載せるものではないらしい。
 つまり既に当たり前の手順なので、わざわざ載せていないらしいのだ。

 仕方なく自分でやり方を探す。

 その間、いつ大きな余震が来るかと、戦々恐々!そんな時、私はいつも胡蝶蘭を見て地震を確認していた。

 今の季節は、丁度胡蝶蘭が花を付ける時期だ。胡蝶蘭はその長い茎に、綺麗な花を沢山咲かせてくれる。地震が起きた時、その長い茎がふわふわと震えて知らせてくれるのだ。

 場合によっては、緊急地震速報よりも早いその警告。

 私は”揺れ”を感じる度に胡蝶蘭の方を振り向く癖がついてしまった…(―ω―;)。

私―「むっ!(揺れを感じ、振り向く)」
胡蝶蘭―「…」
私―(作業に戻る。)

 しばらくして再び揺れを感じる。

私―「むっ!(胡蝶蘭を見る)」
胡蝶蘭―「…」
私―(作業に戻る)

 しばらくして再び揺れを感じる。

私―「むっ!(胡蝶蘭を見る)」
胡蝶蘭「……」
私―(作業に戻る。)

 しばらくして再び揺れを…(以下エンドレス)

 こんなことを延々と繰り返す(笑)。
 そんな状態でなんとかソフトをインストールしたが終了後、同時に出たこんなメッセージ…

―このソフトは、正しくインストールされなかった可能性があります―。
―このソフトは正しくインストールされました―。




どっちなんだよ!

 後で妹に聞くと、一度アンインストールして初めからやり直した方がいいと言う。

 甥っ子に聞けば、それは念を入れた警告なので、気にせず使ってみるといい。もしも正しくインストールされていなければ動かないから、その時またやり直せばいいと…。

 余震に計画停電、放射能、買い溜めによる品不足、降って涌いた様な経済的問題―。ソフトを扱う以前の問題で右往左往!私がパソコンを使える様になるのはいつになるのかしら…

 そんな私に甥っ子が、Sound Horizonと、倉橋ヨエコちゃんのCDが入ったUSIMメモリーカードをくれた。

 Yahoo〜!これ聴きながら作業するぞ〜っ!




 音楽聴きながら、音楽は創れません…。駄目ぢゃん!

ああ、パソコン・エレジー!(T-T)ノ#

ゼルダアップしました〜

 第24回目です。
ついにゼルダ姫、衝撃の登場です!
 本当に衝撃なので(ほんとか?)心して読みましょう(笑)。
 ちなみに、最初から読んでいないと衝撃度が薄いので、出来たら初めから読んでおくれやすm(__)m。

小説用ブログ

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地平線を目指して…

少し前のことだ。

私は夢を見た。
子供の頃によく見た様な鮮明な夢で

とても美しい夢だった。


 私は電車に乗っていた。辺りは真っ暗闇で、どうやら夜中の様だ。

 電車は混雑していた。沢山の人がいて、その何処からかか、両親の話し声が聞こえて来る。

―次の駅で人が沢山降りるだろうから、そしたら両親の姿が見えるだろう。

それから声をかければいいや―そう思った私はそのまま座席を立たなかった。

 駅に着くと、殆どの人が暗いホームへ降りて行く。ガラガラになった車内には知っている人などおらず、疎らに人を乗せたまま再び電車は動き始めた。

―なんだ、しょうがない。次の駅で降りて、反対の電車に乗って戻ろう。次の駅って、確か川を渡るんだっけな―

その時、夢の中で”〇さんがこう言ってた。”と思い出していた。”川の向こうとこっちでは違うんだよ”

 実際、〇さんはそんなことを言ってはいない…と思ふ(笑)。しかし、夢の中ではそういうことになっていた。

 やがて、電車が橋を渡り出した。外を見ると…

 何故か昼間になっていた。橋の下を大きな川が流れている。

 その川はエメラルドグリーンの海の様な美しい川で、日の光にまばゆく煌めいていた。所々まるで島の様に中洲があり、見る人を楽しませる為なのか、噴水のディスプレイがされていた。

