考えていたのです。
以下、まぁ本当に私情です。
文章ばらばらだし、DQNだリア充だ本当に胸糞悪いだけなんで、許容範囲を越える方は見ないことをお勧めします。
なら書くなって話なんでしょうが……うん、書き殴りたいんだ。
昨日、買い物行ってたら絶縁した母を見掛けてしまいまして。
いやまぁ、同じ市内に住んでるんだから未だに見掛けたりするんですがね。
ただ、う見付けても避けていたというか。車を見掛けたら近辺に寄り付かないようにしたり。
一度だけ偶然会ってしまって、呆然としてたら、向こうも目茶苦茶睨みつけてくるんで。
こう、嫌だから見ても避け続けてたんですよ。
まぁ買い物に行ったら知った車が駐車場に停まってて。
でもまぁまぁ広いショッピングセンターなんで、見ることは無いだろうと思って。店に入ったんだ。
そしたら、買い物途中にふと前見たら、忘れもしない後ろ姿があるんですよ。
旦那のパンツ選んでる時に、何でまた、とか。嫌だ何でとか。
もう頭の中ぐちゃぐちゃになりましてね。
動きも挙動不審で、思わず棚の後ろに隠れちゃいまして。
でも変な話、どっかであの後ろ姿で良いから見ろって声が聞こえるんですよ。自分の声で。
頭ぐちゃぐちゃなのに、それに従っちゃうんですね。馬鹿は。
見たんですよ。
私の大嫌いなトラウマの後ろ姿。
本当は大好きだったあの後ろ姿。
そしたらさ、なんかすーっと……いやもうそれしか言えないんだけども。なんか色々溶けて薄まっていくのがわかって。
何でだろうね。
幸せそうな母と義父を見たらさ、良かったって思っちゃったんだ。安心したんだ。
同時に私がそこに居ない事も哀しくなった、切なくなった。
でも私にはもう大切な居場所があって。旦那が居て、新しい家族が居て。いずれは子供も出来る。
彼女はそれを捨てたんだなって。
以前より痩せっぽっちになって、少し老けてたけど、でも幸せそうで。
彼女も、過去に色々あったと聞かされている。身体の事情もよく知っている。
ただ私を産んで以降は、正直自業自得なんだ。
絶縁する約二年前なんて、本当そうだった。
私の中で、彼女と供に生きた年月が全て否定されたような事もあった。
彼女が手術した後、それが本当によく解るようになった。
私の人生は、彼女の病気といつも隣り合わせだった。治せるなら治したい、支えたいと思う日々だった。
ただそれが終わった途端、私の中で確かに何かが終わったんだ。
死のうとさえ考えた。
役割は終えたのだし、これ以上生きてもと。
ブログを綴り続けたのも、実は私が私たる理由が欲しかったのもある。
私が正しいのか間違ってるのかでなく、私は居るんだろうかと。
ぱたりと更新が途絶えたあたり、それが顕著だなと未だにわかってしまう。
でも、途中からは違う。
旦那が現れて、私の中でたぶん……初めて義務や責任からくる感情ではなくて、私個人の自由な感情が生まれたからだ。
それからとんとん拍子に色々あって、正直激流のような日々で思い出せない。
ただ絶縁した日と理由ははっきり覚えてる。
……年月があれから二年経って、私がトラウマと向き合った結果が昨日の出来事だった。
驚きましたよ、自分でも。
母がしたのは許される事じゃないし、一生許す事もないでしょう。
ただ、それでも。
私は母の幸せそうな顔を見て、良かったって思った。
そして寂しいのではなく、切なくなった。哀しかった。
で、わかってしまった。
怖かったんだな、私。
自分の全てが詰まったそれを見るのも、思い返すのも。
だから避けたんだな。
文句や母にされた事を人に言って、笑い飛ばしてくれよって思ってるのに。
自分の気持ちをひた隠しにしたのは、怖かったんだ。
自分が間違った存在なんじゃないかとか、あの母に自分を見てしまって怖かったんだ。
違ったよ。
母と私は、確かに似ているところはある。親子だから。
ただ、私は私だったよ。
怖がる事なんて、もう無かったんだよ。
母に似た部分を受け入れられる位には、私もあれから成長してたみたいだよ。
私は、あの人じゃないよ。
ごめんなさい。
あとありがとう。
弱虫だったよな、昔から。
大丈夫、今もだよ。
すぐ泣くもん。
でも、良いんだよそれで。
我慢するのも良い。
自分なんだから、自分の好きにしたら良いんだよ。
母よ、生んでくれるな殺してくれと頼んだ私が居たのは事実だし、私もそれを否定しない。
本当に辛くて苦しかったんだ。
ただ絶縁した今、思うことは一つだ。
生んでくれてありがとう。
私は今幸せだ。
今の私があるのは母を含めた家族や親友や友人が居たからだ。
だから、存分に幸せであってくれ。不幸にならないでくれ。
そう願って、私も幸せであるのが私の出来る唯一の親孝行だ。
ありがとう。
ごめんなさい。
あと、旦那を愛して信じて良かった。