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私が死んだ夜

今年も後3週間余り。

本当に今年は激動の一年だった。

実は今年の初め、私は自分の年間手帳にこんな書き込みをした。1年後の2012年1月のページに自分へのメッセージだ。

どうしていますか?
少しでも望みのものに近づいていますか?

まだ一ヶ月近くもあるけど、これだけは絶対書き込む。

震災があったよ。んで、今核戦争中(苦笑)。
こんな形で核戦争が起こるとは思わなかった。
原発が爆発したんだよ。
願い事は…手放した。
手放さないといけなかった。

私には命に換えてでも叶えたい望みがあった。20年近くも心の底に潜めて忘れた振りをして来た望み。
けれど、カバラーを始めた時、図らずも浮上して来たこの小さな思いを私は無視出来ずに正面から向き合うことにした。きっと意味があるのだと思って。

ところが一年前、ちょうど冬至の日の夜、太陽が死んで甦ると言われるその日に、私の望みは跡形もない程に粉砕されてしまった。

その夜、私は死んだのだ。

砕けた"望み"を掻き集めて抱きしめる様にして、私はこの一年を過ごして来た。そしてその間、世界は信じられない様な事態に巻き込まれて行った。
偶然にも、私のカバラーの先生が、今年初めのサバトで講義したテーマはなんと「死ぬ計画」。
そこで私も先生のお話を参考に計画を立てた。自分の「死ぬ計画」だ。その詳細はこのブログにも書いた。
参照mblg.tv

冬至の日の、あの衝撃でどの様に自分を立て直せば良いのか分からなくなっていた私は、一年後、自分がこの世にいないと想定し、心残りの無い様、やるべきこと、やりたいことを全てやってしまおうと計画したのだった。

それから2ヶ月もしないある日、私は美しい川を渡りかける夢を見た。
本当に本当に美しい夢で、私は途中で目が覚めてしまったことをかなり不満に感じたのだった。

3.11は、その二日後だった。

それから私はとにかく決めたことを進めようと必死で、毎月の様に入ってくる"再び巨大地震"の情報に焦りながら毎日を過ごしていた。

心の底に、砕けた"望み"を抱えながら。

死んだ我が子の干からびた亡骸を、いつまでも抱え続けるチンパンジーの母親の姿が、自分と被って見えた。

決めた目的は、決してスムーズに進まなかった。次から次へと不具合が起きる。しかも理不尽だったり、不親切だったり…。地震に対する恐怖と焦り。そしてついに疲れ果ててしまった。

そんな時に、今年始めに相談に乗って頂いたアストロロジャーであり、タロットリーダーでもあるNさんの所へお邪魔した。

"ほんとに極端だね〜(笑)"と、Nさんに言われた(ーー;)。

"恐怖に駆られてやってもいいものなんか出来ないよ〜。地震で死なないから、落ち着いて楽しみながらやらないと"

Nさんにそう言われて脱力。時期は来てるから、じっくりやんな〜、と言われる(笑)。

その後、タロットを引いて頂いたのだが、その時私は心に抱えた"望み"を手放すべきか、と質問した。何故今更そんな質問を選んだのかと言うと、Nさんの御宅へ伺う直前、こんなニュースをやっていたのを見たからだった。

オウム裁判だ。

最後の被告人の刑が確定したというニュース。その中に、ある被告のこんな手記が紹介されていた。

"認めてしまったら、ポアではなくなる。そうしたらただの殺人になってしまう"

この期に及んで、まだ教祖に対する信仰を捨てられない心境を語っていた。
もしも、自分が間違いを認めてしまったら、自分達が世界を変えようと、そのために必要な犠牲だと信じていたものが、ただの殺人になってしまうというのだ。

愚かだな、と思いつつハタと思った。

私も同じなのかもしれないと…。

20年近くも思い続けた思いが無駄だと思いたくなかった。意味があり、いつの日か行き着けるのだと信じていたかった。

でもそれは、自分の行いを殺人だと思いたくないが故に、愚かな幻想にしがみつくあの人達と変わらないのかもしれない…。

そう思い、改めてタロットに聞いてもらったのだ。

Nさんは展開したカードを見つめながら、傷ついたんだねぇ、と言った。

そう私は傷ついた。
愚かな思いを持ち続けた自分に…。

カードは自分を癒して次に行く様に薦めていた。

やっぱ、そうなんだ。

そうして、私は自分の思いを手放すことにした。

今年の冬至の日には、自分が生まれ変わる儀式をしよう。

来年は…どんな年になるのだろう…。

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