あの最終話のプロポーズからもう2年になるんですね。私には世の中の多くの人達とは全く違う解釈になって、むしろ多くの人達が何言ってるのか分からなくて困惑したわけですが、2年研究してきてようやくこの現象の大きな原因と思われる所に辿り着きました。

そもそも18年版ドラマに不自然なシーンや矛盾点が多く、『視聴者に対して不親切』という意味とかでいろいろ雑な作りに思ってました。シーンAとシーンCがあって、補足になるシーンBがあれば綺麗に繋がるはずなのに、それが無いから突然話が飛んでてテンポが気持ち悪い(2話と3話の繋がりで、あの公園での別れからいきなり普通に春田家に戻っている所とか。牧君が春田家に戻った時の1シーン欲しい)。耳から入ってくる情報と目から入ってくる情報が食い違っている(これが多数あることにより、自分の物の理解の仕方を全否定されたような状態ですね…)。匂わせておいて「待ってたらそのうち詳しい話あるかな」って思っても何も無いまま終わる。2通りの解釈ができてしまうのに判断できる部分は無いetc…そういう部分が複数。役者さん達のお芝居やBGMはすごくいいのに、作りの荒さが目立つバランスの悪さが気になって…。しかしそういった部分を指摘する評論なども見かけず、一部のメディアは最初から知ってて黙ってるんじゃないかってことはずっと疑ってました。何度かうちのブログ読んでくださってる方なら、私がどういう部分に疑問を持っているか知っててくださる方もいらっしゃると思いますが、私がインタビューできる立場であれば聞きます。容赦無く突っ込みます。でもそういった部分に触れられている記事は一切見たこと無いです。ストーリー的には春牧で結ばれる話なんだけど、授賞式とかでは一緒に並ぶことって無かったような…?もちろん吉田さんも素晴らしいのですが、何かしらの力が働いてるような感じもずっとしてました。

「気になるシーンがあったから、待ってたらきっとそのうち詳しい話あるよね?」と感じるのは視聴者として普通の感情と思うのですが、それが無いから消化不良起こしつついつまでも引っ掛かりが残ってしまう、ということを私は視聴者目線で感じていることをご理解いただけたらと思います。深夜ドラマってそんなもん?単に視聴者としてだけじゃなくて二次創作とはいえ書く側の目線が入ってるにしても、全く話が分からない部分もあって、とても複雑で分かりにくい部分も多いのに、世の中の多くの人達は一体どうやって物を理解しているのか、私は発達障害か何かあるのかとかいろいろ思ったよ(こんな状態になってからいろいろ調べてHSPのことを知った)。

2年かかってようやく理由がはっきりしたけど、私は元々アニメやゲームといった2次元系のオタクで声優ファンでもありますから、耳のみで聴く『ボイスドラマ(ドラマCD)』というものがとてもポピュラーなものとして存在します。ブックレットにキャラクターイラストはありますが、ストーリーの内容そのものはマンガやアニメのように絵で見るわけではなく、セリフ(+BGM・効果音)を耳のみで聴くというものです。視覚情報ゼロですから、そりゃあ脚本大事ですよ。あとキャラソン(キャラクターソング)の歌詞もそうだけど、これも視覚情報ゼロで耳だけで状況を把握しつつ光景を思い浮かべたり…。あまりにも当たり前に存在するものすぎて逆に分からなかったけど、よくよく考えたらTVドラマ業界や俳優ファンの人達には馴染みが無いでしょうか。俳優ファンの人達って多分、俳優さん達を『姿を目で見る』のが好きなのではないかと思います。そもそもTVも『見る』ものですし。おっさんずラブに出会う前は2.5次元にいたりして、私も『見る』感覚は強いはずなんですけど。ゲームもセリフはだいたい文字ですし。声優ファンの感覚だと『声(セリフ)を耳で聴く』ことで話を理解する度合いが強い人もいるかもしれないですね。慣れてますし、それ普通…!だから私はおっさんずラブの場合は特に『気になる情報が耳に残る』と感じるし、耳(セリフ)からの処理速度が速いのに対して作中では何も説明されないまま終わると、さっき聴いたあの話どこ行った?って感じとかでペースを崩されるらしい…。逆に耳で聴いて分かる情報なら『隠しシナリオ』として理解してるけど、視覚優位の方には映像が無いから理解しづらい感覚なのかな?
5話のコップと歯ブラシの件で、目は簡単に騙されるってこともまともなドラマじゃないことも知った上でファンやってますから…(緑2本が春牧のバックハグだと思って喜ぶ人続出しちゃったけど、4話でちずちゃんが泊まりに来る前に緑とピンクがある)。

