道中記というものがありますが。ここでいうのは自身の旅の記録の意。
昔の日本人って結構書いていたようです道中記。別に有名な著述家でなくその辺の市井の人でも、それ故誰に見せる予定はなくとも、滅多にない旅のことは少なくとも自分の為には残したかったのか結構書きのこしていたようです。そしてそれが後世に残ると重要な資料になってたりします。寿命の長い和紙と昔から高い日本の識字率のおかげで過去の様子が伝わっているのです。素晴らしき日本文化。
ですがこれまた「いらない紙は障子紙に使ってしまう」という日本文化のお陰で残っている率はけして高くないですが。歴史上の人物の日記なんかも良くこれの餌食に。

なんでこんなことを書いてるかというとまた道中記書きますよということです。リベンジ妻籠編。
なんだか間のことを書いてないせいで続いている話のように思われそうですが、前回から二週間後のお話です。

この前行ったときにどうしても泊まってみたくなってしまったので、そしてこの前は現金を持っていなかったという致命的なミスの為に資料館系に全く入れなかったので舞い戻ってきました妻籠。今回は歩いたりせずに一気に馬籠からバス。「馬の背での旅ほど楽なものはない」なんて子規さん木曽路道中記で書いていましたが、いえいえこっちのが楽ですとも。

そうして訪れた妻籠は、雨が降ったりやんだりで、この前の暴力的な晴天下で見た印象とはまた一転。しっとり濡れた艶やかな街並みです。

とりあえず宿に荷物を置きに。本日泊まる宿は松代屋という有名な旅籠です。なんと創業は(判っている範囲で)1804年。…ナポレオンがフランス皇帝になった年ですね。
この妻籠という宿場町がバリバリの現役だった頃から変わらず宿として旅人を泊め続けているのです。幾人泊まったのか検討もつきませんが、本日その一人になってきます。

創業は古くとも建物は立て替えちゃってて見る影もなし、ってところは多いですが、ここは元のままを売りにしているところです。特に玄関のある母屋の部分は一番古いらしくて、床がギッシギシ。天井の梁なんかも煤けて黒光り。低い鴨居。漂う本物感。こういうところに止まりたかったんだと嬉しくてたまらない。
とはいえ日本家屋は畳と障子が綺麗ならそんなに古くは見えませんがね。

案内された部屋もその辺が綺麗なので泊まる上での不安はなし。しかし部分が新しくともそもそも構造が旧式なのです。廊下(というか縁側)から部屋への仕切りは障子一枚。隣室との仕切りも障子一枚。その隣室との障子の上、装飾が入った欄間の隙間部分は空いてるのかと思ったらプラスチックが嵌っていた。ここは現代仕様なのね。

しかし窓の部分の障子はこんな感じに開けたらガラスも網戸もなくすぐ外。冬はさぞ寒いだろう。泊めないのかな今は。
そして机やら座椅子やらは新しいけど床の間の板や柱の年季の入りっぷりが。こっちの建物は流石に江戸期じゃないんだろうに。掛け軸がこれまたすごい事になってる。

本当に今まで泊まった中でも一番旧式。和室に泊まったことは数あれど、あれは現代風な和室だったんだなと再確認。部屋というより建物部分が大きく違うのかな。本物はすごいです、外と繋がってるというか「てか、え?全く遮断されてないじゃん」感が半端じゃありません。遮音性も一切なしです。筒抜けです。障子一枚だから隣の人がなにやってるか影でわかりそうだし。そっちも筒抜けです。…日本人の周りを気遣う気質はこういうのも関係してたんじゃ…気遣わない訳にいかないでしょうこれは…。
本物に泊まってみたかったんだから一向にその辺は構わないんだけど、すぐ隣に人入ったら流石に困るなと思っていたら今日はこの宿私しか泊まらないというお話。ビバ平日。その展開狙っていたんだ。

とりあえず荷物を置いてこの前は行けなかった脇本陣その他に行ってこようと思います。すぐ長くなるなー。また次回。