夢の内にも 花ぞ散りける
やどりもしてないしもはや初夏ですが、夢に其処彼処に咲いている菖蒲と藤が出てきたので。そんな信州、まだまだ信州です。上のアウトドア派は紀貫之です。
光陰矢の如しに一週間たってるじゃないか、まぁいいや。
で、前は馬籠宿で呑気にご飯食べたところまで書いたのか。
そのご飯の前に薄々気になっていたけどまぁ大丈夫だろうと甘く見ていたことがありまして。それは手持ちのお金を殆ど持っていなかったこと。キャッシュがない。
思いたったらすぐ行動でバス乗って馬籠宿まで来たのはいいんだけど。あると思うじゃないか現地にもATMくらい。コンビニの一件くらい。だって日本だもの。
それがまぁ見事になくて、昼御飯食べた後には移動のお金に事欠くくらいの所持金。約2000円。社会人なのに。
いざとなったらカードあるか、いやでも使えるのか?と自問自答しながらバス代惜しんで馬籠宿から妻籠宿へ旧中山道を歩く。京都から江戸への方向ということになりますね。
何度もいうけど旧中山道のこの部分である木曽路は全て山の中である。つまりこれはハイキングである。なのに足元はミュール。本当に計画性の欠片もないよ。
そんな軽装備で「熊出没注意」の看板がある山道をズンズン歩いて行く。注意たってどう注意しろと。
そんな道の脇には普通に重要文化財な江戸時代からの民家が建っていたり。この山道の荷物を運ぶ牛方って職業の人が代々住んでいた集落なんだそうで。その牛方がスト起こしてる場面がこれまた藤村の夜明け前に描写されてたな。
女一人でズンズン歩いていたらその辺に住んでるおばちゃんおじさんにちょいちょい話しかけられる。「本当に行くの?」「妻籠宿まで歩いて3時間かかるよ!」
うんそれは無理ですね!
でも途中から熊をも倒せそうなドイツの方と一緒に歩いた為になんだかんだ登り道が終わる峠まで進んでいた。外国人には人気な観光スポットなんだそうで。
峠の茶屋からバスで妻籠宿へ。
そして妻籠宿です。妻籠は…本当に…。江戸。江戸時代がそのまんま。建物も街並もそのまま。宿場町が一つ丸ごとそのまま!
馬籠宿はなんだかんだ何回か燃えてるから再建してて新しい。よく見たら玄関がアルミサッシだったりする。でもこっちは本当にそのまま!総木&紙製!
時代劇が何回もロケをしにきているそうで。何回も来すぎていて逆にそれでアピールもしていないそうで。そりゃそのまま使えるよ、アスファルトの道さえ砂利ひいたりしちゃえば。
当時のままの旅籠が中に入れるようになっているので入ってみる。え、狭!てか泊まれる部屋が二部屋くらいしかなくないか?雑魚寝?そうとう庶民向けの旅籠なのか。
時代物なら殆ど絶対に出てくる旅籠ってこんなに狭いの!?飯盛り女はさすがにもっと大きいところにいるのか?ここじゃ無理だろう色々と。
と思って歩いていたらもうちょっとだけ立派な旅籠くさい建物発見。その前で解説のおじいさんが「ここで十返舎一九が十数人もの女集めてなんたらかんたら」とか話していました。あ、やっぱりこんな感じのところで。幕末太陽伝に出てくる品川の遊郭にちょっと雰囲気似てるしね。
浪士組の面々とかも流石にこういうとこに泊まったんだろうなぁなんて思って眺めていた。
再建された本陣やらこっちはそのままの脇本陣やのところに「明治天皇小憩所」とかの石碑が建っている。途中の道にもあったし日野にもあったし確か板橋の本陣跡にもあったな。一々こんなの残すのね。
江戸時代の空気に浸りながらブラブラと。ここは宿場町だけど江戸時代くらいまでのムラっていうか集落の単位ってこんなだったんだろうなという印象。寺を中心にひと固まりになっている感じが。これで村八分とかは辛かろうよ。
ブラブラしながらそんなことを他にも色々と考えてた筈なんだけど一週間後の今日に至っては殆ど覚えていない。覚えているのは帰りのバスに乗った時点で所持金が80円になっていたこと。社会人なんだから流石にこういうのはやめようと思います。