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唯一神の正体(3)(4)

前回の続きです。

例によって、某ロッジに掲載した日記からの転載です。
3回目と4回目をアップします。よろしかったら読んでちょ(^ ^)。

***********

ー第3回目ー
 ー真・女神転生シリーズというゲームがある。

神と人間。そして悪魔たちの三つ巴をテーマに、人間とは何か。悪魔とは?そして神とはどんな存在なのかに迫ったゲームだった。
 そのゲームの中に、一瞬だがルキフグスという上級悪魔が登場する。彼は大魔王ルシファーの命令であるものを作っていた。
それは…

”マッカ” ー

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 こんにちは。ミスランディアです。一応通称はみらですw。先回の表示、大不評につき、今回は通常テキストモードでお送りいたします(´;ω;`)。

 さて、時は巡ってAC300年頃。ローマ帝国は、四つに分断されていた国を一つにするために、異教として迫害の対象にあったキリスト教を許可します。皇帝の座を巡っての争いで、十字の印をつけた軍が勝利するというキリスト教徒であった母親の観た予知夢を信じたコンスタンティウスが、その通り勝利したからでした。
 しかしこの時、キリスト教には二つの流れがありました。一派はイエスキリストをメシアとして崇め、更に具現化した神そのものとして盲目的に従う者たち。そしてもう一派は、聖書の記述を古代密儀のユダヤ版であるとし、神とは自らの中に存在し、人生の究極の目的とは自身の内なる神を”認識(グノーシス)”するものだ、とするいわゆるグノーシス派の二派。この二つの流れのどちらを国教として採用するかで争いは激化。過激な争いを繰り広げたもののそう簡単に決着はつかず、ついに反グノーシス派の急先鋒アタナシウスはある策に打って出ます。

 アタナシウスとその同志たちは、態度を決めかねている市民の代表者、古代哲学や密儀に疎い者達(いうなれば無党派層w。)をある会議に招集し、彼らに熱弁をふるいました。しかし、反応はいまひとつ。そこで彼は奥の手を使ったのです。

”見よ!今私はこの手にキリストの血を持っている−”

 何もないはずのアタナシウスの手のひらから何と血が流れ出し、したたり落ちたのでした−。




手品です(笑)。

 しかし、この奇跡に聴衆は驚愕。彼らは皆アタナシウスの側につき、この時からグノーシスは排除の対象となったのでした。この会議によりキリスト教徒の定義がなされ、キリスト教徒とは次の者達を指す、と定められました。

−使徒信条−

我は天地の造り主
能わざるところなき父の神を信ず

我はその一人子
我らの主イエスキリスト
即ち、聖霊によりて孕める処女(おとめ)マリアより生まれ
ポンテオ・ピラトの時苦しみを受け
十字架に付けられ
死にて葬られ
黄泉に下り
三日目に死ねる者の中より甦り
天に昇り
能わざるところなき父の神の右に座し
また生ける者と死ねる者とを裁きせんために
かしこより来たりたもう主を信ず

我は聖霊を信ず
我は聖なる公会と
聖との交わりと
罪の許しと
身体の甦りと
限りなき命とを信ず

 これがあの有名なニケア会議で定められた使徒信条(ニケア信条)です。クリスチャンたちは今でも集会の時にこれを読み上げ、自らがクリスチャンであることを宣言します。

 さて、ここで疑問です。アタナシウスのしたことは、明らかに嘘であり、彼自身が神なんぞ信じていない証拠です。なのに、何故彼はこんなことをしでかしたのでしょう。

 彼はこのままでは国が亡びると恐れたのです。国を強固にまとめ、諸外国からの侵略などから守らなければならない。内なる神なんぞ探すよりも、国を守り安泰に保つことが何より大事だと考えたからでした。
 そして、ローマを強い国とするために、国家が全てに介入していったのでしょう。軍事のみならず、経済、教育、文化。目に写るものが全てにおいて最優先。国民も一部を除いてはこの状況を有難がり、皆こぞって強く、豊かな国のために働きます。経済システムが構築、強化され、お金の流通が盛んになります。貨幣には王の権限が隅々にまで行き渡っていることを示す様に、その時代の支配者の横顔が彫られました。

