前記事の翌日には、続きをアップしようと思っていたのですが、忙しい&体調不良で間が空いてしまいました。どーしてこういう時に具合悪くなったりするんでしょう。
まあ、これもある種の次元変換と言えるのかも知れませんがw。

さて、前回私は半田広宣さんが受信した"冥王星のオコツト(OCTO)"なる意識体からの情報から、パラレルワールド解釈に有効とみられるものを抜き出して、いわゆる平行宇宙の構造に迫って見ました。
そこで今回は、シドニーのおちんさん繋がりで尻合い…違った、知り合いになった怪しいおぢさんマティックスさんの体験から、パラレルワールドにおいての"自己の死"に肉迫してみたいと思います。

何度も書きますが、マティックスさんは今年の夏、友人と訪れた皆神山からの帰り道、交通事故に遭遇しそうになり、九死に一生を得る体験をされました。
その時、マティックスさんは確かに車に轢かれたのだそうです。そういう感覚が確かにあったのだそうです。
にも関わらず、気がつくと車は自分の数センチ前で停車しており、怪我も無く、大事に至りませんでした。

しかし、彼が旅から帰って来ると何か自分を取り巻く環境が違っていたのだそうです。

近所のスーパーが変わっていたり、住んでいるマンションの床のタイルが見覚えのないものになっていたり。
果ては知り合いの歌手の方からのメール。"ライブに来て下さってありがとうございます"というもの。

何の話?

マティックスさん、ライブになど行ってないのだそうです(笑)。
この時マティックスさんは、別の次元の自分と、この自分が入れ替わって、自分の身代わりに別次元の自分が死んでしまったのだ…と感じたのだそうです。

これを読んだ時、私は直感的に自我が次元を飛び越したのでは?と思いました。
よく言われていることですが、私達はあらゆる可能性に囲まれて生きています。選んだもの。選ばなかったもの。そして時には"あの時こちらを選んでいたら、今頃どうなっていたかしら"などと、取り返しのつかない過去を振り返ってみたりします。
この"選ばなかった過去"とそこから連なる世界は、パラレルワールドを理解するのに丁度良い例えでしょう。

では、本題です。パラレルワールドにおける"死"とは?

マティックスさんはこの世界でご健在です。しかし、あの時確実に車に轢かれて亡くなったはずのマティックスさんは何者なのでしょう。

そこでOCTOが伝えてくれた情報から、私達の次元が自己を中心とした円であるということを思い出して頂きたい。"私"の円に"あなた"の円が重なって二人の間に"私とあなた"という円(次元)が出来ます。
この時、互いに鏡となり、私達が観るのは相手の後ろ姿、つまり"私"の本当の姿です。OCTOの話もそうですが、古代哲学も"相手の中に真の自己を観る"、"周りは自分の反映"という考え方は決して珍しいものではありません。
つまり、ズバリいうと相手の死とはそのまま自分のある側面の死の具現化ではないかと思うのです。

例えば、私達は普段から見ず知らずの人に対してさえ、感情移入して観ていたりします。同情したり、怒ったりします。
考えて見ればおかしな話です。架空の物語や登場人物に対してさえそうです。何故なのでしょう?

自分の姿をそこに写し出して観ているからなのではないでしょうか。

そして、相手の死は得てして自己に学びを促します。気づかなかったことや、忘れていたことを思い起こさせてくれます。そして、亡くなった人の"自己"は、次元を上昇して、新たな学びに入って行くのではないのでしょうか。

最近、こんな話を知りました。

ある主婦の方がいました。その方は決して悪い方ではないのですが、少々強引でわがまま。自己主張が強く、その割に責任は取らない…そんな方だったそうです。対してご主人は彼女をいつも優しく温かく見守る様な方だったということでした。
ある時、その主婦の方が何をやっても上手く行かない、自分は努力しているのに。これは霊能者に観てもらいたいと、知り合いに半ば強引に評判の霊能者さんを紹介させたそうです。
霊能者さんは、自分のことばかり話すその方に、もっと大事なものがある。それに気づきなさい、と話しましたが、その主婦の方は思う様な回答でないことにかなり不満を募らせたようでした。
ところが間も無くして、彼女のご主人が急に倒れ、あっけなく亡くなったのだそうです。どんなにわがままに振る舞おうと、彼女を理解し守り続けた旦那さんでした。
ご主人の病気は、気をつけていれば大事に至ることのない病気でしたが、自分のことばかり気にしていた彼女は、それに気づかなかったのでした。
ここへ来て、初めて彼女は如何に旦那さんに守られていたか、どんなに愛され、恵まれていたかを思い知り、霊能者さんの言葉を理解したのでした。

旦那さんの死が、彼女に学びを与えたのです。

私もこの話を知った時、他人事ではないと思いました。この話は一見無関係の私にも忘れてはいけないことを思い出させてくれたのです。

他者の死ーそれは古くなった自分の死なのではないかと思うのです。

パラレルワールドの話に絡めるなら、この旦那さんの自己は、きっと次元変換して危なかった状態を乗り越えて回復し、心を入れ替えた奥さんと共に、新しい学びを始めているにちがいありません。

けれど、奥さんの自己は辛い学びをしなければ成長しなかった。何故なら、今までも学びのチャンスはあったのに、無視してしまっていたのでしょう。
いや、もしかしたら彼女の自我は既に別の次元でちゃんと学びを進めていて、私達は、自身の学びの為にこの話を目撃したのかも知れません。

それは私達には知ることの出来ない次元なのでしょう。

こんな風に観てみると、今年の震災で亡くなった方々が決して自分と無関係ではないと思い知ります。彼らは皆私達自身なのだから。
シドニーのおちんさんが、背中を切られながら言っていたことが、決しておかしいことではないと分かります。

ーワタスは背中を切られながら、何故か震災で亡くなった方たちに"ありがとう、ありがとう"と言っていたんだよー

私達の学びの為に死んでくれた、もう一人の私達。

もしも、私の話していることが的外れではないのなら、この震災で亡くなった方々の自己は別の次元でちゃんと助かっていて、この世界では生きているけれど、その世界では死んでしまった多く方々を観て、やはり学んでいるに違いありません。

では、その彼らの自己とは会えないのか?

いいえ!会えますよ!マティックスさんもブログで紹介して下さったではありませんか!

C子さんの物語です。

夢を通じて会えるんです!

沢山の次元が無数に連なり、それらはちゃんと繋がっている。

カバラーで言えば、ある生命の木のケテルは、ある生命の木にとってはゲブラーであり、またある生命の木ではネツァクであり、マルクトである。
沢山の円が交差して大きな模様を作り上げる…。

パラレルワールドとは、平行ではなく、実は"生命の花"の様なものだと思うのです。



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