きっと、それは

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しっぺい太郎に知らせるな

明日で長野は終了なんだけど、またちょっと旅をして帰ります。てかリベンジよリベンジ。

この三週間ずっと仕事中白衣だった。文系としてあるまじき。

あと行った所メモ。光前寺。早太郎またはしっぺい太郎が有名。
白羽の矢システムのある村(駿府静岡)で旅の六部がこっそりその現場を覗き見ると化物達が

「(親分)しっぺい太郎はおるまいな!」
「(子分達)しっぺい太郎はおりませぬ!」
「(一同)信州信濃のしっぺい太郎に知らせるな〜♪」

って歌ってた通りに光前寺で飼われてた犬、しっぺい太郎を連れていったら何やら化物と大バトル、やっつけたあとで見てみると老ヒヒが死んでました。っていうお話。カードルードのレシピとか京極堂シリーズ読んだ人なら知ってるこの昔話の舞台。
住所付きで敵の名前を高らかに歌ってるんだから親切な化物です。

でっかい樹齢700年の杉がニョキニョキ生えてて中々雰囲気ある寺でした。ちゃんと早太郎の墓もあるし。

残ってるのねこういうの。長野素晴らしい。

やどりして 春の山辺に 寝たる夜は

夢の内にも 花ぞ散りける

やどりもしてないしもはや初夏ですが、夢に其処彼処に咲いている菖蒲と藤が出てきたので。そんな信州、まだまだ信州です。上のアウトドア派は紀貫之です。

光陰矢の如しに一週間たってるじゃないか、まぁいいや。

で、前は馬籠宿で呑気にご飯食べたところまで書いたのか。
そのご飯の前に薄々気になっていたけどまぁ大丈夫だろうと甘く見ていたことがありまして。それは手持ちのお金を殆ど持っていなかったこと。キャッシュがない。

思いたったらすぐ行動でバス乗って馬籠宿まで来たのはいいんだけど。あると思うじゃないか現地にもATMくらい。コンビニの一件くらい。だって日本だもの。
それがまぁ見事になくて、昼御飯食べた後には移動のお金に事欠くくらいの所持金。約2000円。社会人なのに。

いざとなったらカードあるか、いやでも使えるのか?と自問自答しながらバス代惜しんで馬籠宿から妻籠宿へ旧中山道を歩く。京都から江戸への方向ということになりますね。

何度もいうけど旧中山道のこの部分である木曽路は全て山の中である。つまりこれはハイキングである。なのに足元はミュール。本当に計画性の欠片もないよ。
そんな軽装備で「熊出没注意」の看板がある山道をズンズン歩いて行く。注意たってどう注意しろと。

そんな道の脇には普通に重要文化財な江戸時代からの民家が建っていたり。この山道の荷物を運ぶ牛方って職業の人が代々住んでいた集落なんだそうで。その牛方がスト起こしてる場面がこれまた藤村の夜明け前に描写されてたな。

女一人でズンズン歩いていたらその辺に住んでるおばちゃんおじさんにちょいちょい話しかけられる。「本当に行くの?」「妻籠宿まで歩いて3時間かかるよ!」
うんそれは無理ですね!

でも途中から熊をも倒せそうなドイツの方と一緒に歩いた為になんだかんだ登り道が終わる峠まで進んでいた。外国人には人気な観光スポットなんだそうで。
峠の茶屋からバスで妻籠宿へ。

そして妻籠宿です。妻籠は…本当に…。江戸。江戸時代がそのまんま。建物も街並もそのまま。宿場町が一つ丸ごとそのまま!
馬籠宿はなんだかんだ何回か燃えてるから再建してて新しい。よく見たら玄関がアルミサッシだったりする。でもこっちは本当にそのまま!総木&紙製!

時代劇が何回もロケをしにきているそうで。何回も来すぎていて逆にそれでアピールもしていないそうで。そりゃそのまま使えるよ、アスファルトの道さえ砂利ひいたりしちゃえば。

当時のままの旅籠が中に入れるようになっているので入ってみる。え、狭!てか泊まれる部屋が二部屋くらいしかなくないか?雑魚寝?そうとう庶民向けの旅籠なのか。
時代物なら殆ど絶対に出てくる旅籠ってこんなに狭いの!?飯盛り女はさすがにもっと大きいところにいるのか?ここじゃ無理だろう色々と。

と思って歩いていたらもうちょっとだけ立派な旅籠くさい建物発見。その前で解説のおじいさんが「ここで十返舎一九が十数人もの女集めてなんたらかんたら」とか話していました。あ、やっぱりこんな感じのところで。幕末太陽伝に出てくる品川の遊郭にちょっと雰囲気似てるしね。
浪士組の面々とかも流石にこういうとこに泊まったんだろうなぁなんて思って眺めていた。

再建された本陣やらこっちはそのままの脇本陣やのところに「明治天皇小憩所」とかの石碑が建っている。途中の道にもあったし日野にもあったし確か板橋の本陣跡にもあったな。一々こんなの残すのね。

江戸時代の空気に浸りながらブラブラと。ここは宿場町だけど江戸時代くらいまでのムラっていうか集落の単位ってこんなだったんだろうなという印象。寺を中心にひと固まりになっている感じが。これで村八分とかは辛かろうよ。

ブラブラしながらそんなことを他にも色々と考えてた筈なんだけど一週間後の今日に至っては殆ど覚えていない。覚えているのは帰りのバスに乗った時点で所持金が80円になっていたこと。社会人なんだから流石にこういうのはやめようと思います。