まるで、生命の木の最高位セフィラー、ケテル(王冠)のイメージの様に…。

ー第4回目ー
 こんにちはミスランディアです。
この項も4回目を迎えました。書き方によっては後2,3回は続きそうです。

 さて、ニケアにおいてキリスト教の概念と信徒のひな形が決定され、排除の対象となったグノーシス派ですが、この争いはその後も蒸し返されグノーシス派による組織団体も結成されていきます。カトリック側は”神の名の下に”戦闘集団を送り込み、グノーシス派を追い詰め組織を壊滅に追いやりました。その滅ぼされた多くのグノーシス派の中で、最も最後まで戦い、死闘を繰り広げたのがあの有名なカタリ派でした。
 しかし、カタリ派は壊滅したものの、生き残った人々が吟遊詩人などになって各地を放浪し、密かにグノーシスの教えを伝えて行ったのでした。カトリック側はこのことに非常に神経質になり、グノーシス派の追跡を始めます。
 カトリックはキリスト教の布教の名の下にあちこちに宣教師を派遣しますが、実のところその真の目的は完膚なきまでのカタリ派の撲滅であり、あの十字軍もカタリ派を駆逐するために結成されたのだそうです。
 そして、その宣教師の代表がドミニク・グスマンという司祭で、彼はその功績を認められて大司教となり、後に列聖され聖人となるのですが、何を隠そうこの人物こそが初代の異端審問最高責任者でありました。

 日本では馴染みのないこのドミニク・グスマン。しかし、私達は意外なところで彼の賛歌を耳にします。どういう訳かグルメ番組。しかも、焼き肉が出て来るシーン。

♪〜ドミニ〜ク、ニクニク…

知ってます。子供の頃讃美歌としてよく聴かされました(怒)。そして、歌わされました(怒)。

♪〜ドミニ〜ク、ニクニク心優しく〜、強〜い人で〜全ての人の幸せのため〜歩くのでした〜。
よその国の悪い人達もドミニクの話を聞きました〜
♪〜ドミニ〜ク、ニクニク貧しいけれど〜いつ〜もい〜つ〜も〜…




 すいません。あと忘れましたww(^▽^;)>☆\(ーー)。

 この歌に乗って、カミサマの御言葉を伝えながら、グノーシス派を虐殺してたんかい!(怒)(怒)(怒)(怒)
 え〜、こうしてここで後の魔女狩りに繋がる聖邪判別省(異端審問)が発足し、時期を同じくして神殿騎士団(テンプルナイツ)が誕生するのです。

 テンプルナイツについては様々な伝説があり、一部グノーシスとの関連が見られる部分もあります。彼らの最後は悲惨なものでしたが、このテンプルナイツが後世に残したもので非常に重要なものがあります。その一つが建築技術。そしてもう一つが金融システムです。
 テンプルナイツは、彼らが世界中の何処にいてもその活動が円滑に行えるようにとテンプルナイツの拠点を各地に作り、そこで彼らのお金を自由に引き出せるようにしました。そう、今の銀行の原型です。このようなシステムのお陰もあり彼らはとてつもない巨大な組織になりました。しかも、宗教組織でもあったため、税金を納める義務も無く、やがてそれは他の権力者達の妬みを買います。
 そして、彼らは異端の罪を着せられ断罪されます。テンプルナイツは壊滅。資産は没収。異端審問を逃れた者たちはアフリカなどに渡ったと伝えられます。
 テンプルナイツが残したもの。それは多くの謎と資産と伝説と、斬新な金融システム。権力者達は、迫害した者達から利益を増やす多くの物を奪い取ったのです。

