分けたのでこの写真も載せましょう。



例のおっちゃんが「撮るならここベストポジションだよ!」と言ってくれた場所から。松の間から庭を見たところ。
室内の方が気になるかもしれませんが、ちょうどこれ撮ってる背後くらいの壁一面がちょっと新しいんですよね。といっても大正時代のもの。小火が出てそこだけ燃えちゃったらしい。そんな訳で角屋さん、この部屋だけ唯一重要文化財じゃないんです。重要文化財になるには最低200年経ってなきゃいけないらしい。

で、二階です。撮影禁止なのでこれまた記憶と文章に残すしかない。
とにかく階段が狭くて急だ。新選組記念館でも古い町屋だったから同じ事思ったけど。昔の人は「駆け上がる」ってことは出来たんだろうか。それも着物で。
上がった所が通りに面している部屋で御簾口の間と御簾の間と緞子の間。御簾の間には御簾が一カ所だけ掛かっていて、あとは障子とかに御簾の絵が書いてある。部屋の全部が重要文化財。
しかし何百年も蝋燭使ってるから障子とかの絵もほぼ真っ黒で見えない。でも名のある絵師が書いているらしい。
二階の通りに面している側には有名な「扇の間」も。和歌が書いてある扇面が天井に沢山貼りつけてあり、壁や障子には源氏物語の絵。この部屋には小舞台も。
なんかね、もう下の部屋と風格が違います。障子絵とか書いてるの円山応挙とかですよ?乱暴者の新選組に使わせてくれなさそうでしょ。

で、極めつけが一番奥の青貝の間。他の部屋は壁が綺麗になってるのにここはできない。壁なんかも全部螺鈿が付けられていて今の技術でもそれをどうやってるか解らないので、綺麗に直す事ができないらしい。なので本当は水色の壁が煤で黒い。その中に螺鈿の煌めきが見える。一緒に見学していた人の中にそういう仕事やってる人がいて話を聞いたんですが、信じられないみたいですよ、そんな事ができる技術って。
この部屋には今でいうバルコニーみたいなのがついていて、そこの窓がギヤマンの硝子。オランダからの当時の最高級品。今はもう見つからなくて、昭和に一枚割れちゃった時も変わり派見つからなかったと。ギヤマンは今の板ガラスと違って揺らぎが見えます。
とにかく部屋全部が超高級品。価値が計り知れないほど貴重なものばかり。みたいなところでも、やってくれてます、新選組。
この部屋にも刀傷が三カ所。逆袈裟が2つに袈裟掛けが1つ。幅が違うから違う刀かなぁ…でも木は歪むから解らないか。八木家や角屋の玄関の刀傷はみんなが触るので縁が丸くなっていましたが、ここは鋭い切り口が残っていました。

そういえば私のいう袈裟懸け、逆袈裟っていうのはいつか読んだるろうに剣心の説明に準拠してます。袈裟懸けは斬る方から見て右上から左下。逆袈裟は左上から右下。
右切り上げなら斬られる方から見て右なので斬る方からは左下から右上。左切り上げはその逆。切り上げの刀傷なんて残っていませんがね。

それでこの刀傷、客の刀は玄関入るときに預かるんですが、新選組は不逞浪士探す仕事でも来るので、その時は刀持ってる。この傷は戦闘とかじゃなく威嚇だそうです。もうさ、チンピラじゃん。ていうかヤ◯ザじゃん。
新選組ファンですが、さすがにこの部屋でそんなことするなよ!と憤りが。価値とか解らないんだろうけどさ…だから京都の人に嫌われるんだよ…。
本当今回の京都旅行で実感したんですが、新選組って実態はヤ◯ザみたいな感じだったんでしょうね。幕府公認ヤ◯ザなんだもんね。
だってどこいっても刀傷あったら新選組が新選組がってどれだけ刀振り回してたんだい。本当は違うのもありそうだけど京都の人にそう伝わってるってことはそんな風に思われていたんだろうし。
そんなヤ◯ザ集団を一応武士にするために隊規厳しくせざるを得なかったんでしょうねー。そりゃ大変だな。
今度から新選組小説とか読むとき、優男風に書かれていたら密かに心の中で呟くかもしれません。「いや、絶対もっと荒くれた酷い集団だったよ、きっと」と。でも歴史小説なんていったって所詮はフィクションだから楽しめれば良いんです。実際と違うだろうななんてことには目を瞑って読み続けます。

さて、角屋を出てそろそろ帰るかと。旅行であんまり物買って帰る方じゃないので今回もサッパリ何も。はい、コレ以外は。



地酒。これだけは外せない。試飲しまくりました。

いやー、楽しかったです、やっぱり好き勝手に回るのは。てか5日間も関西にいたのか。ハイライトはやっぱり八木家だったな。
しかし書くの長かった。明日からは通常仕様です。