きっと、それは

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VSミニサイズ

三連休の始め2日、昼バイク教習行って夜飲みという生活をしていたら、その二日とも
「え、なんかどうしたの」
「痛いんだよ…!身体中が…痛いんだよ…!」

というやりとりをする羽目になってしまった。筋肉痛。
普通こんなに痛くならないんでしょうが、変な力が入りすぎているようです。

だいたい説明もなしに「じゃあ曲がってー」とかな感じなんですが。「いや曲がれる気がしないんですが」なんて思いながら障害物にぶち当たっていきます。ブレーキかけるとそれはそれで転びます。
「曲がってるときに前輪ブレーキかけたらそりゃ転ぶって」とかちびっ子教官に言われましたが、そういうのを事前に教えるのがあなた達教官じゃあるまいか。何のためにいるんだ君、ねぇちびっ子。

このちびっ子教官(年齢がちびっ子じゃなくてただ身長がミニサイズな成人男子←物凄く失礼)とソリが合わなくてさっぱり曲がれなかったんですが、そして脳内で「お前は何処を指してるんだ、腕が短くてわからんよちびっ子」「ていうか結局どう曲がるんだよちびっ子」とか罵っていたんですが、その後ベテランぽいおじいちゃんに教えて貰って無事に曲がれるようになりました。クランクもS字も。見たかちびっ子。

そういえばこの教習中にオートマ体験もしたんですが…楽。楽すぎる!楽だから楽しい!
瞬時に決心、「自分が乗るのはオートマで良し」
バイク乗りのプライド?知るもんかです。楽が一番に決まってる。

そんな決心をしてしまいましたが取る免許はマニュアル。まだまだ時間がかかりそうです。

そういえば水曜どうでしょうの原付東日本ラリーで大泉さんがバイク初めてでクラッチ操作10分教わっただけでその日200キロいきなり走ったの、そしてそのまま札幌まで(行けたんだっけ?)走ったの、今ならとてもすごいことだったんだなとわかります。
お蔭であの人、クラッチ操作間違ってウィリー事件起こしましたが。そうはなりたくない。

Same Please, Mr.Hemingway

免許取りに行きがてら引っ越す前に通いつめてたブックカフェにまた行くようになってしまい。遠くはないしやっぱり好きなんだここ。

今回行ったらバカルディフェアをやっていた。バカルディとはラム酒のブランド名です。


わーい、と思ってモヒートを頼む。ギリギリ夏の間にモヒートが飲めるとは嬉しい。面倒くさいから自分じゃ作らんし。そもそもクラッシュアイスが無理だ。

名前のとおりな夏の飲み物です。ラムに粗めのクラッシュアイスにソーダ、ライムにたっぷりのミント。それに角砂糖を溶かしながら飲むと。
多分現地じゃこれのジャンルはお酒ではなく清涼飲料水だと思う。

ちゃんとグラスにまでバカルディと入ってるんだけど、メーカーがこういうの持って来るのかなー。「フェアとかしてみません?」って。その割には他で全然見ない。
この前のボンベイサファイアフェアといい、この店ばっかりやってるイメージ。余計通う。

Get your motor running

旅行記の途中ですが、本日バイク初体験でした記念。いや楽しかった。

なんか自分ずっと東京にいることになったので、それなら足に出来るのはチャリか原付かバイクだよなぁ、もうチャリに乗れる程若くもないし(こないだ乗って実感しました)、原付は二段階右折がうざったいしそもそも制限速度30キロって巫山戯んな!逆に事故るわ!ってことで消去法でバイク。足です足。

で、今日教習初日で乗ったんですが…とりあえず重い!思ってた以上に重い!教習車は中型の最重量400ccですが、本当に重い。倒したら起こせるのかこれ。
中型でこんなんって大型はどれだけ…リラがハーレー乗る話書いたけどあれ可能なのかな(無責任な作者)。いやでも実際乗ってる友人だってゴツい子じゃないし…。
慣れると力は要らないそうです。あらゆる場面でテコの原理応用。

乗ったり降りたりエンジンかけたりフラフラしながらもなんとか倒さずに。女が少ないからか単に危なっかしいのかなんか教官私につきっきり。すいません。
しかも自分車の免許はAT限定なのにバイクはマニュアル。なんだクラッチって。

こういう新しい体験してると脳の中で必死に回路を構築してる感がすごく。

「うわーなんだコレ!なんか今までやったことない動きだ!」
「三半規管久しぶりに働けや!なんかとりあえず自転車みたいな感じで!」
「とりあえず一番やっちゃいけないことって何?こっちはそれだけに専念しとくわ!」

みたいに脳の中がわーわーやってる感があるんですが、実際に本体の意識に上るのは「あわわわわ」ぐらい。
サイド外してハンドル直して右後方確認して跨いでクラッチ切ってブレーキも握ってエンジンかけて足踏み変えてローギアに入れてまた足踏み変えて半クラッチに(ローギアは完全に離さない)、とか一々確認しながらやってることも一度ニューロンが組み上がっちゃったら車乗る時みたいに何も考えずに出来るようになるんだろうな。車はもう全然新鮮じゃないもの。バイクはとにかく今新鮮。なんせ初めてだし。

で、その新鮮さ故に手に力が入るとアクセル回っちゃうんだよね。一番力が入る右手の握る部分がアクセルです。回ると自分の下でドルルンッて凄い音鳴るからすぐわかる。「ヤバい、ウィリー事件が…!」って思わず条件反射でブレーキ握らされる音。本当はそれも危ないけど。

一時間しか乗らなかったからこんな感じでした。いやー来週が待ち遠しい。

そういえば周りお子様ばっかりなのかなと恐れていたら、「今まで一歩踏み出せずにここまで来てしまったが…そうだ、俺はバイクに乗るのが夢だったんじゃないか!今からでも遅くはない!」って感じのオジサンも結構いて一安心。女性もチラホラ。

