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無知故君は死にたまふ

 よく晴れた日だった。青い空の真ん中で輝く太陽を見上げながら、今日は絶好の洗濯日和だなあ、なんて。ここ最近雨が続いたから洗濯物が沢山たまってるんだ。部屋干しは少し匂いが気になる。やっぱりお日さまの下で乾かすのが一番だ。
 僕は万年筆を置いて自室を後にする。紅葉はまだ学校で巧は遊びに出掛けてるから、今この家には僕だけだ。
 台所に行くと、テーブルの上に置かれたメモ書きがまず目に入った。そして僕は思い出す。ああ、そう言えば今日は用事があったんだ。僕は慌てて部屋に戻り、鞄と上着を取って家を出た。
 メモ書きを出しっぱなしにしたままだったことに気付いたのは、随分後のこと。
 今日は二人よりも早く帰れるかな。



********



 屋上に出ると、既に日は傾いていた。干されていた白いシーツもオレンジ色に染まっていた。そう言えば今日は一度も洗濯してないな。そんなことを頭の隅で考えながら、苛立ちを露にした足取りで、目の前にある後ろ姿との距離を縮めていく。

「おい」

 男は振り向き、へらりと笑った。能天気過ぎるその笑みを見ていると、吐き気がするほど苛立ちが込み上げてきた。

「やあ、早かったんだね。家で待っててくれて良かったのに」
「………んなよ」

 どうしてお前は笑う?そうやって、普段と変わらないように。どうしてお前は何も言わない?言ってくれない?
 いつも通りが、苦しかった。

「ふざけんなっ!!」

 強引に体をこちらに向かせて胸ぐらを掴み、フェンスに押しつける。男は何がなんだか分からないといった風にきょとんと首を傾げていた。そして笑いながら、どうしたのと聞いてきた。

「何を怒ってるんだい?怒るのはよくないよ」
「お前がっ……!!」

 視界が揺らいだ。まるで水の中にいるみたいに、世界が歪んだ。
 ああ、本当。どうして俺がこんなにも取り乱さなくちゃならないんだろう。随分久しぶりの感情だから、扱い方を忘れてしまった。

「何で………言ってくれなかったんだよ………」

 自分でも驚くほど小さく、弱々しい声だった。
 分かっているから、余計に辛くて。分かっているから、余計に悲しくて。
 力を無くして膝立ちにもたれかかった俺の頭を、男は優しく撫でてくれた。それは懐かしい思い出を紐解いてくれて。

「兄ちゃん……」

 小さく嗚咽が漏れた。



********

「ふざけんなっ!!」

 ガシャン。背にフェンスがぶつかる。予想以上に衝撃は強かった。そして、予想以上に冷たく感じた。
 僕が何かしたのかな。彼が何故怒っているのか、皆目検討がつかない。

「何を怒ってるんだい?怒るのはよくないよ」
「お前が………っ!!」

 はっとして僕より高い位置にある彼の顔を見上げてみる。僕を睨む彼の目には、涙が浮かんでいた。
 ああ、ごめんね。悲しませるつもりはなかったんだけれど。
 彼の顔が視界から消える。白いコンクリートの上に崩れ落ちる。久しく見てなかった、僕にすがり付く彼の黒い頭。自然と手が伸びた。

「何で………言ってくれなかったんだよ………」

 ごめんね。でもさ、言う必要性を感じなかったんだ。君なら分かってくれるかな。いいや、やっぱり止めよう。

「兄ちゃん……」




遺書にでも書いておくとしようか。





 薄暗くなりゆく空。もうすぐ夜が来る。どこか遠くで『家路』が響いた。
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