きっと、それは

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その名は毒

久しぶりに香水をプワゾンに戻しました。色々浮気もしたけどね、やっぱり香水はディオールが好きなんです。プワゾンは特に素性宜しくないけどね。特殊で逆に一般化したというか。

そのプワゾン買っての帰り道、谷崎潤一郎の「痴人の愛」を読みたくなって買って帰る。プワゾン、というか香水といえば思い出すのがあのフェティシズムの極みのアレ。読んだ人にはわかるかな。あれプワゾンがピッタリだろうね。

しかしプワゾンつけてたら近所のスーパーでまで声かけられる。流石のプワゾン。近所は面倒だから多用は禁物だなー。

同一の自己なので

ブログ書いてて良かったなと思うのは、去年自分が何やってたか…はあんまり書いてないけど、少なくとも何考えてたかはわかるということ。考えること変わらないけどね。

最初の方のブログ見返して、短いのも結構あったじゃんねーと思ってこんなのでもまぁいいかと。

今日は死ぬには

とても良い日だ、っていうインディアンの詩の一説があったなぁ。「死にカタログ」という本を読み。あ、別に死にたい訳じゃないですので、念の為。

色々な文化圏の死に関する考え方が面白い。バイキングは死んでも戦うんだ。しかもそれが天国なんだって。戦い大好きバイキング。天国でも戦いたいって奴らがいるんじゃいよいよ世界平和なんて無理だなぁ。
「死んだら近所の島に行く」っていう考え方が好き。パプアニューギニア。しかもそれは概念上の島じゃなくて近所の実在の島です。「変わらない」っていうフィリピンマノボー族の考え方と同じく深刻に考えてないのが良い。

他の生き物になるってのも多いね。蝶になる蝿になる鳥になる蟋蟀になる。前者三つはヨーロッパなんだけど、早くにキリスト教に占領された割にはそういうの残っていたのね。ヨーロッパだってなんだかアノニズムっぽかったじゃないのっていうのが残っていて嬉しい。

現代のも中々すごいけど。流れ星にする・冷凍保存して未来に残す(アメリカ)、肥料にする(スウェーデン)、ダイヤモンドにしてアクセサリー化(日本でも)。これらはなるというかする。故意にやっちゃう。結構お国柄が出ている気がして面白い。

ていうかやっぱりこの文化もあったね、「元々いなかったことになる」。
やったねサドさんありましたねこれ!死んだ人の名前や思い出を口に出すの禁止、遺品も残さなかったそうです。お誂え向きじゃないですか。
しかもこれはジプシーの考え。なんてらしいんだ。

仏教の「ほどける」って考え方も好きですが。ていうかおいおい、自分は一応仏教徒の筈なのにそんな教義初めて知りましたって。日本のゆるい宗教観万歳です。

すっかり遅くなってすいませんでした、追記で拍手お返事です。
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From Timetraveler 2

船中九策になってる!しかし本当にこの勝さんぴったり。仁の感想でございました。
今仁のお陰で江戸時代ブームがきているとニュースでやってました。

しかしそうは思えない妻籠でした。思いっきり江戸時代なのにそこまで流行ってるとは思えません。年齢層高い観光客は多いんだけど。若いと浮きます。何故。

とりあえず宿を出てからこの前は見られなかった脇本陣へ。藤村の初恋の人、ゆふさんの嫁ぎ先としてもしられています。
ここは明治10年に建て替えられたのがそのまま残っています。

