きっと、それは

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火鉢に炙る手

楽天とかAmazonってそれなりの値段のものなら買えないものはないって程だけど、安いものって全然ないよなぁ。

買いたかったのは刻み煙草の「小粋」一箱と、ミニ火鉢用の小さい炭。両方多分それだけなら500円しない物。売ってないんだよなぁそんな安いのって。利幅が少ないのかな。

今ちょうど良いと思うんですよね、手炙りの小さい火鉢。煙管に火もつけられるし。だがしかし炭が切れた。逆に100均とかのがあるのかなー小さい炭って。

「小粋」の方は、見たいものもあることだし「塩とたばこの博物館」でも行ってきたいと思います。多分売ってる・・・よね??

純日本家屋で火鉢とかある家に住んで和服で過ごす老後が夢です。
でも外から見たら純日本家屋でも中入ったら普通にバーカウンターあったりしたら最高です。いくらかかるんだか。
とりあえず縁側で紅葉でも見ながらゴロゴロしたい。

お盆の上の紅葉豆腐

ギャグ漫画日和みたいな夢を見た。ものすごく日和ってた。

なんだかグッと寒いですね。
今は大学秋休みだったりでのんびり。

京極さんの「豆腐小僧道中双六ふりだし」を読む。映画化するんだって?どんな感じになるんだろう。てか誰が豆腐小僧やるの。
無駄に3Dだったりしたらどうしよう。絶対見に行くね。

台風去って晴れたら散歩しときたい場所行っとかないといい加減寒くなるなー。

その後の話

日にちがあいてすいません。帰ってきてどうも熱だしたりなんだり。熱って絶対子供の時より成長してからのが辛いよなー。基礎体温の差だろうか。

京都で買ってきた日本酒美味しかったので日本酒ブームがやってきそうです。今まで普通にグラスで飲んでたのがおちょこにしてみたらまぁ美味しいこと。雰囲気って大事です。

てか本当遅くなってすいませんでした、拍手お返事です。
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膝栗毛・最終日(その2)

分けたのでこの写真も載せましょう。



例のおっちゃんが「撮るならここベストポジションだよ!」と言ってくれた場所から。松の間から庭を見たところ。
室内の方が気になるかもしれませんが、ちょうどこれ撮ってる背後くらいの壁一面がちょっと新しいんですよね。といっても大正時代のもの。小火が出てそこだけ燃えちゃったらしい。そんな訳で角屋さん、この部屋だけ唯一重要文化財じゃないんです。重要文化財になるには最低200年経ってなきゃいけないらしい。

で、二階です。撮影禁止なのでこれまた記憶と文章に残すしかない。
とにかく階段が狭くて急だ。新選組記念館でも古い町屋だったから同じ事思ったけど。昔の人は「駆け上がる」ってことは出来たんだろうか。それも着物で。
上がった所が通りに面している部屋で御簾口の間と御簾の間と緞子の間。御簾の間には御簾が一カ所だけ掛かっていて、あとは障子とかに御簾の絵が書いてある。部屋の全部が重要文化財。
しかし何百年も蝋燭使ってるから障子とかの絵もほぼ真っ黒で見えない。でも名のある絵師が書いているらしい。
二階の通りに面している側には有名な「扇の間」も。和歌が書いてある扇面が天井に沢山貼りつけてあり、壁や障子には源氏物語の絵。この部屋には小舞台も。
なんかね、もう下の部屋と風格が違います。障子絵とか書いてるの円山応挙とかですよ?乱暴者の新選組に使わせてくれなさそうでしょ。

で、極めつけが一番奥の青貝の間。他の部屋は壁が綺麗になってるのにここはできない。壁なんかも全部螺鈿が付けられていて今の技術でもそれをどうやってるか解らないので、綺麗に直す事ができないらしい。なので本当は水色の壁が煤で黒い。その中に螺鈿の煌めきが見える。一緒に見学していた人の中にそういう仕事やってる人がいて話を聞いたんですが、信じられないみたいですよ、そんな事ができる技術って。
この部屋には今でいうバルコニーみたいなのがついていて、そこの窓がギヤマンの硝子。オランダからの当時の最高級品。今はもう見つからなくて、昭和に一枚割れちゃった時も変わり派見つからなかったと。ギヤマンは今の板ガラスと違って揺らぎが見えます。
とにかく部屋全部が超高級品。価値が計り知れないほど貴重なものばかり。みたいなところでも、やってくれてます、新選組。
この部屋にも刀傷が三カ所。逆袈裟が2つに袈裟掛けが1つ。幅が違うから違う刀かなぁ…でも木は歪むから解らないか。八木家や角屋の玄関の刀傷はみんなが触るので縁が丸くなっていましたが、ここは鋭い切り口が残っていました。

