スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

ポケットに名言を

言葉って便利。
ポケットに入るぐらいコンパクトなのに、人を動かす力がある。
誰にでも操れて、自由自在で変幻自在。
色々なところに言葉は隠れている、何でも目で追っていきたいものだ。



話題:読書日記

ことばの花束―岩波文庫の名句365

岩波文庫の名著群からの「ことば」集

その短い一文から放たれるオーラはすごい。
それを放った偉人の名が付随しているからかもしれないが、それは同時に「ことば」の証人になりえる。
ことばと著書と著者名以外のコンテクストは省かれているが、そこに書かれているということが歴史やその人物を超えて生き生きと迫ってくる。
いくらでも伸張する「ことば」の可能性に感動できる。
こういう点では素人もまた「ことば」を放てるのではないだろうか。

プレゼントにいいと思う。花束のかわりに「ことばの花束」



話題:読書日記

デュシャン

デュシャンのレディメイドは歴史が欠如した空間にありながら、その設置されたオブジェには印象を超えた全体的空間を思わせる。
ビン掛けやモナ・リザを、芸術家の名前だけで自分の作品としてしまうのには慢心した態度を感じるが、同時に大量消費社会や科学的即物主義、芸術家の希薄など、近代的な様相に対する自虐的皮肉を感じる。
そこに知性による芸術を求めたデュシャンをみる。

物体に対する新しい目線ということに、キュビズムの技法からの引用を思わせる。
違う視点からみれば芸術。というのは、なにもかもが芸術に成り得る華やかさがあったからだろうか。
逆だろう。生活レベルに成り下がった芸術の氾濫が、ローアートによるハイアートの復活を可能にさせたのだろう。



話題:読書日記

結局、放置が続いていしまってる。
うーん、うまく文章が書けない。これだけの内容に1時間笑
まだ、放置は続きそうです・・・

ロマンティックな狂気は存在するか―狂気伝説の解体学

果たして狂人はその疾患により、常人では考え付かないような天才的飛躍をみせるのか。
つまり、「天才と狂人は紙一重」という神話を暴く。

おもしろいと思ったのは、狂人はあまりに簡単に妄想によって安定を得るということ。
例えば、「私が避けられるのは、私から嫌な臭いがする」とか「家に閉じこもるのは、秘密結社に監視されているのが原因だ」というような類。
心の中の混乱や不安に対抗するため、応急処置としてこのような歪な妄想で取り繕われるようだ。
原因として、複雑な思考によって混乱や不安を解決できず、またそれを保持する余裕もないので短絡な思考によって解決してしまうらしい。

このような事を基に、著者は狂人の天才的思弁は幻想に過ぎないとしていく。

そこで、この短絡な思考はシュールレアリストが用いていたなあと気づいた。
例えば、同音異義語や似たようなイントネーションによるモチーフの選択。
一見、幼稚で短絡な表現方法。
やはり、シュールレアリストにとって狂人は先導者のひとつだったのではないだろうか。

著者は、分裂症患者の言動はともすると隠喩的であったり詩的であるかのごとく感じられるが、それはやはり感じられるだけであり、結果的判断によるものだと、やはり主観性を否定する。

しかし、シュールレアリストにとってその理性を排したようなプリミティブで大胆な思考法が、超現実性の発見に一役買ったのには、それが疾患によるものだとしてもロマンティックなものにみえたからだろう。



話題:読書日記

久しぶりの更新です。
時間がなかったとかネタがなかったとかではありません。
ただめんどくさくなっただけでした。

ネタのほうは溜まっていってるので、またやる気がでたら更新していきます。

めんどくさいながらも改めて記事にすると整理が出来て良いなと思えたので続けていきたい!

コラージュ療法入門

フランス語で「糊付け」を意味する現代絵画の技法「コラージュ」を、心理療法の一技法としてまとめたもの。
複数の日本人の心理療法士によって、日本での実践を基に体系化されている。

シュルレアリスムが実践した技法の一つで、個人的に造ってみたいこともあり参考に読んでみた。
実際、読書と並行して雑誌からの切り抜きによるコラージュを製作してみた。(製作に関しては、ハサミと糊、素材となるものがあれば誰にでも造れるものなので参考書などなくてよい)

心理療法への適用としては、被治療者が製作したコラージュを治療者が分析し二人でそれを共有するだけのことである。
しかし、この視覚的作品を言葉で再現することで被治療者の深層心理の意識的把握につながる。

この既製品から素材を切り抜き、それを手なづけ糊付けすることで自分の空間が完成するこの過程はおもしろく思う。
なぜなら、既製品には既に自身の文脈が流れており、それを分解させて独自に集合させる自我喪失の状態から、「私」の表現へと質が変化する。
ここから、ひとりの人間に複数の人間が入り込むことでひとりの人間ができるという構図がみえてきておもしろい。

製作したコラージュをUPしてみたいが写真ではキレイに写らない・・・スキャナーほしい



話題:読書日記
前の記事へ 次の記事へ