『視覚的に印象的なシーン』ってファンの中ではいくつかあると思うんですよ。目で見るタイプの方って、不動産編については最後に視覚的に非常に素敵なシーンがあることで視覚的に満足感のピークが来て、しかもブラックアウトする直後を見たいわけで気持ちが先へ向かい、話が多少おかしくてもごまかされてませんか?公式サイトとか見ると3人の写真で『牧→春←黒』っていうフレームが視覚的にかかってるから、目の情報が強い方ってここにオートフォーカスがかかって、フレームに入ってない人達のことは認識が弱かったりするでしょうか?特に16年版を先に見ていた方だとハセの元カレに当たる人はいなかったので、武川さんが重要人物と認識しづらいかもしれないし、ラストもラブ度がかなり上がるので、プラスになりますからね。
ここだけを見れば確かに一般的な感想や解釈を持たれるハッピーエンドでいいんですよ。個人的な認識としては、ここの『牧→春←黒』については『見てれば分かる話だから考察的な意味では放っておいていい』。4話で部長を振って退場させることでフレームから部長が外れて『武→牧←春』という状況に移る(2話でキスされたことを相談した時から同時進行で始まっている)。視覚的には認識しづらいかもしれないですが、一時的にこちらの話に移行している。私はこちらの状況に移行したまま戻れなくなったからドラマの終わり方に強い違和感を持つんでしょうね…。劇場版では武川さんがここのフレームから外れるから、私も『牧→春←黒』の状態に戻って見るんだけど。工場からの脱出時に武川さんが牧君一択の状態になってて、あそこははっきり武牧に戻りますね。武川さんと春田さんのバトルにおいて中央は牧君なんですが、武牧が元カレと判明後は3人で一緒になるシーンはほぼ無いですからね。武川さんは牧君の元カレでありながら去られてしまった経験を持っており、その原因もはっきりしている。その話を『牧凌太取り扱い説明注意事項』と私は受け取ったので、何で状況を悪化させてハッピーエンドになるのかということがどうしても分からなかった。ラストに指輪などの視覚的に補足できるものも無いですからね。元は「好きだ」「俺と付き合ってください」って牧君から来るのを受ける立場だったけど、プロポーズに関しては「俺と結婚してください」ってこっちからお願いするのを牧君が受ける立場に関係性が変わるから。じゃあ牧君を大事にしてあげないとダメでしょって思うんだけど。

本放送組なので6話後の1週間経験してるんだけど、あのラストでこの先長く続かず『破局へのカウントダウンが始まった状態』と察して死ぬかと思った…。映像とBGMがあれだから、何も気付かず喜ぶ人達の声の方が圧倒的にスピード感あって世の中に出回りますよ…。劇場版では分かりやすく武川さんと牧君の時と同じ「あいつは本社勤務で俺は営業所勤務」の状況を作ってきて、一時的に破局し、最後は交際そのものは続いてるけど牧君が去っていく姿で終わっている。脳年齢85歳の診断を見ると、『記憶力が低い』というまさかのオチ…。これをどういう気持ちで見ていればいいのか…。16年版で理想のタイプを「仕事で遅く帰ってきても美味しいご飯で迎えてくれて」と言っているのを、ハセが理想高いって否定してるのが不動産編への伏線…。だから、上海行きを辞退して東京に残れと。
ス テ イ ホ ー ム !!
もちろん社会人としては引き受けた仕事はやり遂げることも大事なことですけど、留守になる家について何も言及されてないことに強い違和感。劇場版の様子からも牧君が留守番しててくれたんだろうけど、空っぽの家だけ預けて自分の都合に合わせさせるのがファンがよく言う『優しい世界』とは私には到底理解できない。
現実でも創作でもだいたい恋愛って、別々に生活してきた2人が出会って付き合うようになって結婚して一緒に暮らして…って順だけど、春牧の場合は逆順なのが特徴的で。同居して家でも職場でもずっと一緒にいた状態が先にあって、交際が進むと住む場所は離れていくから、特に元々BL物好きだとマイナスに感じてしまう人もいるでしょうねこれ…。ドラマ時点での物理的に手が届く距離での同居を「ずっと一緒にいたい」の意味だと私は受け取ったので、これも解釈割れる部分。
…しかし牧君が去っていく姿で終わっていることで、今のコロナでの密接を避けろ2m離れろという恋愛ドラマ業界においては頭の痛い問題をクリアしているというまさかの強みに…。何だこれ…。背景ごまかせれば、ショートドラマとかありませんかね…?

