船中九策になってる!しかし本当にこの勝さんぴったり。仁の感想でございました。
今仁のお陰で江戸時代ブームがきているとニュースでやってました。
しかしそうは思えない妻籠でした。思いっきり江戸時代なのにそこまで流行ってるとは思えません。年齢層高い観光客は多いんだけど。若いと浮きます。何故。
とりあえず宿を出てからこの前は見られなかった脇本陣へ。藤村の初恋の人、ゆふさんの嫁ぎ先としてもしられています。
ここは明治10年に建て替えられたのがそのまま残っています。
広い広い中を見学(明治以降は普通の宿やってたの?って感じになっていたような)した後、囲炉裏端(ちゃんと火が入っている)で説明を聞く。
囲炉裏の上座は当主が座る場所。胡座をかけるように板付き。そっちから見て右手が女衆の場所。畳が姑で嫁が板間。左手が客の位置。
で、正面の思いっきり煙がかかる場所は子供。若い者が苦労しろって方針なのね。日本共通の座り方なのかなこれ。
その囲炉裏の煙や蝋燭の煤で部屋の内部は燻されたようになっているんですが、ある一定の高さまではそれがニスも塗っていないのに艶やかになっている。女の人が掃除で拭き続けているため、手の届く高さまではそうなっているらしい。なんだかそう聞いて何故か怖っ!と思ってしまった。習慣の力ってなんて恐ろしい。いや昔から掃除を欠かさなかった女の人達の勤勉さを讃えるべき所だろうけど。あまりにすごい意思の成せる業っぽいものを見ると執念を感じてしまって引く傾向がある私です。
一番良い部屋には天皇だって泊まるかもしれないからその上には部屋を作らないのが普通らしいのですが、この脇本陣にはそこに隠し部屋があるそうで。密談用。ほほう。
あと歪みがあるギヤマン硝子もあった。角屋と一緒。
次は本陣。こっちは割と最近の再建なので新しめ。日野宿本陣とやっぱり作りは似ています。
ここで何に驚いたって、最後の本陣当主、島崎広助(藤村の兄)にあてた大鳥圭介からの手紙があったんです。
〜マイナーな歴史人物解説〜
大鳥圭介。元は大阪の医者の息子。なのに何故だか幕末に幕府側歩兵の偉い人になり、函館では陸軍奉行(土方歳三のすぐ上の上司)になって最後まで戦った(ちなみに常敗将軍と呼ばれるほど激弱だった)。が、降伏後は明治政府に仕え、その上なんだかんだで叙勲されてたりする新撰組好きには微妙な想いを抱かせるお人。
福沢諭吉と一緒に適塾で学んでたことでもちょっとだけ有名。
ここの当主は大鳥圭介とどんな関係があったのでしょう。書まであるし。しっかし大鳥さんの字初めて見たけど下手だなぁ!ていうか適当すぎるよ。
ちなみに住所は府中になっていましたが、いつぐらいの手紙でしょうかね。わからなかった。
そんなのを見てまた宿に戻り夕飯(鯉こくとか)を食べて若干部屋でぼーっとする。すぐ外の縁側には雨戸が入っていた。こうなるのね。若干は遮断された感が増えるか。若干ね。
暗くなったら散歩しようと思って部屋で待機中。木曽路(濁り酒)飲みながら。甘酒みたいな味だなぁ。
色々つらつら考えてみる。あと夕食中にご主人から聞いた話。
・多分昔の人は障子をそれは素早く開け閉めしてたんだろうなー(虫が入るからです)
・その昔はここでも障子取り払って広い部屋に雑魚寝をさせていたそうで。そしてちょっと前まではすぐ隣の部屋にも客を入れていたそうだが、今は流石にそんなことはもうしないと。昔でいえば本陣に泊まる殿様(隣の部屋は空けられる)くらいの扱いにランクアップしているということか現代人。
・天井の梁とか床とか部分部分は本当に江戸からのものだそうで。
・近くの「寝覚の床」って所は浦島太郎が玉手箱を開けた場所として知られているそうで。何故海辺(何処か知らないが)からこんな山の中まで来て開けたんだ浦島太郎。
暗くなったので散歩に出る。借りた提灯に下駄、浴衣に丹前。で、歩いてたら観光客のじいちゃんとかに話しかけられる。けど基本的には夜は観光客殆どいないのでいよいよタイムスリップの気分です。
旧い格子が嵌った家々の影を作るは屋号が入った行灯の灯り。只管静かな宿場街に響くのは自分の下駄の音だけ。
てか本当に静かなんです。宿場時代は夜ももっと賑やかだっただろうね。旅にどんちゃん騒ぎは付き物です。
写真撮ったけど真っ暗で何がなんやらですね。
部屋に戻って寝るときは例の遮音性のなさのため、池の鯉による水音、降り出した雨音、蛙の声が自分が外にいるかの様に聴こえ。なのに何故だか途轍もなくぐっすり眠れた。図太いのでしょうか。