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クロニクル‐幻から常識へD

2008年〜2009年のこと。
私は実家住まいで思索(?)に明け暮れる毎日を送っておりました。

病んでいたからそんな生活をしていたのか。
それとも、そんな生活だから病んでいくのか。
その片鱗はこのブログでも窺い知ることが出来ます(無理に知ろうとはしなくていいですが……)。

ネットでは段々過激派の知人が増え、訳の分からないご高説やら入れ知恵の類を吹き込まれて半端なく頭がいかれておりました。
東京やNY(にゅーよーく)に住んでいると、自分も有名になれると思えてきてしまうらしいのですが(よく小説とかでそう書いてあります笑)、私も一種そのようなハイな(のかローなのか分からん)状態になっておりました。

それで、様々なものを書き散らしていたのですよね。
その頃は、イラストが下手だって言われまくってたから描くことができなくなっちゃってたもんで、もっぱら散文と小説でした。
その片鱗はこのブログとか他で窺い知れます(ので、是非見てね!汗)。

でね。
一体どういう訳か、ここをドラグナーファン(しかも複数……?)が発見して、訪れるようになっちゃったんですよ。
勿論それ以前から、マイヨのこととか彼から着想を得た架空の人物「摂政閣下」とかそういうので私一人勝手に大盛り上がりしてたんですけども。
それにその人らは訪れるだけじゃなくて拍手とかで色々コメントしてくれたんだけど。
何だか妙に悪意あるというか、個人的にはあんまり嬉しくないようなコメントだったんだなこれが…。

例を挙げると

・弟との会話で「ヒエラルキー」という単語が出てきて面白かったので、プラクティーズ三人の会話に仕立てた。
→「押し付けるわけではないが」番宣予告でカールはもっとあけすけに話していた。
→アニメを全部は見ていない、とほしみんが白状する。
→全部見て下さいね!と言われる。
→鬱で見れる状態じゃなくその言葉自体が負担に(私自身にも非はあるのかもしれないが…)。
番宣予告は本編じゃなくね?(例:火星物語とかBLEACH)

・マイヨが結婚したら不器用でも子供を可愛がるだろう、と小話みたいなものを書いた。
→彼は結婚しない。
しても結婚記念日(誕生日だったかも?)に薔薇を一輪くれる程度。
→すごく否定された気持ちになった。
気持ちに余裕が出てきた頃にその着想はもらった(笑)。
つうか、いるんだな好きなアイドルが独身でいてほしい人って(気持ちは分かるよ)。

・ドラグナー以外の話題やマイヨ単体の話をしていた。
→そんな話じゃなくて、BLの話をしてください!
→客を失わないために要望に応えなければと必死になったが、BLの続きは書けなかった。
っつーか、ここは元々そういうブログだっての……。

・マイケンって露米じゃね?って言ってみた。
→ケーンは日本人だからアメリカ人と言ったらタップ。
でも彼のBLは想像できない!
→いや、ハーフだから……
それに想像できないなら敢えて言う必要ないだろう?汗
君はドラグナーがトップガンや冷戦に着想を得たことを知らないのかい?

・足跡をつけていただいたので友達申請をした。
→マイヨはケーンの附属物でしかなく、話すのは苦手なので交流は出来ないがと言いつつ友達にはなってくださった。
→いや、別サイト(pixivやツイも)でははっちゃけてたでしょ……
それにマイヨは附属物って、ほしみんに直接言っちゃうところがすげえ……
って思いつつ、きっとイラストが下手だから見下してそういうこと言うんだろうって枕を濡らした。

同一人物だったのかどうかは分かりません。
しかし私は非常に怖くなりました。
だって、他の(私より詳しく、絵や小説が上手いと言われているであろう)ドラグナーファンの方に、すごく気を遣っていたつもりだったからです。
にも拘らず、こんなに大勢の人から批判を受けてしまうなんて……

それに全体的に「ほしみんの方がものを知らない」みたいな上から目線の書き方に感じました。
強くものを言われたり、多数に言われたりするとそちらが正しい気がしてしまう性分なので、従順にしたがいましたが…