私が最も理解不能だったセリフ
「俺、もう我慢しないって決めたんで」
我慢しないなら行かないでくれって我が儘言うか休職して一緒に行けばいいのに(うちの職場の転勤族の人達は単身赴任の人も家族で一緒に移動してる人もいる)、行かない時点で我慢している。キスやスキンシップの意味なら遠距離になるとこれから我慢しなくてはいけない。劇場版で牧君からのキスが1回も無いので、キスの意味ではなかったらしい、多分。我慢だらけなんだけど、『何を』我慢しないって言っていたのか。全く意味が分からなくて、別れの言葉のような感じがしてたんですよ…。
盲点だったんだけど、ドラマ時点で牧君が我慢してたことって恋愛の意味だけじゃなかったんだ。営業所には研修的な意味で来てたのはどこかで見て知ってたんだけど、本社での都市開発っていう『やりたい仕事』を我慢していた。武川さんの言葉に感銘受けてるから、牧君にとって1番好きなものって『自分の仕事』なんじゃ…?春田さんが新規プロジェクトに抜擢されて上海へ行くことで牧君は仕事への意欲に火を付けられて、『やりたい仕事を我慢しないって決めた』ということであれば、劇場版の内容とぴったり一致する。
…そんな後付けの話をドラマ時点で理解できるかー!2年かかってようやく辿り着いたわ…。タイトルに『ラブ』って付くから春田さんと牧君の恋愛物だと思い込んで見ちゃうけど、タイトルは多分、『黒澤武蔵のラブ』という限定的な意味のみでは?劇場版ラストを部長目線で見ると、新しい恋人ができつつ、はるたんは本社行きを断って自分の所に残り、牧君は日本から出ていくといういいことだらけなんだよね…。skyの件もそうなんだけど、『武蔵のラブ』というだけならシリーズ通して『黒澤武蔵が春田創一に恋をする』というテーマは一貫性があるんですよ。ただ、本当に武蔵を主人公にすると年齢が高すぎて見始めてもらうこと自体がハードル高いと思うんですよね…。春田創一を主人公として中央に立たせることでキャラクターの年齢によるハードルを下げつつ、突然モテ期が来るというプラス要素もあって視聴者を集めることには成功している。ただし視聴者からは『春田創一が毎回違う相手と結ばれる話』と見えてしまうので、skyの時に大量にファンの反発や離脱も招いてしまった。
こういう『軸のズレ』により半ば騙しのようなことしてきたからさ…。元々武蔵派の人達や柔軟性の高い人達には気にならないかもしれないけど、結局の所、本当に見てほしいメインのターゲット層は誰を想定して作っているのかにもよるでしょうね…。私は牧君に軸がずれたから、ドラマの終わり方にひどい違和感持ちつつも、『もう1つある』ことを待っているので。現時点では公式は何も動かないのでBL二次創作小説の世界でわりとよく用いられる手法で物を言うだけですが、キャラA視点キャラB視点(春田視点・牧視点)って別々に書いてセットにするのはわりとあるよねって話。

目で見るタイプの方って『ファンの目を引くシーン』に意識持っていかれてるのかな?個人的に『セリフとして大事だと思うシーン』って、そういう『目を引くシーン』とはずれた所にあるんですよ。視覚寄りの方って『目を引くシーン』に意識が向いて、話全体も聴いてはいるけど印象に残りにくかったり?1回見て終わりなだけだとセリフ全部覚えるなんて不可能ですし。それにより『適度な情報の抜け落ち』が起きることでいい所だけが残る?個人的には『あらすじだけ見ていた状態』のような印象もある。たった7話のようでいて、実は『あの中にものすごい量のヒントが混じっている』んですよ。セリフも映像も。コツを掴むまでが大変で、仮説立てる→検証する→違うと思ったら捨てるという地道な消去法を、細かい違和感のある部分を片っ端から。分かりやすく言えば推理物、おっさんずラブ的に言えば天体観測。『話をちゃんと聴く』のが基本。
結局の所これ↓

「春田さんって、何にも見えてないですよね」
『1番何にも見えてなかったのは、私達視聴者』

ということ。映像として目に見えるようにという要求もしてきましたが、コロナで世の中の状況が変わってしまったので、あとはもう待つ。

遅くなりましたが、先月2件拍手ありがとうございました!