 とにかくとても美しかったのだ。

―こんな美しい川の向こう側にある駅は、どんなにか素敵な所だろう!―

 そう思った私は向こうへ着くのがとても楽しみになっていた。夜は何処かに吹き飛び、明るい太陽の光が溢れている。

ところが…

 何故か現実の方からお呼びがかかった。トイレへ行きたくなったのである。

 起き出して夜中、トイレへ行く。―なんだよ、つまらん!すっごく綺麗だったのに―。


 あんなに鮮明に綺麗な夢を見たのが、本当に久しぶりだったので、翌日みけーらに話した。すると彼女は唐突に言った。

「あんたそれ、三途の川じゃないの?」
「えっ?そうか〜?」
「そうだよ!あたしピンと来たもん!そのまま渡り切ってたらあの世へ行ってたりして…(笑)。」

 代官山で地震に遭遇したのは、その二日後のことだった。

 以前ブログで「死ぬ計画」というのを書き、一年後、自分がこの世にいないと考えて、この一年間でやれることを全部やる、という目標を立てたが、今回の東北東関東大震災を経験してから私は、一年後本当に自分がこの世にいないかもしれないと考え始めている。

昔、KERA率いた有頂天の歌「フューチュラ」の中に、こんな歌詞があった。

―オワリノハジマリ―

 ちょっと不吉な嫌な話になってしまったが、今回の大災害、もう終息に向かっていると願いたいところだが、どうも違うのではないかと感じてしまっている。

少なくとも、私にとっては―

 地震の時、私はみっともなく恐怖に駆られてしまったが、恐怖とは恐らく生きようとする抵抗なのではないか、と実は思った。

 あの時私は、”まだ何もしていない。まだ何も終わってないよう!”と叫んでいたのである。同時に”地球はいつまでも待ってくれない。恐らくもう限界だ”とも感じていた。

 やり直そうと思ったけどもう遅いのだろうか?
 こんなにも生きにくい人生を生きて来て、もう少し時間が欲しいよ!

 正直、そう思った。

 私には、命に代えてでも叶えたい夢があった。ずっと心にしまったまま、忘れた振りをして来た夢だ。その思いと正面から向き合い、少しでも近づこうと努力を始めた。

 しかし、実は去年の暮れ。結果が出てしまったのだ。私の思いは虚しく愚かだという―。

 何とか平静を取り戻した私は、どうやって生きようかと足掻いていた。もう何もかもが無意味だったから。

 けれどとにかくやれるだけやるしかないと、少しずつ歩き始めた矢先である。

 あの夢、もしもあのまま川を渡り切っていたら、私の選んだ3月11日、東京を襲ったのは震度7の激震で、そこで「私」は終わったかもしれない。

 ”私達が見ている現実とは実は過去であり、未来とは自己の後ろ(意識)にある方向性―”とは、ヌーソロジーが私に与えてくれた視点だが、そうであるなら、私の人生はもう決定しているのだ。

後は、その叶わない現実をどれだけ肯定的に捉えるように持って行くか、である。

 この”叶わない現実(ゆめ)”が、どれ程私にダメージを与えたかは、今回体中に出た湿疹という形で表された。私の理性は常に勝利し、愚かな衝動を封じ込めるのに成功しているが、行き場の無い思いは私自信に矛先を向けるしかないのだ。

 この状態を長く続ける自信は、正直無い。

 それでも一年後を目指して、とにかく今は進もう。もう歩き出してしまったのだから。例え行き先がオアシスではなく、何も無い沙漠であったとしても。

 ただ、救いは私が夢で見たあの”三途の川”と思しき川が、明るく美しかったことだ。それはきっと、私の思いが虚しく愚かでも、間違いではない、というメッセージの様にも思えるのだ。

 行った先で、その地平線に自分が何を見ることになるのか―

 願わくば、その虚しい荒野が、美しいと思えます様に―。

 こういうことだったのかと、納得して終われます様に―。


2013年。新しい時代を迎える頃、恐らく全ての人の意識が”今”とは変わっているのだろう。

3月11日PM2:46〜後編

 自分達が帰宅難民であることを自覚した私達は、明治通りを北上しつつ、何度も実家に電話をかけ、安否確認をしようとした。しかし繋がらない。
 うちの実家は同じ埼玉市内なので、大した被害は無いはずだが、家の中は父の仕事の資料や本で溢れており、落下物に事欠かないのだ。ぽっくり逝っても不思議じゃない。

