取ってしまいました。
……禁断の年休を。
何だか無理っぽそうだったから。
もう色んな難しいことばかりでどうしたらいいか。
無理に自分の負担にならないように解釈し、行動してみる。
でも言われた(読んでしまった)言葉は残る。
忘れられないから抵抗し続けるしかない。
昨日ほぼずっと頭痛がしてたし。
仕事にならない。
休み取った時は「この調子で休みが続けば……」とか母に嘆いたけど、今はすっきりしている。
お腹が空いたよ。
軽く何か食べようかな。
足がすごくむくむから、足枕に足載せて休んでたら眠ってた。
リアルな上にきれぎれで、夢か実際にやったのか判然としないような一日。
解放された一日だった。
やっぱり全て私には荷が重い。
それを甘えや怠けと他人は取る。
実は私もそう思う。
深夜に頭痛がひどくてそれでも寝なかったことが悪いくらい、理解できる。
でもGREEには際限がない。
GREEだけじゃない、全てだ。
早く終わりたいのに、相手が離してくれないし、ずるずる喋らされる。
自分もつい喋ってしまう。
大体そんな感じ。
でもギャグ漫画日和ではない。
というか、コメレスを自分がしたくてしてる間はいいし、自分で一言書くのもいいんだけど、打ち切ったり、返さなかったり、他人のどうでもいい一言にレスつけなかったりすると「コメント差別」だの「数友」だの言われる。
しかも、多数の人とその話題を共有して、盛り上がる人までいる(数日前に書いた「掃除」の人がそうだった)。
途中で誰とも話したい気分じゃなくなり、アプリだけ稼動させ、会話や交流はせず、放置した場合も同じ。
だから、自分のペースでできない。
だけど、そういう時でも気になる人には一期一会って気分になるから、友リンは申し込んでたら「数友王」と呼ばれたこともある。
数友王に、俺はなる!(笑)
#どうも今のGREEでは、友達リンクが3桁を超えると、数友だという考えを持つ方が結構いるようです。
#前は、単純に多ければ良いって価値観が主流だった気がしますけどね。
#だから7年間で沢山作れたし、芸能人やマスコットキャラと友達になろうキャンペーンとかもやってたんで、増える増える(笑)
そんな奴放っておけばいい?
確かにそう。
自分も無視したい。
でも、何故か一旦GREEに入っちゃうとそれができない。
自分のペースで喋りたいというのは、自己中なのか?
そうかもしれんが……
確かに沢山「友達」を作りすぎた。
でも、なってみないと分からない面もある。
それがたとえ思春期や、テストを一週間後に控えた苛々であっても、ストレートに(いや表し方はストレートじゃないけど)ぶつけられるこちらは、そんな余裕と理性での理解が徐々になくなっていく。
先生の苦労が分かった、気がした。
漆黒拡散さん。
日記にわざわざ書いてすみませんが、ちょっと向こうだとまとまらないし、他の人にも読んでもらえなさそうなので今書きます。
お許しください。
「りぼん」の何かのコンクールで、受賞者が全員、小学6年生で、漆黒さんによると「すごく上手で、これが小6クオリティかと疑いたくなる程」だったそうです。
多分、付録についてなので、他の話だと思いますが、「プロも欲しがる」等の言葉もありました。
(雑誌の付録の絵って、プロが描いてるわけじゃなくて、他の人なんですか?
