2010-6-26 21:16
私が白だと認識している色彩が空間全体を包んでいた。包んでいた?包み込まれている感覚はないのに、その表現は果たして正しいのか否か。とにかくここは何らかの空間であり、白一色であったことを前提に話をしよう。私はそこにぽつねんと在ったわけだが、それに対して私は何の疑問も抱かなかった。それが自然の摂理であるように。そこで、自然と呼ばれるものはこの空間には存在していてないらしいのだから、その言葉は不相応だと思った。そうして私が考えなくてもいいような(何を基準に考えていいものと考えなくてもいいものに分けられるのかは私には理解できなかった)ことを悶々と考えていると、声が聞こえた。声。正しくはそれは声と呼べるのかは分からないが、何らかの物質が私に対して思念を伝えてきた。それを私のもっとも身近な言葉で表現したら、声だったのである。
「やあ。そんなくだらないことを悶々と考えていて楽しいかい?」
何を持ってくだらないのか。
「くだらないさ。答えの無い疑問ほどくだらないものはない」
しかし誰かよ。これは、突き詰めていけば人類の発展にはかかせない工程ではないか。人は元来考える生き物であり、答えを求めて進化していくのだ。
「だが、君には必要ないだろう。それとも君は、不必要な進化を求めているのか」
何かを考えることが、必ずしも進化を求む姿勢とは限らない。現に私はとりあえず疑問に思ってみるだけで、答えなど欲してはいないのだ。強いていえばこれは暇潰しなのだよ。
「奇遇だな、私も暇なんだ。暇人同士、仲良くしよう」
君も暇人か。なるほど分かった。しかし初対面同士で話すというのは難しい作業である。何か互いに関心の持てる話題は無いかね。
「そうだな。君、音楽は好きかい?」
ああ、好きだとも。邦楽洋楽ジャズラップ、レゲエにクラシック。吹奏楽曲は別でカテゴライズされるっけ。
「吹奏楽曲はクラシックに入るんじゃないか?しかし今それは重要なことではないよ。重要なこと。それは君は音楽が大好きだということだ。もちろん私もね」
ほう。何か楽器など扱えるかね。
「管楽器が好きだね。私は特にユーフォニアム。テューバの低音も中々だがね。トランペットやトロンボーンなどの直管楽器はジャズがいいね。ホルンの音色は耳に心地よい」
ジャズと言えばサキソフォンだろう。花形だ。サキソフォン族と言えば私はバリトンサキソフォンが一番好きだね。クラリネットではバスクラリネット。フルートとピッコロは耳が痛いよ。
「君も中低音が好きと見たが」
いかにも。高音は体質的な問題もあって苦手なんだ。
「体質的な問題とは?」
鼓膜が必要以上に振動するというか、ぐわんぐわんと音が揺れるんだよ。これがアマチュアの演奏ならまだしも、プロの演奏においてもそうなるのだから困ったものだ。
「確かにそれは大変だね。ところで金管八重奏のテルプシコーレは聴いたことあるかな?」
もちろんだとも。軽やかなメロディーは朝の城下町というイメージだが、そこから一転して、まるで追いかけっこでもしているかのように賑やかで楽しいメロディーになる第三楽章が私は好きだな。
「朝と言うなら第一楽章だろう。始まりを感じさせるよ。ホルンとユーフォニアムの掛け合いの部分が素敵だね」
第一楽章もいいがね、私はやはり第三楽章派かな。そんなことより君、私は君に言わなければならないことがある。これは中々楽しい暇潰しだね。
「君が話してくれるからさ」
不思議だ。初めて喋った気にならない。なあ、君はもしかして以前私とどこかで会ったことないかい?
「さてねえ。記憶というのは存外曖昧なものだったりするのさ。なあ、そんなことより私は君と音楽についてもっと話しているべきだと思うのだけど」
それもそうだ。さて、エスノというものは奥が深いね。実に不思議で、色彩鮮やかなサウンドは不思議と心に残るよ。
「民族音楽だっけね。私も好きだ。パーカッションが楽しいアジアのものが特に好きだね」
フラメンコなんかどうかな。私はあれを聞く度ステップが踏みたくなる。ハイハイッ!
「おや、それはダンスかい?」
君には私が見えるのかね。私はここに在るのだけれど、ここに居るわけではないのに。その証拠に私は自分が見えない。もし君が本当に私のことを目視出来るというのなら。
「出来るというのなら?」
君は迷い子。ああ、またもや暇潰しの相手が減るのか。まあ、それはさしたる問題ではないので置いておくとしよう。さあ、迷い子君。早く目をお覚ましよ。さもなくば戻れなくなる。何てったって記憶は曖昧なものだからね。夢は記憶の塊。さあ、さあ、さあ。早く目をお覚まし。そして、私にまた音楽を与えておくれ。
***
まず目に入ったのは白い天井。
鼻につく消毒液の香り。ここが病院だと瞬時に知る。私は眠っていたらしかった。少しだけ首を上げると、私の体は白い布団に飲み込まれており、投げ出された腕には何やら白いチューブが繋がっている。白、シロ、しろ。違うのは、ここはあまりにも確かな世界であること。違うのは、私は答えを求めなければならないこと。
私は、誰だ。
夢前案内人