広い広い中を見学(明治以降は普通の宿やってたの?って感じになっていたような)した後、囲炉裏端(ちゃんと火が入っている)で説明を聞く。
囲炉裏の上座は当主が座る場所。胡座をかけるように板付き。そっちから見て右手が女衆の場所。畳が姑で嫁が板間。左手が客の位置。
で、正面の思いっきり煙がかかる場所は子供。若い者が苦労しろって方針なのね。日本共通の座り方なのかなこれ。
その囲炉裏の煙や蝋燭の煤で部屋の内部は燻されたようになっているんですが、ある一定の高さまではそれがニスも塗っていないのに艶やかになっている。女の人が掃除で拭き続けているため、手の届く高さまではそうなっているらしい。なんだかそう聞いて何故か怖っ!と思ってしまった。習慣の力ってなんて恐ろしい。いや昔から掃除を欠かさなかった女の人達の勤勉さを讃えるべき所だろうけど。あまりにすごい意思の成せる業っぽいものを見ると執念を感じてしまって引く傾向がある私です。
一番良い部屋には天皇だって泊まるかもしれないからその上には部屋を作らないのが普通らしいのですが、この脇本陣にはそこに隠し部屋があるそうで。密談用。ほほう。
あと歪みがあるギヤマン硝子もあった。角屋と一緒。

次は本陣。こっちは割と最近の再建なので新しめ。日野宿本陣とやっぱり作りは似ています。
ここで何に驚いたって、最後の本陣当主、島崎広助(藤村の兄)にあてた大鳥圭介からの手紙があったんです。

〜マイナーな歴史人物解説〜
大鳥圭介。元は大阪の医者の息子。なのに何故だか幕末に幕府側歩兵の偉い人になり、函館では陸軍奉行(土方歳三のすぐ上の上司)になって最後まで戦った(ちなみに常敗将軍と呼ばれるほど激弱だった)。が、降伏後は明治政府に仕え、その上なんだかんだで叙勲されてたりする新撰組好きには微妙な想いを抱かせるお人。
福沢諭吉と一緒に適塾で学んでたことでもちょっとだけ有名。

ここの当主は大鳥圭介とどんな関係があったのでしょう。書まであるし。しっかし大鳥さんの字初めて見たけど下手だなぁ!ていうか適当すぎるよ。
ちなみに住所は府中になっていましたが、いつぐらいの手紙でしょうかね。わからなかった。

そんなのを見てまた宿に戻り夕飯(鯉こくとか)を食べて若干部屋でぼーっとする。すぐ外の縁側には雨戸が入っていた。こうなるのね。若干は遮断された感が増えるか。若干ね。

暗くなったら散歩しようと思って部屋で待機中。木曽路(濁り酒)飲みながら。甘酒みたいな味だなぁ。
色々つらつら考えてみる。あと夕食中にご主人から聞いた話。

・多分昔の人は障子をそれは素早く開け閉めしてたんだろうなー(虫が入るからです)
・その昔はここでも障子取り払って広い部屋に雑魚寝をさせていたそうで。そしてちょっと前まではすぐ隣の部屋にも客を入れていたそうだが、今は流石にそんなことはもうしないと。昔でいえば本陣に泊まる殿様(隣の部屋は空けられる)くらいの扱いにランクアップしているということか現代人。
・天井の梁とか床とか部分部分は本当に江戸からのものだそうで。
・近くの「寝覚の床」って所は浦島太郎が玉手箱を開けた場所として知られているそうで。何故海辺(何処か知らないが)からこんな山の中まで来て開けたんだ浦島太郎。

暗くなったので散歩に出る。借りた提灯に下駄、浴衣に丹前。で、歩いてたら観光客のじいちゃんとかに話しかけられる。けど基本的には夜は観光客殆どいないのでいよいよタイムスリップの気分です。

旧い格子が嵌った家々の影を作るは屋号が入った行灯の灯り。只管静かな宿場街に響くのは自分の下駄の音だけ。
てか本当に静かなんです。宿場時代は夜ももっと賑やかだっただろうね。旅にどんちゃん騒ぎは付き物です。

写真撮ったけど真っ暗で何がなんやらですね。




部屋に戻って寝るときは例の遮音性のなさのため、池の鯉による水音、降り出した雨音、蛙の声が自分が外にいるかの様に聴こえ。なのに何故だか途轍もなくぐっすり眠れた。図太いのでしょうか。

