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某ちゃんねる板で。

ギブミー・チョコレートの事を書かれていて、婆ちゃんから聞いた話を思い出しました。

試しに書いてみます。


私の婆ちゃんのお父さん(私の曾祖父)は、婆ちゃんが産まれる直前には徴兵され出兵。
婆ちゃんが物心つくかつかないかの時に、何日間か一時帰宅したっきり、帰ってきませんでした。

戦死という扱いになっておりますが、これには少し経緯がありまして。

曾祖父は終戦後、帰国するために船に乗ることになりました。

しかし曾祖父の友人が、訳ありで早く帰りたいが、曾祖父より後の船便でしか帰れないと嘆いていたそうです。
理由を聞くと、嫁の子がもうすぐ産まれるとの事。

曾祖父は昔から義理人情の人だったらしく、それを聞いて友人を自分の乗る船便に。
自分は友人の船便で帰るからと言い、友人を送り出したそう。

しかし運の悪いことに、当日は終戦直後……様々な理由があり、曾祖父の乗る筈だった便が、帰国する最後の便になってしまった。

しかし曾祖父は何時か帰れるさ、大丈夫と思っていたのも束の間……現地の感染症にかかり、亡くなってしまった。
今も遺骨は日本に無く、現地にある。



と、まぁ此処までは至ってよくある戦争の話。
此処からは婆ちゃんの話。



そんなこんなで婆ちゃん一家は、戦争を恨めど米兵さんを恨むことはなかったらしいが、
世間はやはり米兵憎し、怖しという風潮。
米兵さんが笑いながら『コンニチワ』と挨拶しても、駐留部隊の米兵さんを見ると、皆一目散に逃げるというような状態だったそうな。

そんな折、何時ものように婆ちゃんが友達とかくれんぼや鬼ごっこをして遊んでいた時のこと。

通り掛かった米兵さんが、車から降りて婆ちゃん達に向かって歩いてきたそうな。

子供達は勿論怖い。
あと大人達に『会ったら逃げろ』と言われていたからだろう。
蜘蛛の子散らしたように逃げ出した……一人を除いて。

そう、婆ちゃんだ。

気付いた時には皆居なくて、婆ちゃんも慌てたが、それよりその米兵さんの大きさにびっくりして固まって、ただ呆然と米兵さんを見つめていたそう。

すると米兵さんも偉くびっくりした顔をしたそう。

そりゃそうだ。
今まで逃げられて当たり前だったのが、目の前に居る幼女は身動きせず見つめてくるのだから。

するとその瞬間、米兵さんはにっこり笑って、婆ちゃんの前に走ってきた。

そして米兵さんから、にこにこでチョコレートを手渡された。
そしたらまた婆ちゃんまた呆然としてるもんだから、受け取っちゃう。
今まで誰にも受け取って貰った試しがないからか、米兵さんますますにこにこ。

すると車の側に居たもう一人の米兵さんも歩み寄ってきて、婆ちゃんにチョコレートを手渡す。
婆ちゃん受け取る。

二人の米兵さん、感動したのか泣き笑い。

『チョコレート!』

そういって、婆ちゃんの手を引いて車の中へ。
乗せられて暫く、米兵さんがもう何人か居る場所に来ていた。


米兵さん二人が仲間と話をすると、仲間の米兵さんがにこにこ笑いながら駆け寄ってくる。
結局何人かの米兵さんに囲まれ、婆ちゃん頭撫でくり攻撃とチョコレート攻めにあいながら『カワイイ!』『キュート!』と言われたい放題。

うち一人が、少し日本語が話せて、片言で婆ちゃんに言ったそう。

『おじさん子供が居る。会いたい。』

笑いながら、ちょっと寂しそうに言ったそう。
よく見ると、そのおじさん以外もおじさんと同い年位の人達。

当時の婆ちゃんにはわからなかったそうだが、皆が子供を可愛がるように接してくれたらしい。

それから何分かして、米兵さんが元居た場所に送り届けてくれたそう。
手に持ち切れない位沢山のチョコレートをお土産に。

家に帰ると家族は婆ちゃんを大慌てで迎え入れ、良かったと婆ちゃんを抱いて泣き崩れられた。

婆ちゃんの友達から、婆ちゃんが米兵さんに連れてかれたと聞かされていたのだ。
婆ちゃんは女の子、しかしどうする事も出来ず、助かるまいとも思っていた。
そしてご近所にこの『婆ちゃんが連れてかれた』事は伝わっていたので、皆てんやわんやだったみたい。

