話題:最近読んだ本
Title:月と六ペンス
最近と言っても1ヶ月ほど前になりますが。
大学の時講義を受けた教授がね、「読書におすすめのカフェありますか」という生徒からの質問で答えたのがこの本と同じ名を持つ店で。
余談ですが在学中に別の授業でも時折上記そのままの質問があったなあ。
文学部らしいといえばらしいけれど。
1度は行ってみたいな、そのお店も。
それで、まあ今回図書館でたまたま見かけたものだから借りて読んでみました。
各登場人物から語られる美(絵画)への考え、恋愛観、人生観。
淡々とした言葉のやりとりは読んでいて結構クセになります。
台詞も時折芝居のように長く情熱的なものが見られるので、そこから登場人物が何に重点をおいて生きているかも垣間見えたような気がします。
その言葉を引き出す「わたし」の問いかけや皮肉のこもった言い回しなんかも、私は好きですね。
何かに情熱を傾けられる人たちが、そこにいます。
それは温かなものであったり狂気的なものであったり様々ですが。
惹かれてしまった。
追記は作中気になった台詞(言葉)についていくつか。
まず、感覚的に1番共感を持てたのはストルーヴェ。
好感を持ったかと言われるとまた違う気がするのだけれど。
作中で1番近い自分に近い人物を選ぶなら彼になりそうだと思った。
『美とは、芸術家が世界の混沌から魂を傷だらけにして作り出す素晴らしいなにか、常人がみたこともないなにかなんだ。(中略)美を理解するには、芸術家と同じように魂を傷つけ、世界の混沌を見つめなくてはならない。』
美に関してある意味盲目ともいえる台詞ですが。
美―芸術―を表現することは容易ではないし、鑑賞者もそれを理解するためには必要なものがあることを語っている。
「魂を傷だらけにして」っていう強烈な言葉で思い出した言葉がある。
美術批評家テオフィール・トレの言葉、
「芸術は強烈な信念によってのみ変貌する、同時に社会をも変貌させるに足るほど強力な確信によってのみだ」。
何かを「芸術」と呼べるのは作者のよく言えば情熱や信念、悪く言えば苦悩や、使い方にもよるけれどこだわりがあってこそかなと。
ここでデュシャンの泉について考えたけれど、「これは私が芸術だというから芸術なんだ!」と彼の強い「主張(信念)」がそういやあったなと。
作品が1作品のままで終わるか芸術に昇華されるかは鑑賞者に委ねられるところではあるけれど、いや、委ねられるからこそ、鑑賞者にも必要な素養っていうのはあるのかなと。
あまり書きすぎると終わらないから次いきます。
以下作中より。
*
わたしはストリックランドを振り返っていった。
「表現の手段を間違えているんじゃないですか」
「どういう意味だ」
「あなたはなにかをいおうとしている。それがなにかはよくわかりませんが、そのなにかを表現する最良の方法は本当に絵なのですか」
*
ストリックランド。彼についてはどこから書いていいものか正直わからない。
稼ぐために、名声を得るために絵を描くのではなく、何かを「表現する」ために描く、そんな画家。
表現活動はストリックランドにとって終わらない問いであったように思うし、終わらない戦いであったようにも思う。たまたま手段が絵画であったというだけで。
(ただ作者が絵画を選んだのはたまたまではないような気がしている。)
彼の狂気的ともいえる情熱は羨ましくさえ思ってしまった。
彼は「人間である(欲望を持つ)」自分と戦っていたのだろうか。
とまあ、書いてはみましたが、実はストリックランドに関しては絵よりも恋愛観で結構刺激を受けたキャラクターなんですよね。
『女は男を愛すと、魂を所有するまで満足しない。相手を支配しようと必死になる。支配するまで決して満たされない。(中略)ブランチも、そのうち次々にいろんな手を使うようになった。驚くほどの粘り強さで、おれを罠にかけ束縛しようとした。おれ自身には関心がなく、ただおれを自分のものにしたがった。おれのためなら喜んでなんでもしたが、おれが唯一望んだことだけはしてくれなかった。つまり、おれを放っておくことだけは』
正直インパクトで言えば作中で一番の威力でした、私には。
自分別にそくばっきーだとは思わないけれど。
実際知人に「理想の恋人=ほっといてほしい時にほっといてくれる人」という人がいるので。
あと私自身「男は独占欲が、女は所有欲が強い(傾向がある)」という考えをしているので。
色々思うところがあったのかもしれない。
ストリックランド以外にも、恋愛観に言及する人物はいる。
『女は自分を傷つけた男なら許せる。だが、自分のために犠牲を払った男は決して許せない』
という「わたし」の語りがあった、はず。
結構「男は〜」「女は〜」と言う書き方をしているので、そこは苦手な人もいるかもしれない。
最後に。といっても既にここまで長すぎて読む人いるのだろうかという疑問を抱きながら←
人生について「わたし」の語りを二つ。
*
『わたしは首をかしげた。
エイブラハムは本当に人生を棒に振ったのだろうか。
彼は本当にしたいことをしたのだ。
住み心地のいい所で暮らし、心の平静を得た。それが人生を棒に振ることだろうか。
成功とは立派な外科医になって年に一万ポンド稼ぎ、美しい女と結婚することだろうか。』
*
『成功の意味はひとつではない。
人生になにを求めるか、
社会に何を求めるか、
個人としてなにを求めるかで変わってくる。』
*
当たり前なんだけれど、まあ、改めて文字で読むと…となる文言。
作中他にも『私は美を求めて人生を生きたのです』と言う人物がいるんですけれど、自分の人生を振り返ったときにそんな風に言えるだなんてと眩しく感じて、印象に残っています。
とりあえず印象に残った部分についての所感は以上です。
思うままに書いた拙い文章ですが、読んでいただきありがとうございました。