だとしたら、知らなかったです。)
要するに、プロも顔負けのレベルだったと自分は受け取りました(ので、最初に書いた記事ではそういう表現になっていましたが、読み返したらそうではなかったので修正しました)。
私はりぼんの賞などチェックしていないし、多分ソースはどこかの、2ちゃんまとめ的なニュースサイトだと思いますが、それを見る気も起こらないので、上記が事実だとした上で言います。
多分、その人たちは、漫画に命を懸けているか、楽しいと思いすぎて、学生が本来すべき「勉強」は疎かだろうし、テストや授業なんて知らんと思っているんじゃないでしょうか。
そして、大人になった頃には備えておくべき、モラルや常識等もあまり育っていない、育てようとしていないのではないでしょうか。
これは偏見かもしれませんが。
確かに漫画については天才なのかもしれませんが、他を捨てずしてそうはなれないと思うのですよ。
いやもしかして、テストも100点、運動神経抜群で友達も多いリア充だが、超人的力もしくは溢れんばかりの才能を駆使して漫画に取り組んでいるなら、失礼致しました、ですが。
私も小6の時は真斗さんに憧れ、ポケモン漫画を描いたりしていましたが、多分プロ顔負けなんかじゃないと思う。
宿題とゲームが私にはありましたし、いじめを受けてたんで悶々とその考察もしてましたから。(笑)
ていうか、どこからがプロ級?何をしてプロ顔負けと言うの?という疑問もありますが、それは別の論点として置いておきまして、皆さんの評価をそのまま正当としましょう。
それでも、上記のように思うのですよ。
他が疎かなんじゃないの?と。
学生の本分、果たせてないんじゃないの?と。
一方的知人にYさんという人がいます。
彼はスケートボーダーで、スポンサーもついているプロです。
実際、何度もアメリカに渡って練習し、大会での受賞も多数しているようです。
でも、小学6年生でした。
Yさんの才能を信じて疑わず、応援している母親は、学校よりスケボーが優先で、スケボーのための早退・欠席は当たり前、息子がプロであり、数々の表彰を受けることにも鼻高々でした。
しかし先生達は、それを良く思っていませんでした。
特に担任の先生は困っていました。
小学生の内に身に付けておくべきことがある。
それが今のようでは、身に付かないのではないか、と。
態度の悪さで評判になったオリンピック選手のようにならなければいいが、とか、しばらくはプロでやっていけるかもしれないけども、遠い将来、彼がおじさんになるころ、どうか、とか。
良くてショップのオーナーじゃない、と某体育の先生は言っておりました。
彼を市の表彰の候補者として推薦する時、確かに条件はクリアしているからせざるを得ないが、あんな人を推薦なんかしたくない、と担任の先生がぼやいていました。
そのくらい、先生達から見て、髪型含め、態度が悪かったそうです。
編集部やパトロン達はおだてるかもしれない。
プロ級だ、と目を見張ってくれる読者もいるかもしれない。
でも、それ以外の人がどう思っているか。
その若さで、自分の関心があること以外の学習を捨てることの恐ろしさを分かっているか。
プロ志望ではなく、単に軽く描いて応募してみてそれがたまたまプロ級の出来だったという、まさに漫画(イラスト)の天才だったなら失礼しましたが、多くの場合、プロ志望だからそういう賞に応募するんだろうと思います。
だから上記のようなことを書きました。
その才能と、かけた時間を否定する気はありません。
いや、時間はそれ程かけてない、と言うかもしれませんね。
ですので、仮にその通り、然程の時間を使わず仕上げたなら、富野氏みたいなコンテ王になれるかもしれませんね。
努力をして、そこに到達したと自負している方がいるなら、それも否定はしません。
反対に、努力してないけど出来ちゃった、私天才、と言うのなら、それもむかつくけど否定しません(否定の材料がない)。
ただ、物事の価値って変わりますよ。
個人の中でも、世の中でも。
それは、理解しておかないと。
後できっと、苦しくなりますよ。
という、以上、多分そういう「プロ顔負け」、もしくはプロの人たちからは落伍者にしか見えないだろう、歳老いた人間の呟きでした。
こういう話をすると「僻み」と取る人もいます。
実際、そう言ってきた人もいますので、予め言っておきますが、自分ではそうかどうかの判断はつかないので、貴方がそう思うならきっと私は僻んでいるのでしょう。
ですので、貴方がそう思うことも否定はしません。
漆黒さんや、その小学6年生の人達をプロ級と評価して「すごい」と持ち上げ、騒いでいる人の価値観や、主張していることを否定するつもりもありません。
ただ少数者の一意見として書いてみました。
『夢を叶える為にする 挫折や苦労のすべてを
僕は平気な顔をして 「しあわせ」と呼ぶんだ
(中略)
あの頃までは……』
―「きみをつれていく」安倍麻美(作詞:326)より