あれから毎月、月日だけは流れて。
今のこの時間、ライフラインが止まって寒さと暗さの中で、食欲もないのに無理やり食べたんだっけ。
温めることができないブリトーを無理やり。
向かいのアパートの一人暮らしのお兄ちゃんにブリトーとリンゴジュースを差し入れ。
彼は数ヶ月後に、実家の佐藤錦をご丁寧に下さいました。
猫の哲ちゃんは、ちゃんとあの晩ご飯を食べたのだろうか。記憶がない。
次々にバカでかい余震が襲ってきて、家の中は危険だからと車中泊したっけ。
ラジオで荒浜に200〜300の遺体が浮いていると聴いたけど、津波がきたことを知らない我々は「なぜ?」と思うことしか出来なかったんだ。
仙台でも都会では1日で電気が復旧したり、震災に関して人々に「温度差」があるのは事実。
若林区に住む私が風呂に入ったのは27日後。それだけガスが復旧しなかったということ。
ガスコンロで煮炊きしていた日々。
月命日なんだ。
あの寒さ、暗さ、不安。街から彩りが一切消え去った情景。忘れない。
哲ちゃんは毛布ひとつで文句も言わず、穏やかな表情で私の胸の上で寝てくれました。
私はなかなか寒さと緊張で寝付くことができませんでした。
02時に寝て4時に起きたと記憶しています。
サバイバルは3日生き残れるかが鍵と読んだことがあります。それはホントだと実体験から思います。
震災後横浜の友人に「地震がきたら誰も助けなくていいから、我先に逃げろ」と話したら笑っていました。
笑いごとじゃねーよ。年寄り助けた若い人はみんな亡くなっているんですから。
若い人が生き残っていないと、街の復興はないんですから。
先日の名人戦で岩手県田老地区に、羽生三冠と森内名人がきて下さいました。
森内名人は泣いて、言葉に詰まったご様子でした。
被災地の人間からすると「それだけで充分」なのです。有り難いな、って思います。
被災地に来られない方は、Googleの航空写真を見てみて下さい。
「ここは住宅街だったんだ」そう知って下さるだけで充分なのです。
忘れないで下さい。今もみんな頑張っています。色んなことに負けないように踏ん張っています。
このブログでも時折、復興の様子をアップできたらと思っています。
「くるかも」ではなく「必ずくる」そう思って対策をとって下さい。
ペンライト、これは必須です!