つづく。

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唯一神の正体

1月の記事が新年の挨拶だけとなってしまいました。
実は、某ロッジのほうでなかなかの大物を検証してまして、その他にも色々あったせいで更新が遅れ気味ざんすw。
そこで、今回はその連載をこちらでも紹介します。大切なことだと思うし。


まず始めは記述の1と2を、まとめて掲載します。興味のある方はどうぞ(⌒▽⌒)v

唯一神の正体
<記述1>

私が映画監督なら、いずれはこんな映画を撮るだろう。

━神とは何か?
━何処にいるのか?
そして、その正体とは・・・?

 ポスターはこんな感じ。真っ黒な背景に金貨が一枚。そこに描かれた横顔の人物像。髭をたくわえた古代の王の横顔だ。

 PVは、地球が映り、世界が映る。人々が映る。現代から遡り、古代が映る。
そこで人々は戦っている。口々に叫ぶ。”我らが主のために!”
戦い戦い戦い…。運び込まれる戦利品。値をつけられる女子供。泥だらけで奴隷労働する人々。唸りながら回る巨大な時計。
んで、タイトル。

”The God〜王の王、主の主”

 カバラーの生命の木最上位に位置するセフィラー、ケテル。その魔法イメージは髭を生やした古代の王様の横顔。

 物語の冒頭。舞台は古代の島国。そこには二つの山があり、麓に住む人々はその山神を信仰している。

東側、おむすび山のおむすびさま。
西側の、金時山の金時様。

 ある時、水を巡って両麓の住民同士で争いになった。初めはちょっとした小競り合いだったものが、次第に深刻化。ついに全面戦争に。彼らは互いに罵り合い、互いを威嚇した。

”やい!この恩知らずの腰抜けども!よく聞け!我々には偉大な神がついている!泣く子も黙るおむすびさまだぞ!”

すると相手も負けてない。声を上げて怒鳴り返す。

”この哀れな愚か者どもめ!我々の神を知らないな?全知全能この世界を作られた鬼も逃げ出す金時様ぞ!恐れ慄いてひれ伏すがいい!”

こうして米と小豆で大戦争。しばらくたって、埒があかないからもうやめようという者が現れるも、今更おめおめと引き下がれぬといつまでも戦は続いたとな。

 翻って世界の果て、沙漠の大地でも同じようなことが起きていた。

”バアルよ、バアルよ!答えて下さい!”
”我が神よイスラエルの主よ…!”

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明けましておめでとうございます。ミスランディアです。今年もよろしくお願いします。ついに2012年ということで、今回この三次元物理世界において、ラスボスともいえる”唯一神”の正体に迫ってみたいと思います。
 私も多少なりとも生きておりますと、様々な事柄に巻き込まれたりします。そして、その中で”ああ、そういうことか…と合点が行くこともあります。決して快い話ばかりではありませんが…。
 カルト的なキリスト教系の家庭に生まれ、いろんな思いをしながら”変な日本人”に出来上がった私、ミスランディアがこれまでの体験とそこから得た知識を武器に、唯一神に迫ってみます。

なんですが

何分テーマがテーマなので、一回の書き込みでは終わりませんw。何回かに分けての投稿となります。あしからずm(__)m。

1、ユダヤ人とは。

まず、この話をするにあたって説明をしとかないといけません。
陰謀説にも引っ張り出されるユダヤ人ですが、一体ユダヤ人とはどのような人々なのか…?
 一言で言ってしまうと、ユダヤ人とは血筋ではなくユダヤ人の唯一神ヤハウェと契約した人々を指します。勿論、太古のユダ王国の末裔も含まれますが、後にユダヤ教に改宗した人々(黒人でも白人でも)ユダヤ人として数えられます。
 そして彼らの信仰する神、ヤハウェですが、このヤハウェこそが唯一神騒動の発端であります。

が!

