デュシャンのレディメイドは歴史が欠如した空間にありながら、その設置されたオブジェには印象を超えた全体的空間を思わせる。
ビン掛けやモナ・リザを、芸術家の名前だけで自分の作品としてしまうのには慢心した態度を感じるが、同時に大量消費社会や科学的即物主義、芸術家の希薄など、近代的な様相に対する自虐的皮肉を感じる。
そこに知性による芸術を求めたデュシャンをみる。

物体に対する新しい目線ということに、キュビズムの技法からの引用を思わせる。
違う視点からみれば芸術。というのは、なにもかもが芸術に成り得る華やかさがあったからだろうか。
逆だろう。生活レベルに成り下がった芸術の氾濫が、ローアートによるハイアートの復活を可能にさせたのだろう。



話題:読書日記

結局、放置が続いていしまってる。
うーん、うまく文章が書けない。これだけの内容に1時間笑
まだ、放置は続きそうです・・・