 私達の後ろで、どうやら電話が通じたらしい若い女の子が、車で迎えに来て欲しいと母親にせがんでいる。

「…そういえば家ん中どうなってるかなあ…。」
「わかんない…。うちはボロマンションだし、5階だし。あれだけ揺れたら無事じゃないよ。」
「パソコン…。」

 買ったばかりのパソコンがどうなっているか…。まだ一回目のローンも済んでいないのに、落下してオシャカになっていたら…と思うと胃の辺りがドスンと重くなった。

 何もかもやり直し…。いや、私らの経済力ではそれも無理だろ、と。

 気が重くなったからか、みけは休みたくなったらしい。その時、赤十字社前を通り掛かった。
 赤十字の人々が声をかけていた。トイレが利用出来ること、水を配布していること、休憩出来ること―。

 私達は少し迷ったものの、結局建物に入り、しばらく休憩することにした。そしてそこで色々な情報を聞くことが出来たのだ。

 鉄道はマヒ状態だが、東京メトロは復旧に向けて急いでいることや、千葉方面で火災が起きていること。東北地方を大津波が襲っていること。
 ここに来るまで、私達は津波がとんでもないことになっていることを知らなかった。

 この時点で、私達二人はケータイの電池が少なくなっていることで、やたらに使えなくなっていた。唯一、情報源となっていたツイッターにも繋ぐことが出来ない。
 この日に限って二人とも充電器を置いて来てしまったのだ。

 赤十字社では、充電器さえ持っていれば充電させてもらえた。これから私は充電器を持って出る習慣をつけようと誓った。

 赤十字社の人達は、初めのうち、ラジオのNHK放送を流していたが、その後、ラジオをやめて館内放送で情報を流してくれる様になった。
 そして、しばらくして都営地下鉄大江戸線が運転を一部再開した、と伝えてくれた。何人か、人が赤十字社を出て、駅へ向かって行った。
 しかし、直後、再び止まってしまったという放送が流れた。後で聞いた話に寄ると、駅は何処も人で溢れ返り、寒い所で座り込む人々が沢山いたそうだ。

 そしてその頃せっしーは、私達姉共がいる赤十字社の前を、休憩することも、トイレを借りることも考えず、さっさと通り過ぎて行った…。そんな彼女が休憩場所に選んだのは、居酒屋だった…。

 程なくして、これまで気丈を保って来たみけが、ついに限界に来てしまい、横になって休みたいと言い出した。
 そこへ館内放送が入り、NHKの情報として、都庁と新宿区区役所と都立新宿高校が、帰宅困難者の受け入れを開始した、と伝えてくれた。
 そこで、私達は移動することにしたのだが、実はこれが状況によっては大博打になるということを知ることに。

 まず、一番近い区役所を目指したが、歌舞伎町のど真ん中にある為に、場合によっては怖いことだった。しかも、私達はそこでそれがガセネタだったことを知らされた。

 警備員のおじさんが、訪ねて来た人々に、区役所は受け入れをしていない。こちらへ行くように、と地図を手渡していた。NHKが間違った情報を伝えていたのだ。その後、地図を渡されて移動した人の中には、迷って辿り着けなかった人もいたようだ。
 渡された地図を頼りに、私達は”新宿区文化センター”という所へやって来た。

 中は薄暗く、警備員のおじさんが立っている他は特に案内してくれる人もおらず、ただ一枚の貼り紙”4階を解放しています。”があるだけだったが、暖かく、静かでほっと出来る感じがした。

