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鈴木大拙

お弟子さんが書いた鈴木大拙の伝記と思想。
西田幾多郎とは心友の仲である。

二人とも参禅しており、二人の思想も禅に座している。
しかし、西田は哲学者として、鈴木は宗教家として、互いに照応しながら活躍した。

鈴木の著作を読んだわけではないが、鈴木の説く思想はわかりやすく思う。
もちろん、理解というわけではないが、なにか親しみやすく接しやすい。
鈴木も西田も参禅しているのもあり、二人の思想は近時しているが、西田はあくまでも東洋の禅を西洋の哲学で解釈しようとし論理付けた。(「日本人初の哲学者」といわれる由縁もここにあるかもしれない)
禅の広大で深遠な論理性を理路整然と記している。なので、禅経験のない私にとっては逆に難解であった。

対して、鈴木大拙は東洋の禅をそのまま海外へと輸出した。
例えば、生きとし生けるものはすべて仏となる性質を内にもっているという意味の「一切衆生悉有仏性」というのを西田は場所的逆対応の論理や絶対矛盾的自己同一などで説明するのに対し、鈴木はただ一息に「一切衆生悉有仏性」を読めと言う。
これほど、わかりやすいものはないと思う。あとは自分次第であるのだ。
これの著者も、これに代表する禅の心理主義のみの理解に注意を促しているが(つまり哲学も必要だということ。これには鈴木も了解している)、それだけわかりやすいということにもなるだろう。

次は、鈴木大拙の著書を読んでみたく思う。



話題:読書日記

シュールレアリスム宣言集、超現実主義宣言

2冊の紹介です。
どちらも原作は同じで、訳者が違う。
「シュールレアリスム宣言集」の方を主に読み、わかりにくい文章や、印象的な部分を「超現実主義宣言」の方で確認しながら読んでみた。
「超現実主義宣言」の方は「シュールレアリスム宣言集」の訳者あとがきに<名訳>と書かれているように、確かに平易で、良い意味で俗な印象がする。
「超現実主義宣言」はじっくりと読んだわけではないのでハッキリとした感想は言えないが、こちらは文庫版なので安価で手に入れやすい。
もちろん、「シュールレアリスム宣言集」だけでも十分だと思う。
こちらには、第一第二の再版にあたってブルトンの書いたが文章が収録されている。

1924年のシュールレアリスム宣言、1930年の第二宣言、1942年の第三宣言序論と、正にシュールレアリスム宣言集。
どれも、運動のなかの重要な節目に発表されたものであり、シュールレアリスムにとって重要な文献である。

観念的に捉えがちなこの運動に、論理的な重みを持たせたこの宣言集は運動にとってかなり意義深かったろう。
この布石があったからこそ、シュールレアリスムは形をもち、広がりをみせ、浮くことがなかった。
シュールレアリスムがシュールレアリスムであり続けれたのは、ここにシュールレアリスムを規定したからだろう。そして、それを再確認し続けたブルトンの功績も重要だ。
魅力的で厳格で深遠な文献である。





話題:読書日記

地獄の季節

ダダイストやシュールレアリストに影響を与えた、早熟の詩人であり夭折した詩人。
16歳で第一級の詩を発表している。

そして、この詩集にもシュールレアリストが、"シュールレアリスム"と"革命"の共通分母として認めた<ある怒りの状態>があるように思う。
それは彼の視覚を通して悲劇的な局面に注がれる。
彼の目に映ったものを通して、超時代的な悩み(何のために生きているか等)の表現がなされる。
19歳には詩を捨て、フランス語教師、家庭教師、傭兵、サーカス団の通訳、など転々と職を変える。
まるで、解答を探すかのように。そして、37歳でこの世を去る。

彼の冷ややかな鋭い視線は、辛らつでドキリとする。



話題:読書日記

シュールレアリスムの歴史

だらだら読んだのでかなり時間がかかってしまった。
勉強会の件もあるので、ノートを取りながら読み進めたがA5サイズで30ページもメモに費やした。
もちろん、知らないことが多く、まとめる技量がないからかもしれないが、それだけ要点が文章でうまくまとめられているのでついついメモしてしまう。

著者自身もブルトンやシュールレアリストと交流しており、その知遇でシュールレアリスム研究をしていた人物である。
また、原著は1945年に出版されており、それはシュールレアリスムの下火をまだ感じ取れる時代であった。

幾分感情的でもある文章から、客観的な研究所というより、記事のような同時代性を感じる。(しかし冷静な目である)
シュールレアリスムの表面的な歴史の動きだけでなく、当事者であるシュールレアリストの引用も多いので、内面の動向も知れるのは良かった。

そこで、見えるのはベンヤミンの分析し表現した<志操>である。
(ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 「シュールレアリスム」)
シュールレアリスムがそうであり、それを保たせたブルトンがそうである。

この著作以後、シュールレアリスム研究が盛んになったらしい。それだけ、ここには驚きがあった。
シュールレアリスムを勉強するにあたってこれを初めに読んで良かった。



話題:読書日記

ナジャ

シュールレアリスムの中心的人物であるアンドレ・ブルトンによる小説的自伝。

小説的で小説でないのは、ブルトンがここで「虚構による物語」による小説を攻撃しているからであり、私小説とも違う。
『ナジャ』においてはすべて実話である。
しかし、あえて小説的と付したのは、この物語が神秘的な(これを表現するには虚構しかなくないか)様相を帯びているからである。
この決定論のようで決定論でない物語。現実的なようで精神的な物語。精神なようで現実的な物語。

矛盾が渦巻く社会の中で、偶然によるリアルな閃光をみる美しい物語であると思う。
誰もこの物語を否定しえないはずだ。



話題:読書日記
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