そういえば私のいう袈裟懸け、逆袈裟っていうのはいつか読んだるろうに剣心の説明に準拠してます。袈裟懸けは斬る方から見て右上から左下。逆袈裟は左上から右下。
右切り上げなら斬られる方から見て右なので斬る方からは左下から右上。左切り上げはその逆。切り上げの刀傷なんて残っていませんがね。

それでこの刀傷、客の刀は玄関入るときに預かるんですが、新選組は不逞浪士探す仕事でも来るので、その時は刀持ってる。この傷は戦闘とかじゃなく威嚇だそうです。もうさ、チンピラじゃん。ていうかヤ◯ザじゃん。
新選組ファンですが、さすがにこの部屋でそんなことするなよ!と憤りが。価値とか解らないんだろうけどさ…だから京都の人に嫌われるんだよ…。
本当今回の京都旅行で実感したんですが、新選組って実態はヤ◯ザみたいな感じだったんでしょうね。幕府公認ヤ◯ザなんだもんね。
だってどこいっても刀傷あったら新選組が新選組がってどれだけ刀振り回してたんだい。本当は違うのもありそうだけど京都の人にそう伝わってるってことはそんな風に思われていたんだろうし。
そんなヤ◯ザ集団を一応武士にするために隊規厳しくせざるを得なかったんでしょうねー。そりゃ大変だな。
今度から新選組小説とか読むとき、優男風に書かれていたら密かに心の中で呟くかもしれません。「いや、絶対もっと荒くれた酷い集団だったよ、きっと」と。でも歴史小説なんていったって所詮はフィクションだから楽しめれば良いんです。実際と違うだろうななんてことには目を瞑って読み続けます。

さて、角屋を出てそろそろ帰るかと。旅行であんまり物買って帰る方じゃないので今回もサッパリ何も。はい、コレ以外は。



地酒。これだけは外せない。試飲しまくりました。

いやー、楽しかったです、やっぱり好き勝手に回るのは。てか5日間も関西にいたのか。ハイライトはやっぱり八木家だったな。
しかし書くの長かった。明日からは通常仕様です。

膝栗毛・最終日(その1)

最終日。喉の痛みと共に目覚め。
あー完全に昨日の新選組記念館のおじいちゃんにうつされたなぁ。目の奥が熱い。
そんなことを考えながらも、とりあえず出発。まずは近場の不動堂村屯所跡から。



というか泊まってたホテルの向かい。近藤さんの歌が書いてあります。

西本願寺の屯所で、処刑したり拷問したり大砲撃ったり鉄砲撃ったり豚飼ったりそしてそれを食べたりしてた新選組でしたが、勿論寺の坊さんにしてみたらたまったものじゃないので「頼むから出てってくれ!」って言ったら、「だって出てこうにも行くところないし。金もないし」となり、「じゃあ建物建ててやるから、金もこっちで出すから、だから出てって!」「いーけどせっかく建ててくれるならあそこはこうして、あとそれと…」なんて注文つけまくって、超豪華仕様に出来上がったのがこの不動堂村屯所。大名屋敷張りの豪華さでしたが(風呂なんて30人が一気には入れたぐらい)、移ってすぐに鳥羽伏見の戦いの為に伏見に移ってしまったので、正味半年ぐらいしか使いませんでした。その上その後取り壊されてしまったので正確な場所が伝わっていなくて「幻の屯所」といわれているとか。
てか西本願寺の坊さん、そこまでして新選組に出て行ってもらいたかったってよっぽどだったんでしょうね。

もう一カ所。



これはホテルの横。見えるでしょうか、白い提灯が新選組提灯なんですが、そこに「まぼろしの屯所」と書いてあります。
上記のように場所がハッキリしていないので複数こういうものが。ちょっと離れたところにもう一つ碑があります。
たかが140年前くらいなのに結構な広さだった建物の場所がわからなくなっちゃうって不思議な話。何回か戦争とか挟んでるからかな。