 恐らく、特別に泊まり込みをしてくれているのだろう。女性の職員さんらしき人が、お湯とお茶と少しのお菓子を用意してくれた。

 しばらくして毛布も配布してくれたので、姉は床に横になって休むことが出来た。床は絨毯だったので、冷たくもなく、比較的静かで過ごしやすかった。

 余震が無ければ―

 断続的に揺れが来ていたので、眠ることなど出来ずにいたのだが、突然警戒音が鳴り響いた。

―緊急地震速報です。強い揺れに警戒して下さい―

 寝ていた人々が一斉に起きた。そして揺れが始まった。ところが…

 殆ど揺れなど感じずに終わってしまった。何なのか、という感じ。

 実はこの様なことがかなりの頻度であったのだ。こちらが地震を感じる方が地震速報を聞くより早かったり、もっと大きな揺れが頻繁にあるのに、それには反応が無く、速報があった時の揺れは大したことがないという…。
 警報が鳴る度に緊張が走り、心臓に悪いことこの上ない。この緊急地震速報というもの、果たして必要なのか。やたらに恐怖心を煽り、ストレスを与えるだけにならないか?

 後でせっしーに聞いた話では、なんとこの緊急地震速報のシステム、初めの地震の一撃でイカレてしまったらしいのだ。それならやたらに鳴らすのやめて欲しいなあ…。

 話を戻すが、結局私達は朝の6時までその文化センターで過ごさせてもらい、その後、復旧したという東京メトロ副都心線と東武東上線で帰ることが出来た。

 文化センターを出る時、出入口で職員の方々がカンパンの配布を始めていたが、私達は困っていたわけではなかったので、頂かずに出て来た。
 後で分かったことだが、私達はこちらへ来られてとても運が良かったのだ。

 妹せっしーはその後、成増まで徒歩で帰り(信じられない!)、その後捕まえられたタクシーで帰って来たが、なんと私達の家周辺は停電していて信号も点かず、まるで無法地帯の様だったそうだ。
 彼女はそのまま息子である甥っ子Bの提案で実家へ行って休んだそうだ。
 実家は書物は落ちたものの、両親共に怪我もなく、無事だったことが帰って来てから分かった。

 長男甥っ子Aは友達の家に避難していて無事。ただ家の中はめちゃめちゃだと言っていた。

 そして、おんぼろマンションに近づきつつ、私達の気持ちは沈み、少々憂鬱に。友人からのメールでも、家の中がひどかったとあったので、自分の家だけが無事なんて都合のいい話は無いだろう。
 恐る恐る鍵を開ける。玄関先に据えてある女神様の祭壇は…なんと!無事!花瓶も倒れていない!
 私の部屋は雑誌が散乱していたものの、クローゼットも本棚も無事だった(後で中を見たら酷かったが…)。
 そして、台所を開けると……ああっ!
 私達は靴を履いて入り直した。ガラスの破片が散乱していたのだ。

 カップボードに飾ってあったグラスやカップ&ソーサーが見事に落下。お気に入りのウェッジウッド\16,000が木っ端に!
 他にも、私らには高価だった土産物のおちょこや非売品のディズニー、スーベニアグラス等が粉砕のうきめに合っていた。
 が、奇跡の様に無事だった物も。

 そして…パソコンである。そろりそろりとと部屋に入った。

…パ、パソコンは…無事だった…

 プリンターもテレビも無事だった!本は散乱していたが、クローゼットも大丈夫。だだ、胡蝶蘭が落下物で傷つけられていたのが…(泣)。

 そうしてみけと私は休む間もなく掃除をし、冷蔵庫もチェックしたが特別異常も無く、胸を撫で下ろしたのであった。


 その後、あの夜に都庁へ行った人の話を聞いた。
 尋ねて来た帰宅難民の方々は段ボールを配られ、外気の入る寒い場所で毛布も借りられず、水も無く、カンパンの配布も無かったそうだ。有料の公衆電話には長い列。
 お年寄りや子供もいたというのに、それはあまりではないか。

 今回の経験で多少なりとも分かったのは、被災した当人達程情報が入らないということや、テレビの情報も外れている可能性がある、ということ。もしかしたら、自分の勘の方が余程正しいかも知れないのだ。

 今回はまるで避難訓練の様なケースだったが、本当に廃墟の様になった東京の街は、とても恐ろしいかもしれない。

 地震や災害。私は決してそれらを他人事だとは思っていなかったが、やはり経験しないと分からないものだと実感した。

 地震はまだ続いている。

終わり。
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