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俳句教養講座 第二巻 俳句の詩学・美学

前回の「俳句教養講座 第一巻 俳句を作る方法・読む方法」は第一巻で、今回は第二巻。全三巻なので、次回は第三巻についてを予定。

第一巻は、俳句というものの総意をみていった感がある。
第二巻では、タイトルからも察しがつくように、俳句そのものの美しさやレトリックがどうであったかをみていく。

俳句も長い歴史を有する文学であり、その歴史の中で形作られた形式や美的概念が、個人の思想に先行して存在しているということがわかる。
第一巻にも『俳句は、創作する側と享受する側とがきわめて近い文学だということができるのではなかろうか』とあるように、いくら自由に創作したところで、享受する側にその意思が伝わらなくては、自分本位の文学に陥ってしまう。

確かに、歴史に拘泥しない創作も必要であるが、やはり創作する側と享受する側とがきわめて近くならなくてはいけないと思う。

というより、日本の使われなくなった言葉を、まずは省みなくてはならないのではないか。
日本語には、見聞したものを他者に語感で感じ取ってもらうために、些細で繊細なものを伝える言葉や表現がたくさんあるのではないか。
既存のものから脱すると言う前に、まずはその乏しい表現を脱しなくてはならない。
これは自分にも言えることである。


話題:読書日記

東洋のこころ

バラモン教、ヒンドゥ教、ジャイナ教、仏教などの教義や儀礼から、東洋の思想史を概括してみていき、その特異性や根底の同一性をみていく。

東洋思想における、死生観や<無>の概念、芸術からも、神秘主義に結び付けがちであった。
しかし、その神秘的な思想史の中で哲学をはやくに発見し、思考による「我」の追求や、それの宗教への昇華など、東洋思想の合理性を確認した。

それどころか、概念形成に関しては西洋の神学が有した論理性を乗り越えており、その実証には興奮した。

読んでいて思ったが、なにかアジア人というものを、私は見失っているような気がする。
あまりにも差別化、分別化しすぎてはいないか。
もっと広い視野が必要だ。


話題:読書日記

キャプテン・フィリップス

ポール・グリーングラス監督といえば、9.11の旅客機ハイジャックを描いた「ユナイテッド93」が強く印象に残っている。
その、機内の張り詰めた緊張感に釘付けにされた。

キャプテン・フィリップスもまた、ハイジャックを扱っており、事実にも基づいている作品だ。

しかし、ただ事件の表面のみを映すのではなく、映画を通して強いメッセージ性が浮き彫りになる。
それは監督が元ジャーナリストであったことも関係しているだろう。

主人公フィリップスのみではなく、タンカーを襲う海賊にも焦点があてられる。
彼らのバックグラウンドや、内面の描写がフィリップスと共に映される。

フィリップスのヒーロー像だけでなく、この事件がなぜ起こったのか。
映画化してまで伝えたいことは何か。
社会性をもった映画作品だ。

話題:映画

かぐや姫の物語

思っていたよりも、私の知っているかぐや姫のストーリーと違いがなかった。

が、公式HPをみて、あーなるほどとアレンジに気づく始末。

これでも、アレンジを見落とすまいと注視していたのだが、発見できずに見終えてしまった。

しかし、そこがミソなんじゃないかと言うと、話しが良すぎるか。

観ていて思ったのが、古くから誰しもが知っている「かぐや姫」の筋書自体かなり優れているということ。
原作の竹取物語は未読だが、現代にリメイクされるぐらいだから相当優れているのだろう。

そんな作品をジブリがリメイクするとなると、相当苦心しただろうと思う。

そして、それをなんなく(結構なアレンジしているにも関わらず)従来のかぐや姫だと思わせたことはすごいことだと思う。

ラフなタッチのアニメーションは、優しくて良かった。
親の田舎の徳島に帰りたくなった。

話題:映画

お知らせ

こんにちは。

カテゴリーのblogをnoteに変更しました。

そもそも、ブログ内にblogカテゴリーがあるのは、家のなかにhouseという部屋があるみたいなもので、他の部屋は家じゃないのかと問われれば、ゴメンナサイ家です。なので名称変更です。

noteカテゴリーの内容は以前と変わりません。
雑記です。

公開範囲も以前と変わりません。
友達のみ公開です。

以上!(b^ー°)
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