木曽路は全て山の中である

あらここから木曽って近いんじゃない、ということで行ってきました木曽路。馬籠宿と妻籠宿。長野と岐阜の間あたり。

旧中山道の宿場町なのです。江戸と京都を結ぶ街道、この間板橋で歩いた旧中山道がここまで繋がってるってことだ。凄まじい道のり。
その凄まじい道のりを歩いた人々は数多く有名人も沢山。参勤交代の大名達や降嫁する際の和宮、松尾芭蕉に東海道中膝栗毛作者の十返舎一九、まだ浪士組だった新撰組の面々、そして正岡子規。他にもまっだまだ。

さて、この二つの宿場町は中々有名なのです。馬籠宿は島崎藤村の出身地、そして代表作「夜明け前」の舞台として。妻籠宿はなんと江戸時代の宿場町の街並みがそのまま残っている場所として!楽しみすぎてたまりません。

まずは馬籠宿。こっちは何度か家事で焼けちゃってるから復元はしてるけど結構新しめ。でも夜明け前で描写されていた様子を思い出しながら歩くと楽しい。そうかここが半蔵、つまりは藤村の父がひたすらくさくさしていたところか。
そういえば芭蕉の句碑や子規の句碑があるのでそれも拝見。「桑の実の 木曽路出づれば 穂麦かな」って子規はまた物食べながら句作ったのね。法隆寺では柿だったね。
今の東大を中退して国に帰るときにこの中山道を通った際の句。いや中退のエピソードは知っていたけどまさか歩いて帰ったとは!もう喀血後だってのに元気な子規。東京から四国松山まで徒歩か。せめて東海道通ればいいのになぜ山を。
てか子規の句碑の辺りは本当に日本の原風景と言った感じで。いまにも河童が出て来そうよ。

馬籠宿では昼御飯。これも夜明け前に出てきた酒屋さんが今は飯屋さんになっているのです。川魚の甘露煮に山菜に名物の栗ご飯。所謂山家のご馳走って奴です。十返舎一九が「渋皮の 剥けし女は 見えねども 栗のこはめし ここの名物」って狂歌を残しているように昔から有名のようです栗ご飯。

さてさてもう眠いので続きはまた明日。写真はTwitterの方で沢山載せたからこっちはいいや。


南アルプス見える土地より

お久しぶりです。
月曜日から信州の方に来ているのです。
ホテル暮らしにも慣れてきた今日この頃。

晩御飯は同僚二人と交代制で作ってるんですが、本当にいるね料理男子って。完全に敗北を喫している。女の沽券に関わる事態。
とはいえそれがべらぼうに美味しいんだから、そしてなんだかんだで毎日お酒飲んでるんだから、そしてそれらが三分割で安いんだから、全くもって良い生活。しばらくこれが続きます。その間に昨日購入した地酒の一升瓶が空になるんでしょう。

本日は各自フリーになったので近くのカフェでコーヒー&読書。これまた幸せ。
東京で適当な店に入ると味的な意味で酷い目にあうのに信州は全くそんなことはなく。寧ろとってもハイスペック。

信州素敵です。街灯と信号があんまりに少ないことを除けば。あまりに道が暗い。自分今自転車なので、いつか酔っ払った帰り道で田んぼに突っ込むのではないかと怯えている。
そんな体張ったネタ提供するもんか。

ただしき日本語

Twitterで呟いてたら長くなりそうだったのでちゃんとこちらで書こうかと。

なんだかテレビでは「生食」を「なましょく」ということで政治的合意が出来たようで、っていうお話。まぁ見事に統一されちゃって。なんかこの言い方気持ち悪くてしょうがないんですが。

言葉には拘る人間です。違和感持ったらちゃんと調べる。
一応今の辞典には「せいしょく」「なましょく」どっちも載っている。
でも辞典って結構対応早くて親切なのです。なのでちょっと前の辞典も見てみる。
うん「せいしょく」だけでした。ちょっと前っていっても自分が中学の時の辞典なんですがね。本当最近広まった言い方ってことだなましょく。

ただ一応言っとくと、「だからなましょくは間違ってるから正しいせいしょくって言えよ」とか言いたい訳じゃないんです。音として使う場合になましょくのほうが解りやすいだろう、って思ったんならそれはそれで良いし。ただテレビでそう統一しちゃうと「絶対的に正しいのはなましょくでせいしょくは間違ってるんだよ?だから使うな馬鹿が」とか言い出す方がまた増えるんだろうなー、と思ってうんざりです。
別に間違ってようがむしろその人の造語だろうがその本人が使う分にはどんな言葉でも良いんだけど。ただ他の人に「その言葉使うな」って強制する場合にはよく考えろよ、ってことです。指摘できるほど自分の正しさに保証はあるのかって。「テレビで言ってた」じゃ駄目。いや大学でもそんな人いたけど教授に溜息つかれるだけですからね本当に。

ていうか漱石なんて造語のオンパレードだったけど「そんな言葉元々存在しないから使うのやめろ」なんていう人いた?いや有名じゃない時代にはいたかもしれないけど、今はいないね。文豪に楯突く奴なんか。
解りやすいのは太宰。まだそんなに有名じゃない時言われたみたいね、「その言葉の使い方おかしい」って。それに「いやいやあの森鴎外だって同じ使い方してましたよ」って反論してたね。太宰だって今は言われないでしょうが。いまは文豪だから。権威ある人が使ってたら正しい、って思われる。しかもその権威って今テレビかーい。あーあ。


本当にそんなつまらない指摘多いんだろうなー、って思います。なんだかルビの仕方とか平仮名の増え方とかに苦労を感じる今日この頃。平仮名増えたら苛ついちゃうからやめてほしいなー…。読みづらいのよ…。

あ、で結論は、別になましょくでもせいしょくでもどっちでも良いけど、どっちかだけにしろって言うのだけはやめて欲しいってことで。それだけです。
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