あとプロテクターとかで物々しい装備になった自分を鏡でみて笑そうになった。ガンツみたいだ。

秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて

七日町方面に歩く。すると昔の雰囲気を残したままの通りである。白い漆喰塗りの蔵造りの家に木造の門構えが立派な家。そんな一軒で昼食を食べる。明治時代からの海産物問屋らしい。郷土料理は自分の舌には物珍しい。
骨董屋を覗く。細身で中々状態の良い煙管が気になったが煙草盆とセットでないと売らないという。残念だ。

日差しが厳しい。北にいるというのに東京と変わらない。蝉の声の集中砲火、だけでは済まずに偶に本体が特攻をかけて来る。

盆も過ぎたというのに目指すのは寺。幕末の東軍と新選組三番隊組長である斎藤一が眠るという。
聞けば賊軍の死体は埋葬も許されず放置されていたそうだ。それを密かに運び込んだのがこの寺だと。官軍の命令とはいえ地元の人には良い迷惑だったろう。

阿弥陀寺の名の通り、昔は大きな阿弥陀様の像があったらしいがこの前の戦争の際に供出されてしまったとかで今は台座が残るのみである。その横に供養塔がある。数百柱の東軍が祀られているらしい。その横に他の墓からも離れてポツンとあるのが斎藤一の墓だ。

斎藤一と妻の高尾が亡くなって数年後に建てられたらしいこの墓は、縁も所縁もなかったはずの会津に骨を埋めたいという斎藤一の遺志で出来たという。名前も何度も変えたが「藤田五郎」が墓にも刻まれる最後の名前になった。
小さな墓で、墓前の花も暑さで萎れてしまっている。彼らがここに来た当時もこの暑い季節だったろう。

今まで懸けてきたものが徹底的に壊れてしまっても、終わってしまったことの余剰としてだけ過ごすには、彼のこれから生きていく年月は長かった。彼は絶望するには若すぎた。

仲間の多くが見なかった明治を過ごした。大正の空気もかいだ。それでもやはり、ここで本当は終わっていたという気持ちが、ここに自分の墓の姿をみせたのだろうか。言葉を多く語らなかった人の思いは知れないが。

…はいちょっとお話ちっくにちょっと真面目に書きました。いやー、不真面目な気持ちで斎藤さんの墓行ったからかこの次の日から何かの呪いのように脛が痛くてね!そんなに歩いてないのに今まで痛くなったこともない箇所が、しかも帰ってきても2週間くらい治らなかったという。すいません、ちょっと真面目に書いたんで許して下さい斎藤さん。

しかしこの人本当すごいと思います。自分の知り合い殆ど死んで、今まで必死にやってきた剣術も必要とされない世になって、過去はあまりに重くて濃くて、その過去のおかげでそこらの役人から国のトップにまで恨みを買ってる重罪人で、素性がばれたらいつ殺されるかもわからない絶望するしかない状況のこの人この時せいぜい25歳とかなんだ。京都で色々やってた時なんて下手したら今の私より年下だもの。
でもこの人は生きるんだもんな。生きるのが一番大変だと本当思います。で、ちゃんと生きて板橋の近藤さんと土方さんの墓建てて「斎藤」の名前で署名したんだよね?これ本当にこの斎藤さんか微妙だけど信じてます。

真面目に書いたら今日は斎藤さんだけで終了。私は新選組では土方さんの次にこの人が好きです。

今荒城の夜半の月 松に歌うはただ嵐

今更ながら東北旅行記。

さて会津若松到着。赤べこと白虎隊がお出迎え。はぁ、「次は会津次は会津」って思ってたけどようやく来れました。
駅周辺は意外と栄えて…るかな?ちょっと微妙だけど、観光頑張ってる感がとても。
駅前のホテルに荷物預けて行動開始。まだ全然昼前。

会津は観光バスが二種類あって主な観光地を周回しています。とても便利。乗ってると観光地の紹介アナウンスもあります。あとたまに武者が乗ってる。

そのアナウンスで思いっきり新選組の斎藤さんが紹介されてるのを聞きながらとりあえず鶴ヶ城。

鶴ヶ城は幕末当時の赤瓦屋根を再現しているそうです。珍しいしなんか可愛らしい。しかもこの春直されたばかりだそうでとても綺麗。
幕末の一ヶ月の籠城戦でボコボコに破壊された挙句に明治政府に解体されてしまって荒れ果てていたこの城を見て作られたのが「荒城の月」。でも色んな城跡に歌碑があるし本当は仙台の方なんでしょう。そして名曲の筈なんですが、この歌思い出そうとすると何故か「月の砂漠」の方が浮かんでくる。

一ヶ月の籠城の間は女の人も銃持ったりして戦っていたそうです、ってあたり次の大河ドラマになるんですね。確かその主人公になる人の祐筆が斎藤一の奥さんの高尾さん。出るんだろうか。

そんなこと考えながら城を見る。しかしせっかく見にきてなんだけど、現代の城はテーマパークだよね。なんで内部は再現してくれないんだろう。ここも大阪城方式で内部はとっても現代的。

なんで城はさらりと登って降りて次は再現された会津藩の藩校。
なんだか最近こういう私塾みたいなの、松下村塾とか適塾とかこういう藩校とかね。が私の尊敬する人たちの間で見直されているようで。既に作っちゃったりもしてるしね。だからはぁこういう感じなんだなーと思ってみてました。スケール感というか。でも適塾と松下村塾はもっと小さかったんだろうな。福沢諭吉の回想じゃ犇きあってた感じだし。会津藩の藩校といえば「ならぬものはならぬものです」だな。

どうにも眠いので続く。
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