実はここで言っている唯一の神とは、”ユダヤ人にとっての唯一の神”であり、他に神はいないなどと言ってはいないんです。
 つまりある人にとって夫、妻が一人であるというのと同じ理屈。旧約聖書を読んでいると様々な場面でカミサマがユダヤの民に”他の神を拝んではならない、私に忠実であれ。そうすれば私はあなた方に栄光と限りない豊かさを与える…”などと言っていますが、例えるならそれは自分の奥さんに旦那が、「言うこと聞けよ。浮気するなよ。そしたらいい思いさせてやる!一生何不自由無く暮らさせてやる〜」と言っているのとあまり変わりませんw。

 要するに、ユダヤ民族はヤハウェというカミサマと契約したのです(だから旧約聖書という)。ユダヤ人は契約した以上、従わなくてはなりません。この契約の場所がシナイ山と言われています。つまり、ユダヤの人々は、他のカミサマと契約する自由もあったわけです。

 さて、ではこの契約した神さんとはなんぞ?という話になってきますが、それは…。

<記述2>

あまり遅くなってもあれなので、書ける時にはちゃっちゃと進めようということで、前回の続きです。
 さて、シナイ山でヤハウェと契約を交わしたユダヤ民族ですが、彼らが契約した唯一神とはなんなのでしょうか。
当時、世界各地にはたくさんの神々がおりました。タゴン、アシタロト、バアル…。それは各々ゆかりの土地で信仰されてきた神です。つまり、土地神様です。遥か昔、人々は自身の周りに溢れる圧倒的な世界に神を見出し、畏怖の念と共に生きていました。災害が起きると人々は集まって祈りを捧げ、自然と共に生活していたのです。
 ところが、前記事冒頭の様に戦などが起きた時、人々は自分たちの”世界”を守るためその意志と力を意識的に強固なものにする必要に迫られます。そこで、いわゆる土地の守り神などを憑代にして、民族の意識を一つに練り上げ、大きな自然の力を自分たちのものとして使える様にしたのです。
 こうして出来上がった集合意識が”神”です。よく言われる国の守護神などはこの類で、彼らは人の意識の投影であるがゆえに人の形をしている。すなわち人格神です。シナイ山の山神サマも思いっきりこの類です。

が!

ここでひとつ解説しておかなくてはなりません。
ユダヤ人の神と歴史について書かれたといわれている旧約聖書ですが、これは本来カバラーの知識を得た者に向けて書かれているため、その知識が無ければ読み解けないようになっています。ですから、一度カバラーの神について説明しておきます。
っていうか、以前カバラーの講義の時に解説したことですが、忘れてしまった方のためにおさらいしておきます。
 
カバラーの神とは、生命の木の最上に位置する最高位のセフィラー、ケテルに坐した古代の王様…ではなく、生命の木全体を指すYHVHで表された宇宙のシステム全体を指しています。髭を生やし、杖を持った怪しいじいさまではありません(笑)。カバラーの神は数字の神です。テトラグラマトン。完全数10です。
 ぶっちゃけた話、実のところ多神と一神は同じもので、世界のあらゆるところに神を見出すと言えば多神となり、それらが全てひとつから出たと言えば一神になる。本当は同じことを言っているんです。
 
 さて、今でこそ世界で有名なユダヤ民族ですが、元々はとても小さな集団で、それがゆえに結束が固く、独特の世界観を用いて自分たちの存続を守ろうとしました。
 私達日本人を始め、ネイティブアメリカン、アボリジニ、古代ギリシャ、エジプト、メソポタミアなどなど、殆どの民族はその文化に死後の世界観を持っています。しかし、ユダヤの文化にはそれがありません。死後の世界という捉え方がないのだそうです。
 彼らにとって最も重要なことは、きちんと結婚して子孫を残すこと。とにかく精一杯無難に生きて(笑)、大事無く次の世代に引き継ぐこと、なのでそうです。
 彼らは自身をユダヤ民族の大いなる細胞の一部と考えていて、全体が生き続けるためにその役割を果たすと認識しているということです。ですから、死んだら終わり(笑)。後はナシ!ww。
 ところが、その無いと言われている世界を知っているわずかな人々がその中にいました。一部の長老たち。ユダヤ教の聖職者の上層部です。彼らはある知識を用いて民を動かしていました。

