最終日。喉の痛みと共に目覚め。
あー完全に昨日の新選組記念館のおじいちゃんにうつされたなぁ。目の奥が熱い。
そんなことを考えながらも、とりあえず出発。まずは近場の不動堂村屯所跡から。
というか泊まってたホテルの向かい。近藤さんの歌が書いてあります。
西本願寺の屯所で、処刑したり拷問したり大砲撃ったり鉄砲撃ったり豚飼ったりそしてそれを食べたりしてた新選組でしたが、勿論寺の坊さんにしてみたらたまったものじゃないので「頼むから出てってくれ!」って言ったら、「だって出てこうにも行くところないし。金もないし」となり、「じゃあ建物建ててやるから、金もこっちで出すから、だから出てって!」「いーけどせっかく建ててくれるならあそこはこうして、あとそれと…」なんて注文つけまくって、超豪華仕様に出来上がったのがこの不動堂村屯所。大名屋敷張りの豪華さでしたが(風呂なんて30人が一気には入れたぐらい)、移ってすぐに鳥羽伏見の戦いの為に伏見に移ってしまったので、正味半年ぐらいしか使いませんでした。その上その後取り壊されてしまったので正確な場所が伝わっていなくて「幻の屯所」といわれているとか。
てか西本願寺の坊さん、そこまでして新選組に出て行ってもらいたかったってよっぽどだったんでしょうね。
もう一カ所。
これはホテルの横。見えるでしょうか、白い提灯が新選組提灯なんですが、そこに「まぼろしの屯所」と書いてあります。
上記のように場所がハッキリしていないので複数こういうものが。ちょっと離れたところにもう一つ碑があります。
たかが140年前くらいなのに結構な広さだった建物の場所がわからなくなっちゃうって不思議な話。何回か戦争とか挟んでるからかな。
で、次は西本願寺リベンジ。そしてその前に侍エスプレッソリベンジ。
信長さんでした。遠退いた。今もう一回やったら武田信玄とか出てきそうなので諦めて西本願寺太鼓楼へ。
今度は明るいからよく見えた。中には入れないんですが、ここにも刀傷とか鉄砲の弾痕があるらしい。弾痕は外についてるのかな?しかしわかったもんじゃないです。
そういえば西本願寺のお土産コーナーとか他のところを回ってみてつくづく思ったんですが、多分西本願寺さんは今に至っても新選組に居座られた事を迷惑がってる。だってこんなに広大な敷地に新選組という言葉が出てくる案内版は一つしかないし(しかもそれは寺の門外)、西本願寺のお土産とか売ってるのに新選組グッズは何も売ってない。売ってたら確実にそれなりの儲けはありそうなのに。西本願寺限定キティなんてものまであるのに新選組要素は全く入ってないんです。
なんだか「私共の西本願寺は歴史も深くて由緒も正しく、それ自体で観光客が集まって当然なのに、新選組なんて浮ついた、しかも2年くらいしか居なかったもの目当ての観光客なんていらん!」って無言の主張が聞こえてくるような。
というか黒歴史って奴なんでしょうね、寺からみれば。
でも太鼓楼の周りには私以外にも何人かいて「ここで新選組が…」なんて声も漏れ聞え、結局黒歴史でもその歴史は消せない訳です。
そして次は昨日は閉まっていた島原の角屋さんへ。
新選組小説読んでいれば確実に出てくる、いや新選組じゃなくても幕末小説読んでいれば確実に出てくる揚屋さんです。本物だぁ。
芹沢鴨さんが大暴れして鉄扇で食器叩き壊しまくって廊下の手摺引っこ抜いて酒樽ぶっ壊して帳場を酒びたしにした挙げ句、7日間の営業停止を申し付けて帰ったのもここ角屋。書いてみればすごい駄々っ子みたいな。その芹沢さんが暗殺前に酔わされたのもここ。
ここも敷地広いです。見えてる「角屋」の看板がある入り口が昔の正式な入り口で、私たちが今入る所は昔の勝手口。この写真のもっと左側。
入場料千円払って中に入る。
最初に奥の「松の間」で説明があるらしいのでそちらへ。一番広い部屋です。
ここは新選組がよく使っていた部屋で、芹沢鴨暗殺の前の宴もここで行われたらしい。ほー。
そういえば私はいつも観光で誰かに纏わる地に行った場合、一度その人になったつもりでそこを見ようとしてみます。ついでにそれが城の場合は「どうやってこの城落とすかな」と思いながらみています。寺の場合は…思いつかないので寺はあんまり面白く見れないんですよね。
なのでこの場合も新選組の人になったつもりでこの部屋を見てみる。どう思ったかな…まずとりあえず吉原と比べてみただろうね。で、「古!」とか思ったんじゃない?「広!」っておもったかどうかは…思ったかな?吉原にもこのくらい広い部屋はあったとは思うけど。
で、庭があってそこに臥龍の松と茶室が見える。これは吉原になかっただろうから「さすが京都、風流だねー」ぐらいは思ったかな。でもそんなことより、女!とか酒!ご馳走!って思ってそうだね。
この後二階に行ってから思ったんですが、新選組がこの松の間を一番多く使っていたのって、一番広かったってのもあるけど、一番新しく作られて貴重な物が少ない部屋だったから店側にここ使わされてたんじゃない?って気がしてきたのでした。だって二階すごいんだ。
その松の間を出て、他の部屋も見たり。刀掛けや刀箪笥が当時のまま置いてあった。ここにあのノサダとかが入ってたんだなぁ。
西郷どんの使った桶なんてのもあった。コレのおかげで角屋は太平洋戦争時に壊されなかったらしい。
展示されていた角屋主人の日記には「本日、奇兵隊の皆さんがお来しに。勝ち戦の後のめでたい宴ということで食事もそのようにした」なんてことが書いてあり。これは何時のことだ?勝ち戦ってどれのことだろ?
その横には「新選組調役より掛売り禁止の令」なんてのが。調役の人が来てそれまでのツケを全部払い、「こういうものを置いて行くから、これからうちの隊士がツケにしてくれって言って来たら断って下さい」といってこの紙を置いていったと。誰が書いたんだろうなコレ。そしてそれに関連するのがこれ。
玄関の柱についてる刀傷。
案内の人に聞いたら、新選組の人がさっきの掛売り禁止の後に来て、玄関の所でこういうことになりましたと聞き、「じゃあ現金ないと遊べないじゃねーか!そんな金ねーよオラァ!」とつけた傷らしい。
しかしこれ深く入ってる。柱だからよく解らないけどこれは逆袈裟かな?
「深く入ってますねぇ」「こんなに入ったら多分刀折れたと思うよー」「てか抜けなくなったでしょうね」「抜けないと格好悪いねぇ」なんて案内のおっちゃんと喋っていた。どこにいってもおっちゃんと仲良くなるのです。
本当は要予約の二階もその日は見られるとかなので見て行く事に。また長くなるので分けます。