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【小説】極限で似るものの家〜古都鎌倉に/3

右手らしい。絆創膏が巻いてあり、ティッシュペーパーで押さえているが、じわじわと血は滲み出してくる。なかなか止まらない。

「深い、か。止血したほうがいいな」

無理に料理を続けようとするが、親指の先なので、力を入れるとぽたぽたと血が垂れる。

「どうしたんだ?」

怪我をするような難しい料理ではないのだが。
申し訳なさそうに彼女は言った。

「ごめんなさい…。お芋の皮を剥こうとしてたら…包丁の刃に触ってしまって」

このところ少々、美雪は上の空だった。何を思っているのか、全くといっていいほど言ってくれないので、分からない。多少、じれったかった。

「あちらで休んでいなさい、料理は私が作るから」

と言うと、目を丸くした。同時に、涙が溢れてくる。

「あ…折角、私が、つくるって言ったのに…」

「大丈夫」

彼はそっと指を取って、絆創膏を替えると、紐を指の根元にきつめに結び付けた。

「絆創膏の上から傷を押さえていれば、その内止まる」

動かずされるままになっていた。まるで時間が止まったかのように。
あちらに居なさい、と言われたのに、彼女はしばらく台所の入口で彼を見ていた。

「あの…手当、うまいんですね」

材料を煮ながら、適当に調味料の塩胡椒を加えている。彼は、聞こえていないようだ。
あっという間に野菜も切って鍋に入れてしまった。手際がいいのだった。
美雪は少し、恥ずかしく感じた。

「料理…も」

「ん…?」

答えた。聞こえて居なかったわけではないようだ。

「そうか?」

「そうですよ。…私なんかよりずっと上手いです。お野菜も、ぽんぽんぽんっと切っちゃうし。…ダメですね、私は…女の子なのに」

彼は、複雑な面持ちをした。

「上手、か…もしかするとそう、かもな」

「あ、軍隊では自分で傷の手当てをしたり、料理しなきゃいけないから、自然に出来るようになるんですよね。あはっ、私って」

取り繕っておどけたが、彼の表情が戻らないのでますます慌てる。

「あ、やらない…ですか?」

「いや、…確かに軍隊では当番制だったが……それ以前からだな」

視線をやや逸らして小声で、呟くように言った。

「…母親が居なかったから…途中からは、自分でつくるより他なかった。傷の手当ても…何でも、自分で、な」

はっ、と口をつぐみ、手で押さえた。
前に、彼の母親が亡くなっていることは聴いていたはずだ。それなのに、こんな無神経なことを言ってしまうなんて。

「…ごめんなさい…」

その謝罪にも、大丈夫だ、と彼は言ってくれたが、視線は合わせてくれなかった。
美雪は食卓の支度を始めた。いつの間にか出血は落ち着いていた。
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【小説】極限で似るものの家〜古都鎌倉に/2

買い物から帰り、いつものように夕食の支度を始める。二人分を作るのは、まだ自信が無い。けれど、彼は文句を言わずに食べてくれる。好みにうるさくないのが、救いだ。
今日もいつものように炒め物と焼き魚を出そうとした。しかし、ちらりと見た彼が、言った。

「たまには、違うものも食べてみたい」

彼女は笑顔のまま困惑した。彼が希望を言うなんて珍しいことだ。でも…だからこそ従わなくては悪いような気がする。

「…このところ…和のものや折衷のものばかりだっただろう。特に…野菜炒め」

図星を差された気分だ。…作れる料理にレパートリーが少ない。それを何とか誤魔化してきた。

「ごめんなさい…」

彼は台所に入り、おろおろしている彼女の脇から袋を取り出した。

「芋は…あるな。コンソメもある。野菜炒めの材料で、違うものが作れる。…やってみないか?」

その提案に、彼女は乗ることにした。

「あっ…。はい。実はいつか、ウインナーとキャベツを茹でて食べようと思っていたんです」

「そうなのか。ポトフだな。なら、どうして今日も野菜炒めを?」

彼は努めて笑みを作って、彼女を宥めるように訊ねた。どこかミユキは消極的だ。奥ゆかしいというのか、臆病というのか。

「それは…貴方が食べるのに、そんな粗末なものでいいのかと思って…」

彼の表情がやや硬くなった。

「何だ、そんな理由か…」

しかし、すぐ元の笑みに戻った。

「芋と人参と玉葱も一緒に入れてやるだけで、随分違うぞ」

「そ、そう…なのですか?」

また、おどおど、と答える。

「ポトフはロシア、私の国の料理だぞ?日本でも大分ポピュラーだが」

言葉は挑戦的だが、やさしく笑っている。

「あっ、そう、そうでしたね…」

とてとて、と美雪も台所に入って、

「頑張ってみますね」

と、量を訊きながら材料を取り出す。

「お芋が2個、玉葱半分、人参も半分…キャベツは、適当でいっか」

「切ったらコンソメと一緒に鍋に入れて、沸騰させてから30分ほど茹でればいい」

簡単だ。そして懇切丁寧な説明。失敗するはずがない。

「ポトフは、塩胡椒が肝だからな。気を付けて」

と言うと、はい、と素直に頷いていた。

しかし、美雪に任せて数分後。

「きゃ…っ」

小さな声が上がった。
心配して、彼は自室に戻らずに食卓に座っていたのだが、案の定だ。

「どうした?」

美雪は少し涙を浮かべている。

「…指を…切ってしまいました」
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