カバラーの知識です。

 その当時、カバラーは門外不出の秘術。密議中の密議でした。長老たちは民には一切その秘術を教えず、民族存続のために駒の様に民衆を動かし続けました。

 やがて、時代が進み多くの国が生まれ、同時に戦も増えるようになりました。国を強固にするために、国を治める者は効率的で頑強な国の運営システムを構築しなくてはならなくなりました。
 そんな時、あちこちにちらばり、それでも自分たちのスタイルを変えようとせずに、かたくなに独特の文化を継承していくある民族の姿が目に入りました。権力者たちは思いついたのです。

これは使える…と。

つづく。

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謹賀新年!

明けましておめでとうございます(⌒▽⌒)。昨年はこんなアホらしかブログにお付き合い下さり、心から感謝申し上げますm(_ _)m。

え〜実は物凄く忙しくて、なかなか更新が出来ません(泣)。書きたいことは山程なんですがね、先月はとうとう一度しか記事をアップ出来ませんでしたが、近々何とか新記事をアップしたいと考えてます。

月並みですが、今後ともよろしくお願い致します。
良い一年となりますように。

…。
…。

早速地震あったね…。今年も一筋縄では行かないかもな〜(ーωー;)。

私が死んだ夜

今年も後3週間余り。

本当に今年は激動の一年だった。

実は今年の初め、私は自分の年間手帳にこんな書き込みをした。1年後の2012年1月のページに自分へのメッセージだ。

どうしていますか?
少しでも望みのものに近づいていますか?

まだ一ヶ月近くもあるけど、これだけは絶対書き込む。

震災があったよ。んで、今核戦争中(苦笑)。
こんな形で核戦争が起こるとは思わなかった。
原発が爆発したんだよ。
願い事は…手放した。
手放さないといけなかった。

私には命に換えてでも叶えたい望みがあった。20年近くも心の底に潜めて忘れた振りをして来た望み。
けれど、カバラーを始めた時、図らずも浮上して来たこの小さな思いを私は無視出来ずに正面から向き合うことにした。きっと意味があるのだと思って。

ところが一年前、ちょうど冬至の日の夜、太陽が死んで甦ると言われるその日に、私の望みは跡形もない程に粉砕されてしまった。

その夜、私は死んだのだ。

砕けた"望み"を掻き集めて抱きしめる様にして、私はこの一年を過ごして来た。そしてその間、世界は信じられない様な事態に巻き込まれて行った。
偶然にも、私のカバラーの先生が、今年初めのサバトで講義したテーマはなんと「死ぬ計画」。
そこで私も先生のお話を参考に計画を立てた。自分の「死ぬ計画」だ。その詳細はこのブログにも書いた。
参照mblg.tv

冬至の日の、あの衝撃でどの様に自分を立て直せば良いのか分からなくなっていた私は、一年後、自分がこの世にいないと想定し、心残りの無い様、やるべきこと、やりたいことを全てやってしまおうと計画したのだった。

それから2ヶ月もしないある日、私は美しい川を渡りかける夢を見た。
本当に本当に美しい夢で、私は途中で目が覚めてしまったことをかなり不満に感じたのだった。

3.11は、その二日後だった。

それから私はとにかく決めたことを進めようと必死で、毎月の様に入ってくる"再び巨大地震"の情報に焦りながら毎日を過ごしていた。

心の底に、砕けた"望み"を抱えながら。

死んだ我が子の干からびた亡骸を、いつまでも抱え続けるチンパンジーの母親の姿が、自分と被って見えた。

決めた目的は、決してスムーズに進まなかった。次から次へと不具合が起きる。しかも理不尽だったり、不親切だったり…。地震に対する恐怖と焦り。そしてついに疲れ果ててしまった。