恐らく同時期だと思うのですが、別の人もある人のサイト内での記述に苦言を呈したことが元でトラブルになったと聞きました。
ニッチって、おそろしいですね、内ゲバが……
こんなに狭い世界なのに……。

そんなこんなで1〜2年が過ぎ、2010年後半となった。
私は、ディエンビエンフーというベトナム戦争の漫画を読んだことがきっかけで、また絵を描き始めることができた。
その漫画はすっごくシンプルで、しかしスタイリッシュだった。
いわゆる耽美系だけが上手い絵ってわけじゃないのをよく知ることが出来た。

小説も書いた。
こっそり載せた。

やっている間にまたファンが増えていった。
しかしヤフブロでは、荒らしが現れ、ツイッターでは人間関係に挫折し……
全てを喪った私の前に耳を傾けてくれる女神が現れた(笑)。
彼女は私を勇気づけてドラグナーを見させてくれた。
最後まで見終わった時ちょっぴり自分は変わった気がした。
そして彼女は去っていった。
とても寂しかった。

ごめんなさいね、何を(誰を)信じたらいいのか、分からなかったのですよ。

そして今ここ。

ドラグナー関係で荒らし(だと自分は思っている)を受けたことが今でもショックでなりません。
そして私が思い通りにならないと思ったら遠慮なく捨て去っていかれたことも。
寂しいものです。
交流で盛り上がっている人のサイトが不思議でなりませんでした。

何でアニメ本編を見なかったのと訊く人がいます。
それはごもっともだと思います。
しかし、これだけ多くに叩かれた結果、自分の解釈等がおかしかったことをアニメを見ることでまざまざと知ってしまうのではないかと恐れていました。
そして単に鬱の時にあっかるいアニメを見るのが気乗りしなかったこともあります。

これでドラグナーに関する回想は終わりです。

尚数年前のその荒らし…いや熱心なファン……が増えた頃?に、ファルゲンのプラモが販売された模様で、弟がそれ持ってて見させてもらったことを付け加えておきます。
その頃に一体何が起こったんでしょうね。
心当たりはないんですが……強いて言うならDVDの発売だろうか?
それまでは静かでいい場所だったのに。
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クロニクル‐幻から常識へCの補足

CではA.C.E.のもたらした功罪について書きました。

他での取り上げ方について少し調べたのですが、MXはマイヨとファルゲンとの戦闘が何度かあり、確かに焦点が当たっていると言えなくもないのですが、シナリオは確かゼオライマーがメインだったらしいので、女性ファンはそちらを中心に騒いでいた気がします。

英雄譚では京都編のアレンジがありますが、特に注目されていなかったように思うんですね。

その頃のマイヨのイメージって、「オール(バック)の紳士」でしたよ。
これはチャットで一般人の少年が言っていたので間違いない(笑)。

だから、ある人が言うように、アレクセイに近い、エキセントリックな道化というイメージがもし広まっているなら、それはA.C.E.のせいだと思う。
多分、A.C.E.内でマスドライバーの破壊イベント時のファルゲンの動き(AI)が馬鹿すぎる(はらはらさせる)からなんでしょうねぇ。
弟含め、数人が苦笑していたのを覚えています。
でもそれだけを取ってあのシーンを語ったり、マイヨが馬鹿キャラだと流布したりするのは、違うと思うなぁ。

ゲームキャラに何むきになっちゃってんのって?
あ、それだからこそのオタクです(笑)。

ともかく、A.C.E.が出てから私は軽く検索をかけたのですよ。
すると、以前検索した時とは違って、マイケン・ライケンを扱ったサイトが増えていたのは前にも話しました。
その内の一つに書かれていたマイケン小説は、萌えが程良く表現されていて良かった。
マイヨの若い頃の写真とかね、私も見てみたいですよ。
他にもその方やその周りで、スタダスの捲土重来や、ΖΖのジュドー等も好意的に取り上げられていたのを記憶しています。

ともかく私はケーンやリンダを心配する兄ちゃんのマイヨに好感を持ったのです。
私自身、弟やその女友達が心配で、女友達とメールで接触を持ったことを弟に責められた記憶がございます。

申し訳ない……
それで自分と重ね合わせた面もありました。

そして、マイヨを知るずっと以前、同じようなオールバックの教養ある紳士が、男性に好意を持ちつつその妹と結婚しようとする……というのがあったので、義兄弟というものに倒錯的魅力を感じておりましたしね。

