注文していた「銀河鉄道の夜」が届いた。
あぁ、やっぱり綺麗だ。
装丁や挿絵がイラストや写真にビーズやスパンコールが刺繍されているんです。それがまた「銀河鉄道の夜」のあの綺麗な文章に合うのなんのって。本当になんでこの時代の人ってこんなに綺麗な情景描けるかな。
ゴイステの「夜王子と月の姫」を口遊みながら読んでいた。
ごらんよ 満月だよ 天の川の声が聴こえて
銀色砂漠に響く 新世界交響楽団
名前はカムパネルラ 翼溶けた夜王子
夜更かし子供はみた クロールして空を飛ぶ夢
この歌作った人本当に「銀河鉄道の夜」好きなんだろうなって歌詞です。
あ、誤解するとなんですが、この作品は友情のお話ですよ。この歌は違うけど。
綺麗な話はやっぱり綺麗な装丁で読むべきですね。って思う人は多いだろうから電子書籍オンリーの世の中になったりはしないんでしょう。
昨日スナフキンって打ってて思ったんですが、去年のこの時期もスナフキンスナフキン言ってた気がする。寒くなると思い出すんだなー。
しかし妙だ。スナフキンは寒くなるとムーミン谷からいなくなる人(?)である。つまり寒い時の話では活躍しない。現に私が1番好きな「ムーミン谷の冬」にもものすごくチラッとしか出ない。
なんでこんなイメージになっているのか自分で謎。
もう今はスナフキンなら南に旅立ってる時期でしょうねー。羨ましい。
本当にピアノジャックの曲ってよくテレビのBGMに使われてるなぁ。今日もフィギュアのVTRの時にラストリゾートが。
話は変わりますが。
最近ブクログで本のレビュー書いていて思うんですが、普通に面白かった本のレビューはすらすら書けても、本当に自分の人生に影響を与えたようなそんな本のレビューっておいそれと書けないもんだなぁと。
スナフキンも言っています。
「もし一度旅のことを人に話したら、今度その旅の事を思い出そうとした時には、旅そのものじゃなくて自分の話したことを思い出すようになってしまうんだ」
と。原文通りじゃないけどそんな内容のことを。
同じように、自分にとって大切な本のレビューを書いてしまえば今度からその本の事を思い出そうとした際には自分の書いた稚拙な文章を思い出すことになりそうな気がして。
それ以外でも、本当に大切な事を感じたままにとっておきたければ、言葉にしちゃいけないんでしょうね。
うーん書けない。
まぁレビューなんて書いても書かなくてもどっちでも良い事ですがねー。
久しぶりに夏目漱石を読んでいた。「坊っちゃん」と「三四郎」と「こゝろ」。
やっぱり面白いのね漱石は。「坊っちゃん」なんて読んでいて何回もニヤニヤしそうに。江戸っ子良いなぁ。
「こゝろ」は初めて読んだ時と自分の着眼点が変わりすぎていて驚いた。再読するとこんなことが起きる。今はKより何より「私」の家族関係がどうなるかが気になっちゃって。
「三四郎」に出てくる与次郎が好きすぎる。かなり適当なヤツです。友人にいたら楽しいのと迷惑なのが紙一重な感じ。いや迷惑よりかな。
でも漱石で一番好きなのはやっぱり「夢十夜」。これの第一夜目は生涯読んできた中でも一、ニを争う美しいお話。
明治の人達はなんでこんなに綺麗な文章書けるかな。旧体字で書かれてるのがまたたまらない。
恋は戀とかね。
戀という字を分析すれば いとしいとしと言う心
もう意味通じなくなっちゃってますね、この都々逸。
今ユニクロのCM良いですよね。高村光太郎の詩を朗読?しているの。
冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
見わたすかぎり冬だ
再び僕に会いに来た硬骨な冬
冬よ、冬よ
躍れ、叫べ、僕の手を握れ
その名も「冬の詩」。
本当は結構な長さなんで冗長な感じになっちゃうんですが、ここだけ取り出すと良いですねー。
あー、もう冬かぁ。冬なのか。
ちなみに終わりはこんな感じ。
冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
見渡すかぎり冬だ
その中を僕はゆく
たった一人で―
ちょっと陳腐な終わり方かなぁと。