そんな時に、今年始めに相談に乗って頂いたアストロロジャーであり、タロットリーダーでもあるNさんの所へお邪魔した。

"ほんとに極端だね〜(笑)"と、Nさんに言われた(ーー;)。

"恐怖に駆られてやってもいいものなんか出来ないよ〜。地震で死なないから、落ち着いて楽しみながらやらないと"

Nさんにそう言われて脱力。時期は来てるから、じっくりやんな〜、と言われる(笑)。

その後、タロットを引いて頂いたのだが、その時私は心に抱えた"望み"を手放すべきか、と質問した。何故今更そんな質問を選んだのかと言うと、Nさんの御宅へ伺う直前、こんなニュースをやっていたのを見たからだった。

オウム裁判だ。

最後の被告人の刑が確定したというニュース。その中に、ある被告のこんな手記が紹介されていた。

"認めてしまったら、ポアではなくなる。そうしたらただの殺人になってしまう"

この期に及んで、まだ教祖に対する信仰を捨てられない心境を語っていた。
もしも、自分が間違いを認めてしまったら、自分達が世界を変えようと、そのために必要な犠牲だと信じていたものが、ただの殺人になってしまうというのだ。

愚かだな、と思いつつハタと思った。

私も同じなのかもしれないと…。

20年近くも思い続けた思いが無駄だと思いたくなかった。意味があり、いつの日か行き着けるのだと信じていたかった。

でもそれは、自分の行いを殺人だと思いたくないが故に、愚かな幻想にしがみつくあの人達と変わらないのかもしれない…。

そう思い、改めてタロットに聞いてもらったのだ。

Nさんは展開したカードを見つめながら、傷ついたんだねぇ、と言った。

そう私は傷ついた。
愚かな思いを持ち続けた自分に…。

カードは自分を癒して次に行く様に薦めていた。

やっぱ、そうなんだ。

そうして、私は自分の思いを手放すことにした。

今年の冬至の日には、自分が生まれ変わる儀式をしよう。

来年は…どんな年になるのだろう…。

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最近確信したこと

成長することは嬉しいことだけれど

辛い別れがあったりするよね。
青春時代が輝かしいのは、もう二度と無い一瞬の美しさがあるからなんだろうなぁ。

最近、ちょっと気づいたことがある。というか、改めて確信したと言うべきか…。

実は今朝、独りでつらつら考えていて、突然気づいてしまった。

きっかけは、某コミュニティにてふうさんが全員に公開した日記の内容。
はっきり言ってしまうと、早い話がまあヌーソロジーなるものについての問題点をハーイ\(^o^)/しちゃったんだなこりゃ(笑)。

原爆投下とも言えるこの発言(笑)。私は"言っちゃいますか?"って感じで読ませて頂いたのだが、さすがにふうさん。決して乱暴な物言いをせず、淡々と丁寧な語り口で綴ってらっしゃいました(笑)。

んで、それに対する反応も、丁寧で真面目だな〜みんな…っていうのが私の率直な感想でした。
それで、反応の内容も皆同じことを感じ、何とも言えないモヤモヤを抱えていたらしく、ふうさんに同意する意見が続々上がっていました。そして、私はそこでもある意味ヌーソロジーの持つ最大の問題点が露呈されているのを見た気がました。

ヌーソロジーの問題点。

1.名称が、ギリシャ語として甚だしく間違えている。

2.ふうさんのご指摘の様に、どっ散らかったままの情報が野放し。

3.言い出しっぺの半田さんが、この手の話をスルー(これが最大の問題点と思われ)