暫くして事のあらましを説明、米兵さんから貰ったチョコレートをどうするかと言うと、
周りには言わずに、黙って食べようと言われた。

友達には?と言った際、婆ちゃん見捨てて逃げたんだから、放っておきなさいと。

以降は至って普通に過ごし、今に至って居ます。
米兵さんはこの後すぐ、祖国に帰ったそうだ。

身内の間で今でもこれは語り継がれている。

ただ婆ちゃんの小さい頃の記憶で、身内に誇張された点もある筈なんで、嘘かほんとか解らない話でした。

寒いなか、振り返る一年。

最近急に寒くなって、もう布団から出ないと決心しかけました……なんなのこの寒さ。

そしてこの一ヶ月でめでたく太りました。
ええ、只今ダイエットしてます。

結果的に1kg痩せました。
たった今理想体重です、はい。

皮下脂肪は標準以下なのに、内臓脂肪がちと上って……運動不足ですねわかります。
まぁそれでも18%とか訳解らない数字ですが。

けどまた太るだろうから、もう少し落としたい今日この頃……でも中々上手くいかないね。

取り敢えず目指せ44kgか。




以下真面目な話。
ここ数年を振り返った内容と結果です。
かなり私事、かなりの長文ですので、閲覧注意。




















旦那と結婚して、来年の四月で二年目になります。

それで、結婚前からつい最近まで二人で悩んでいた事柄ってのがあったのですよ。

それは『子供』について。

というのもまぁ私達夫婦は、有り体に言えば、親に虐待されてきた人間。
歪みきった愛情……若しくは愛情すら無く、でもそれを愛情と誤認識させられる環境で育った身です。

しかし周りのまともな親、一般的な温かな家族関係は知っていました。
正常と異常の境も知ってます。

今時の人間ならではの、インターネットで知識を身につけた子供だったので。

だから、二人してまともであろうと普通を装い生きていました。
そんな中で私達は出会い、色々な壁を乗り越え、結婚しました。

そして落ち着き始めた頃。

新婚なのも相俟って、子供どうする?なんて話していたあたりで……私は一つ気付きました。

付け焼き刃の知識で身を守っていた私は、見て見ぬふりをしていた部分があった。

それは、自分の事です。

努力しないと正常でなかった私は既に異常だし……もしかして親と同じようになってしまうのでは、と。

そして突き詰めて考えると、私は自分をその程度しかわかっていなかったんです。

一般的な子育て論は知っていて、親の二の舞いにはなりたくないと思っていて、どういうことが愛情かわかっているのに、
自分には与えられる気がしないと思いました。
私には知識はあっても、経験としてのお手本が無かった。
その上で親になったらと考えると、底無しの恐怖しかありませんでした。

そんな私が考えることは簡単なもので……子供をどう育てたら良いかわからない、怖いという結論になりました。



で、旦那も私と同じ考えだったらしく……しかし二人して別々の殻に篭る。
しかし相手がそんな人の筈が無いと確信してる癖に、でも実際こう悩む地点であと二、三歩で解決と解らずややこしくなり。

二人して親からの影響……言わば後遺症に苛まれ(共依存、アダルトチルドレンというやつです)、自殺騒動になるわ記憶障害が起きるわのてんてこ舞い。
こんな私達じゃあ家族は幸せにしてあげられない……と離婚まで考え出し、実行に移そうとさえしました。
でも愛してるのにそんなの嫌だ、とまたしても二人で駄々をこねてカオスに。
挙げ句、失うのが嫌で二人して自己犠牲までして相手の大切な物を守りだす始末。でもやり方を間違ってまたカオス。


しかし二人が二人、お互いが間違っていると気付いてからまた修復の日々。

……これが一年半前。

で、なんやかやあり……本気で二人が考えた結果が、結婚から一年後に出ました。


親の愛情なんて、知らなくても良いじゃない……無いものを強請っても、返ってこないし。
二人で足りなかった愛情を与えあって埋めたら良いじゃない……家族なんだし。
それに私達はまだ若いから、急ぐ必要もない。時間だけはたっぷりある。

これが、導いた答えでした。

で、私は目標達成もしてたし、良い機会だからと……旦那の望みもあって退職。
その間に自身のごたごたにケリをつけ、晴れて専業主婦に。
旦那は例の義父の給料着服にケリをつけ、一応独立。

そして二人で生活する基盤作りをし始めました……ゆっくり、私達なりに努力して、無理をしない程度に。
間で私が依存体質だとわかりましたが、もう普通である努力も止めて受け入れました。
そしたら自然と、環境が整ったのもあってか、妻として……一人間として支え合えるようになり始めました。


そしてお互い落ち着いた頃に、親の事を思い出し始めました。

以前は思い出すだけで憎かった親。でもその頃には、親ではなく、人間として親を見れるようになっていました。
そして私がその親から生まれてきた存在で、彼等のおかげで今の私達が居ると感謝できました。

初めて、心から親に『生んでくれてありがとう……幸せです』と思えました。

だから、トラウマを消すんじゃなく、受け入れる事にしました。
これも言わば想い出なので。

これが数ヶ月前。


で、今までお互い愛情を育み、最近また二人で話し合いました。
子供の事。

名前、遊びたい事、教えたい事、行きたい所、してあげたい事、やりたい事……旦那と笑いながら話せました。

不安はあります。
ただそれは備えればなんとかなる経済的な事や環境の話で、精神的な……以前のようなあのどす黒い内容は淡くなりました。

怖くない訳じゃない。
でも私達なりに出来る事をしてあげたいし、幼い頃の私達と同じ目にだけは遭わせたくない。
だから、何時までも夫婦仲良く居ます……なにより、私達自身が親にそれを望みましたから。

あと私達も何時までも仲良く居たい。
寧ろお互いに、衣食住や趣味、将来に至るまでの価値観が良い感じに同じで、万年新婚夫婦な癖に変に老成した生活が楽しいんで……変わることはないでしょう。



この一年で得た物は大きかったです。
来年もまた、お互いに支え合って馬鹿笑いしながら生きたい。

ありがとう、一年。
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