そのサイト様は、私にとって第二のインスパイアとなったと思います。
カールとウェルナーの話なんかも書いてあって素敵でしたなぁ。

そんな中、2008年にDVDが売り出されます。
CMはOPの流用で、マイヨさんも出てました。(笑)

Dへ続く。
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クロニクル‐幻から常識へC

2006(平成18)年。

園田氏の小説版をも手に入れ、読んだ私はちょっとした通のつもりだった。

DVD化の少し前にサンライズによる公式サイトができ、拠る所もできた。

思春期をこじらせた私が、一度だけ行った病院は代々木にあり、ついでにサンライズの社屋を外から見てきた。
掲げられたプレートにガンダムの顔があり、流石、と感じた。
正直そういった業界の方は今でも羨ましいです。
だから少しでも近そうな人がいると、自分もそうなるべきかと模索したり嘆いたり。
そんなふうに病的精神を培ってきました。

ドラちゃんは私にちょっとした優越感をくれました。
多分、幻としての価値が、まだその時はあったから。
人が知らなければそれをいいことに、好きに感想や論評を書けたから。
そんなことに目くじらを立てる人もいなかった。

しかしそれが覆る時がやってきた。
A.C.E.と、それに続くA.C.E.2の発売である。

特典小冊子はマイヨたんのページもあって、すげーいかすものだったのだが、本題はそれではなくゲーム内の扱われ方である。

ドラグナーの最終話付近を、基本的に原作から引きながらもアレンジした挿話がある。
そこでは、多分アニメでは「未来の舎弟として……」程度で流された(というか、リンダへの好意がメインの描写に思われる)義兄弟の絆に、焦点ががっちり当てられ濃密に描かれた。

つまり、言うなればツインレーザーソードの煌めきに眩惑された人たちが、少なからずいた、ということ。

これは、ファンの激増という嬉しい(?)現象を招いた。

当時検索したら、それまで見なかったようなファンサイトが新たに出来ていた。
その殆どが、マイケンかライケン(これを光合成カップルと言うのが通らしい)であり、自分は彼女たちの繋がりと称賛の多さ、意欲的創作活動に圧倒された。
後にマイケンが主流と感じるようになったのはそのためである。
だが嫌悪はしなかったのは、マイヨ単体とかリンダ(!)の絵も描いている人がいたからであった。
ああせねばこうせねば、ではなく、ゆるーい連帯があると思っていた。

多分、我々にとっての転換期はA.C.E.にあった。
すごいソフトだったのは認める。
実際見ているだけで楽しかったし、ファルゲンの機動性を実感できた。

しかし、だ。
A.C.E.は、「アナザーセンチュリーエピソード」である。
あくまでも。

だから原作準拠であっても、そのものではない。
未来の弟云々にしても、そこにはニュアンスの違いがあるのではないか(だからこそ、マイヨ側から「未来の弟」と言ってくれてレッシィうれっしい(爆)という感想を書いたのかもしれないけど)。

それは京都編を取り上げた英雄譚でも同じである。

「大いなる無知としか言いようがない」は、実にさらりとした台詞であった。
というか、あれはマイヨの心痛とか気の迷いとかを、リンダの台詞を通して察してみるのがメインの会話であって、決してマイヨはゲームでのように、大声で断定などするつもり(余裕)はなかったと思う。
ケーンがマイヨから受けた威圧感云々も、ゲームで文章化されただけで、アニメでケーンがそう感じているという描写はなかったように私は思う。

間違いなく原作を元にしている。
けれどもそれを再構成する時、どうしてもその人の価値観と好みと解釈が入ってくる。

その意味で私が原作を全て見るのが遅かったのは損だった。
見ていれば、早く上記のことに気付いたかもしれないのに。

とにかく、肝はA.C.E.内でのケーンとマイヨの掛け合いが、女性ファンのハートを鷲掴みにしてしまったということだ。
幸であれ不幸であれ。

Dに続きます。
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クロニクル‐幻から常識へB

2006(平成18)年にさしかかろうという時。

私は、香取慎吾主演の「西遊記」を見ながらチャットしていた。
DVD-BOXを待ち望んでいたのだ。

とうとう注文したそれが届き、私は歓喜しつつ、何故か虚無感に襲われた。
開封出来なかったのは、ただ嬉しさと勿体なさのためじゃない。
急に我に返ったというか、馬鹿馬鹿しくなってしまったというか、そんな気持ちがあった。

