話題:文通

文通。
昔は大好きでした。

初めは転勤族の子だったから、前の学校の子や、自然の家等で催される合同合宿で知り合った子と手紙のやり取りをしていたのが始まりでした。

その内、楽しくなっちゃって。
何でも書くけど、返事が来なくなっちゃうんですよね。

そんな寂しさも感じていた頃。

三度目に転校した中学で、一部の人の間でものすごく同人が流行っていて、『FIND OUT』等の雑誌で募集をかけ、沢山の人と文通している人が数人いました。

その話を雑談や交換日記でしたり、この人はイラストが上手いんだとか、返事をすぐくれるとか沢山書いてくれるとかいう話になったりすると、こっちとしては羨ましいんですよね(笑)。

しかし残念ながら雑誌は購読していなかったため(手にする勇気と行動力に欠けた)、唯一家で購読していた『毎日中学生新聞』の募集欄に投稿して一度だけ載り、数名から応募があってしばらく続きました。

その頃、中学生新聞でも同人関係の文通相手やペーパー配布依頼の募集って多かったんですよね。
どうもトラブルが多発したみたいで、後々募集欄は廃止になったような話も聞きました。
あれだけ活発にやっていれば……と頷ける気持ちもあります。
だって、他にイラスト投稿欄もあったし、あまりにもそういう関係のことばかりが活発だったから(しかも一般紙ですよ!)、私は、同人は隠すのが常識だってことに(一部で?)なっていたなんて、高校に入るまで知りませんでしたよ。

お陰で恥をかいたというか、何となく引かれたようなそんな悲しい経験もあって、それは文通の話とは離れるのでやめておきます。

とにかく、そういったことがきっかけで、地方の新聞の投稿欄も見たし(応募は一度だけしかしませんでしたが……)、同人関係のイベントや人づてでもらったペーパーから、文通相手の募集をしている人を見つけて、どんどん増やしていきました。

最大で何人いたかは分かりませんが、同時にペーパー配布や、ごくたまにイラスト交換もしていたため、ものすごく負担になりつつありました。
でも、同じ高校の同人仲間も似たようなことをしていたし、中学生時代の同級生は、嘘かまことか「50人の文通相手がいる」、「文通相手の中に男性がいて驚いた(困った?)」等の話をしていましたし、中学・高校で「年上の人や社会人とも文通をしている」話も聞きました。
ですから、感覚が麻痺していたんでしょうね。

高校時代、母親が私の様子を見かねて、事情を訊かれました。
その時、「ねずみ講だよ」と言われたのをはっきり覚えています。
楽しくできるならいいけど、というようなことも言っていたけれど、あまり賛成はしていない様子でした。
自分の描いたイラストを交換しているなら良いが、他人の作った配布物を配布しているだけなのなら、やめたほうが良い、と。

その頃自分は、ほとんど自分ではイラストを描いていませんでした。
描けなくなっていたのかな?
よく分かりませんが、恐らく精神的なもの(自分は他の人に比べたら絵が下手だから相手にしてもらえないのだという強迫観念)か、実は勉強その他に忙殺されていることを自分で認めたくない、その狭間にいたのでしょう。

でも、そんな話をされて考えても、すぐには付き合いを断てず、ずるずるそのような「ペーパーを見ては増やし、その人と文通してペーパーも配布する」みたいな付き合いを続けていたと思います。

人との付き合いに飢えていたし、逆に同人関係以外で人間関係を築くことが、どうもできなくなっていて、それで仮にやめてしまったら自分は一人になるのではないかと、根拠なき不安もありました。

不登校気味になってもそれだけは続けていたという、本末転倒、アンバランスな日々でした。

多分、負担でありながらも心の支えにもなっていましたから、やめられたのは大学2年になってからでした。
その時、やめよう!と決めて、付き合いのあった方には文通・ペーパー配布を中止(お断り)したいと手紙やメールで連絡し、手紙の一部を処分したことを今でも覚えています。

お陰で、やはり一時期付き合いがなくなりました(笑)。
寂しい時にネットで文通相手を募集してしまい、それだけでは足りず、昔付き合いのあった人や、ペーパー等で見て接点を持とうとしたが出来なかった人を探そうと必死になってしまったこともありました。
それが父に見つかり、「本名を出すのはいかんぞ」的なことを言われ、恥ずかしくてそういうことはやめましたけど……。
以前、友達の発案でジャニーズ関係の署名のお願いも投稿したことがあって、その際も確か他の投稿者の方か、父にたしなめられたんですよね。
同じことを繰り返してしまう自分です……。

それからしばらくは、ネットで募集かけたり応募したりもしたけれど、結局(就活その他で、時間はあるのに……)返事が書けなかったりなんていう感じで落ち着いていました。

多分、代わりにネットの掲示板や、チャット、ブログがあったからだと思います。

それからも人寂しくなるとネットで文通相手をたまに探しました。
でも、多くが自然消滅してしまい、今ではお一人の方への返事をこちらで止めてしまっている状態です。
その人には大変申し訳ないのですがね。

もう、当分ネット等で新しい文通相手を探す気はありません。
昔つながりのあった方に関しても、強いて再び探し出そうという気は薄れてきました。

恐らく、ツイッターや、今のところGREEが、人恋しくなった時の繋がりの代わりというか、手段になってくれているのでしょうね。

何だかマイナス面の話が多くなってしまいましたが、楽しいやり取りをできた相手の方もいましたし、NARUTOのヒナタが好きで、とても可愛いイラストを下さった心の優しい人もいました。
沢山のグッズをプレゼントして下さった方もいました。

そういう良い思い出を作って下さった方・ことについては、感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。

そしてある意味私の青春を作ってくれた文通に、回想と訣別の意味を込めて、こんな長文をしたためました。
良き時代でした。
そういう時代でした。

今に比べれば、ネットも発達していない、アナログからデジタルへの過渡期でした。
そんな中に、自分はいたわけですね。
否応なしに。

ことの優劣や善悪、軽重など無視して、全てを記録(解説)したい人間なので読みにくいと感じられましたらすみません。
また、読む価値があるのか、面白さを感じられない人もいるかもしれませんが、こんな話(人)もあるんだなぁ程度に読んでいただけておれば結構です。

ここまでお付き合いありがとうございました。