そこで私はふうさんに個人的にメッサージュを送り、

"いいんでね?ほっとけば。ぬーそろじぃってばにんげんさまのりろんじゃけぇ、カミサマんとこさいきてぇやつはぼっちであるくみちさいくんだべよぉ。わけわかんないままかおすのままでええとはんちゃんばいっとるしぃ、わたしらはじふんだけでいくしかねぇんだばよぉ〜。"

と伝えたのでした(笑)。

んで、その話から心の中で色々考え、私達はそもそも何を求めてこんなに苦しんでいるんだ?と、改めて考えていたのでした。
最近何となく思っていたことは、人は真に求めるものは得られない様に出来ているのでは?ということ。それが人生の目的だから、なかなか手に入らなくて当然。手に入った時点でGameOver。そう思って気がついた。

手に入ったら人生おしまい。もしくは新たな学びへ移行…これは何を意味するのだ?

この世はGameとはよく聞く言葉です。ハラハラドキドキのGame。奪うか奪われるか、食うか食われるか。この世界に生まれ落ちた者達は、皆Gameの参加者。だから、クリアするまで終わらない。

もうやめよう!こんなスカポンチンな世界!穏やかで幸せな神の世界へ行くのだ!

そう言って、色々なスピリチュアル情報を仕入れたり、宇宙人の来訪を信じたり、空中啓挙を期待したり皆さんそれぞれ正しいと感じる道を模索している。
そんなスピリチュアルな情報の中に、よく知られているこんな考え方。

ー人間の意識進化。

これから私達は人間という次元を上昇させてヒトを超え、新たな存在となるーという考え方だ。
この思想の根底には、肉体に縛られているが故に、私達は餓えや欲望に悩まされ、やがては争い世界を滅ぼしてしまうという、一種の原罪意識があるんでないかと思う。
んで、そんな感受性の強い方々が、肉体から解放されるべく様々な哲学や思想を作り出し、ヌーソロジーもどうやらそういったものと同じ様にして生まれて来たような気がする。
そういう訳で、その手の思想類は皆人間進化を目指している訳だが、どーにもこーにも上手く行かなかったりする。それは何故か。

かくいう私もそんな方々と同じ様に、人間の次元を出て解放されたいのだ。カバラーは人間がこの世から解放され、神(一なるもの)帰るための地図である。カバラーなんぞやっているのだから、当然私も一なるものに帰りたいのだ。

なのに、何故いつまでも辛いのだろう。

そんなことを考えていてハタと府に落ちてしまった。

なんだかんだ言いながらも、私達は縛られている。
宇宙の真理を追求したいという欲求さえも、執着なのだ。
つまり、それもGame。しかも人が参加するのは一つのGameとは限らず、色んなGameに同時進行している。そしてその中にはもうやめにしたいGameもある訳だ。つまりこんな風に。

失恋Gameはやめたい。でも、金持ちGameは続けていたい。

やめたいGameと続けたいGame。皆が争って三つ巴(笑)。その摩擦から苦しみが生まれるのではないかしら?

本当にこの世から解放されたければGameそのものをやめなければならない。そのGameをやめる方法がカバラーであったり、哲学であったりするのじゃないだろうか。

人間の意識から離脱する方法。

それは実は一人一人違った道が与えられていると考えられ、ある程度の他人と共有出来る次元を出ると、そこからは独りで行かなくてはならない。GameOverの後はひとりぼっちなのだ。

人は無意識で孤独になることを恐れ、だからこそいつまでもGameにこだわってしまうのではないだろうか。
私のカバラーの先生は、それをこう話して下さった。

"ティフェレトまでは師匠が導ける。そこから先は、自身の女神に導いてもらうのだ"

だからふと思った。ヌーソロジーは人間の為の意識科学なのだから、人間の領域でぐるぐるするのは当然で、それでもいいじゃない。

Gameが楽しければ続ければいいし、別に悪いことではない。しかし、もしも先に進みたければ独りの道を怖がってはならない。
そして、その孤独の道を照らすものこそが…

"歓喜"

なのだ。

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