From Timetraveler

道中記というものがありますが。ここでいうのは自身の旅の記録の意。
昔の日本人って結構書いていたようです道中記。別に有名な著述家でなくその辺の市井の人でも、それ故誰に見せる予定はなくとも、滅多にない旅のことは少なくとも自分の為には残したかったのか結構書きのこしていたようです。そしてそれが後世に残ると重要な資料になってたりします。寿命の長い和紙と昔から高い日本の識字率のおかげで過去の様子が伝わっているのです。素晴らしき日本文化。
ですがこれまた「いらない紙は障子紙に使ってしまう」という日本文化のお陰で残っている率はけして高くないですが。歴史上の人物の日記なんかも良くこれの餌食に。

なんでこんなことを書いてるかというとまた道中記書きますよということです。リベンジ妻籠編。
なんだか間のことを書いてないせいで続いている話のように思われそうですが、前回から二週間後のお話です。

この前行ったときにどうしても泊まってみたくなってしまったので、そしてこの前は現金を持っていなかったという致命的なミスの為に資料館系に全く入れなかったので舞い戻ってきました妻籠。今回は歩いたりせずに一気に馬籠からバス。「馬の背での旅ほど楽なものはない」なんて子規さん木曽路道中記で書いていましたが、いえいえこっちのが楽ですとも。

そうして訪れた妻籠は、雨が降ったりやんだりで、この前の暴力的な晴天下で見た印象とはまた一転。しっとり濡れた艶やかな街並みです。

とりあえず宿に荷物を置きに。本日泊まる宿は松代屋という有名な旅籠です。なんと創業は(判っている範囲で)1804年。…ナポレオンがフランス皇帝になった年ですね。
この妻籠という宿場町がバリバリの現役だった頃から変わらず宿として旅人を泊め続けているのです。幾人泊まったのか検討もつきませんが、本日その一人になってきます。

創業は古くとも建物は立て替えちゃってて見る影もなし、ってところは多いですが、ここは元のままを売りにしているところです。特に玄関のある母屋の部分は一番古いらしくて、床がギッシギシ。天井の梁なんかも煤けて黒光り。低い鴨居。漂う本物感。こういうところに止まりたかったんだと嬉しくてたまらない。
とはいえ日本家屋は畳と障子が綺麗ならそんなに古くは見えませんがね。

案内された部屋もその辺が綺麗なので泊まる上での不安はなし。しかし部分が新しくともそもそも構造が旧式なのです。廊下(というか縁側)から部屋への仕切りは障子一枚。隣室との仕切りも障子一枚。その隣室との障子の上、装飾が入った欄間の隙間部分は空いてるのかと思ったらプラスチックが嵌っていた。ここは現代仕様なのね。

しかし窓の部分の障子はこんな感じに開けたらガラスも網戸もなくすぐ外。冬はさぞ寒いだろう。泊めないのかな今は。
そして机やら座椅子やらは新しいけど床の間の板や柱の年季の入りっぷりが。こっちの建物は流石に江戸期じゃないんだろうに。掛け軸がこれまたすごい事になってる。

本当に今まで泊まった中でも一番旧式。和室に泊まったことは数あれど、あれは現代風な和室だったんだなと再確認。部屋というより建物部分が大きく違うのかな。本物はすごいです、外と繋がってるというか「てか、え?全く遮断されてないじゃん」感が半端じゃありません。遮音性も一切なしです。筒抜けです。障子一枚だから隣の人がなにやってるか影でわかりそうだし。そっちも筒抜けです。…日本人の周りを気遣う気質はこういうのも関係してたんじゃ…気遣わない訳にいかないでしょうこれは…。
本物に泊まってみたかったんだから一向にその辺は構わないんだけど、すぐ隣に人入ったら流石に困るなと思っていたら今日はこの宿私しか泊まらないというお話。ビバ平日。その展開狙っていたんだ。

とりあえず荷物を置いてこの前は行けなかった脇本陣その他に行ってこようと思います。すぐ長くなるなー。また次回。


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