或いは照れ隠し。
というのは、こういうわけだ。

私はDVDを手にする少し前に、個人の作ったファンサイトの掲示板で、ある人と語らった。
それは今でも良い思い出で、話の分かる人が周りにいなかったため嬉しく、まるで前夜祭のようだった。
DVD-BOXの話が出た時、その人は、自分は学生なので買えないと言っていた。
私は少し自分を恥じた。
同じ学生の身でありながら、早速注文してしまったから……。

パッケージの絵には、変化を感じ、少なからず落胆した。
そちらのほうが好みな人もいたのかもしれないが、個人的には変化を嘆く人が多かったように思う。

私は箱を大事にしまい込み、一生の宝あるいは汚点とすることにした。

誤包装による差し替え、というアクシデントがあったために一ケース開けた他は、今でも未開封のままである。

ちなみに当時の値段は5万円だった。

一方で私はマイヨが好きすぎて二次創作を始めていた。
それまで二次創作はしないというか、出来ない人だったので一種の挑戦であった。
他人が怖かったのと、本編未視聴による遠慮がありつつも、バイブルとしていたYさんを大いに参考にしつつ執筆を進めた。

完全に自己のための作業で、卒業制作にすると息巻いていたのに結局出来なかった。(笑)
それが最近仕上げた教師パロである。
色々な人にお世話になりました。

確か同時期、A.C.E.が発売されたのだった。
弟は、折角A.C.E.を買ったのにPS2が壊れてできないと悲しんでいた。
A.C.E.は機体を操作し、ミッションをクリアしていくゲームで、軟派な自分は、弟のプレイを見るだけだった。

Cでは、A.C.E.が生んだ現象と価値観について書こうと思う。
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クロニクル‐幻から常識へA

2005(平成17)年、私は2chのドラグナーに関するスレッドを読ませていただいた。
「香港D型」に始まる一連の書き込みは、私に新たな見識と論点を提示してくださった。(笑)

印象に残っている論点は以下のようなものである(順不同)。

・効果音を表現する擬音語の考察

・マイヨのホモ疑惑…雑誌に掲載されたらしい

・種(デス)ガンダムとの連関性…監督の福田氏がドラグナーの製作に関わっていたため、オマージュが含まれているらしい

・マイヨの性格…冷たいor熱いなど、両極端の意見が見られ、総合的には「起伏が激しい」といえる

・マイヨとミンの今後…恋愛関係に発展する(してほしい)という人と、発展しない(してほしくない)という人の間で紛争が勃発した

・イタリア版パッケージの謎…主人公はマイヨで、何故か上半身裸で載っている

・ギガノスは新興宗教に類似している…具体的な団体名が幾つか上がってくる

・ギルトールは年長世代のカリスマ、マイヨは若衆のカリスマ

・まだDVD化されていないのに、何故感想が細部に渉るのか、また同じ話数ばかりが取り上げられるのは何故か…ある可能性に遠回しに言及していると思われる

・マイヨは鬼畜なのか…ケーンの友達を撃ったのはカメラ破損による事故と考えるのが妥当と思われるが、国際法上の対物兵器に当たるかで軽い論争となる

・自分の意見に固執し強弁する人が現れ、「却下」氏と名付けられ注目される…名前の由来は、まず、ドルチェノフのような人だから閣下と呼ぼう、という話になったが、それでは勿体ないから

・そろそろケーンのお祖母さんが生まれていてもいい頃だという時代考証

・やおい風味で別世界な小説版の論評

こうしたやり取りには、時間が経っても臨場感があり、他の人はどう解釈し、何を求めているのかを知り、踏まえる良い機会となった。

しかし、多少過激すぎて怯える要因にもなった。

良くも悪くもその後の私のスタンスを決定づけたのが、これらスレッドの書き込みであると言ってもいいでしょう。

Bでは新たな展開が?
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