で、次は西本願寺リベンジ。そしてその前に侍エスプレッソリベンジ。
信長さんでした。遠退いた。今もう一回やったら武田信玄とか出てきそうなので諦めて西本願寺太鼓楼へ。
今度は明るいからよく見えた。中には入れないんですが、ここにも刀傷とか鉄砲の弾痕があるらしい。弾痕は外についてるのかな?しかしわかったもんじゃないです。
そういえば西本願寺のお土産コーナーとか他のところを回ってみてつくづく思ったんですが、多分西本願寺さんは今に至っても新選組に居座られた事を迷惑がってる。だってこんなに広大な敷地に新選組という言葉が出てくる案内版は一つしかないし(しかもそれは寺の門外)、西本願寺のお土産とか売ってるのに新選組グッズは何も売ってない。売ってたら確実にそれなりの儲けはありそうなのに。西本願寺限定キティなんてものまであるのに新選組要素は全く入ってないんです。
なんだか「私共の西本願寺は歴史も深くて由緒も正しく、それ自体で観光客が集まって当然なのに、新選組なんて浮ついた、しかも2年くらいしか居なかったもの目当ての観光客なんていらん!」って無言の主張が聞こえてくるような。
というか黒歴史って奴なんでしょうね、寺からみれば。
でも太鼓楼の周りには私以外にも何人かいて「ここで新選組が…」なんて声も漏れ聞え、結局黒歴史でもその歴史は消せない訳です。

そして次は昨日は閉まっていた島原の角屋さんへ。



新選組小説読んでいれば確実に出てくる、いや新選組じゃなくても幕末小説読んでいれば確実に出てくる揚屋さんです。本物だぁ。
芹沢鴨さんが大暴れして鉄扇で食器叩き壊しまくって廊下の手摺引っこ抜いて酒樽ぶっ壊して帳場を酒びたしにした挙げ句、7日間の営業停止を申し付けて帰ったのもここ角屋。書いてみればすごい駄々っ子みたいな。その芹沢さんが暗殺前に酔わされたのもここ。
ここも敷地広いです。見えてる「角屋」の看板がある入り口が昔の正式な入り口で、私たちが今入る所は昔の勝手口。この写真のもっと左側。
入場料千円払って中に入る。
最初に奥の「松の間」で説明があるらしいのでそちらへ。一番広い部屋です。
ここは新選組がよく使っていた部屋で、芹沢鴨暗殺の前の宴もここで行われたらしい。ほー。
そういえば私はいつも観光で誰かに纏わる地に行った場合、一度その人になったつもりでそこを見ようとしてみます。ついでにそれが城の場合は「どうやってこの城落とすかな」と思いながらみています。寺の場合は…思いつかないので寺はあんまり面白く見れないんですよね。

なのでこの場合も新選組の人になったつもりでこの部屋を見てみる。どう思ったかな…まずとりあえず吉原と比べてみただろうね。で、「古!」とか思ったんじゃない?「広!」っておもったかどうかは…思ったかな?吉原にもこのくらい広い部屋はあったとは思うけど。
で、庭があってそこに臥龍の松と茶室が見える。これは吉原になかっただろうから「さすが京都、風流だねー」ぐらいは思ったかな。でもそんなことより、女!とか酒!ご馳走!って思ってそうだね。
この後二階に行ってから思ったんですが、新選組がこの松の間を一番多く使っていたのって、一番広かったってのもあるけど、一番新しく作られて貴重な物が少ない部屋だったから店側にここ使わされてたんじゃない?って気がしてきたのでした。だって二階すごいんだ。

その松の間を出て、他の部屋も見たり。刀掛けや刀箪笥が当時のまま置いてあった。ここにあのノサダとかが入ってたんだなぁ。
西郷どんの使った桶なんてのもあった。コレのおかげで角屋は太平洋戦争時に壊されなかったらしい。

展示されていた角屋主人の日記には「本日、奇兵隊の皆さんがお来しに。勝ち戦の後のめでたい宴ということで食事もそのようにした」なんてことが書いてあり。これは何時のことだ?勝ち戦ってどれのことだろ?
その横には「新選組調役より掛売り禁止の令」なんてのが。調役の人が来てそれまでのツケを全部払い、「こういうものを置いて行くから、これからうちの隊士がツケにしてくれって言って来たら断って下さい」といってこの紙を置いていったと。誰が書いたんだろうなコレ。そしてそれに関連するのがこれ。



玄関の柱についてる刀傷。
案内の人に聞いたら、新選組の人がさっきの掛売り禁止の後に来て、玄関の所でこういうことになりましたと聞き、「じゃあ現金ないと遊べないじゃねーか!そんな金ねーよオラァ!」とつけた傷らしい。
しかしこれ深く入ってる。柱だからよく解らないけどこれは逆袈裟かな?
「深く入ってますねぇ」「こんなに入ったら多分刀折れたと思うよー」「てか抜けなくなったでしょうね」「抜けないと格好悪いねぇ」なんて案内のおっちゃんと喋っていた。どこにいってもおっちゃんと仲良くなるのです。

本当は要予約の二階もその日は見られるとかなので見て行く事に。また長くなるので分けます。
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