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フル・フルール[後編]

「色んなことがあったね」
「俺、果穂から改めて返事貰った時、嬉しさで泣ける気がしたよ」
「まあ、一回フったしねえ」

 沈んでいく夕陽の色に染まる街。吹き荒ぶ風は冷たく、幸治は繋いだ手の力を少し強めた。幸治の手が震えていることに、果穂は割と早く気付いたけれど、寒さのせいだろうと思い、気にしないことにした。

「なあ、果穂」
「うん?」
「話があるんだ」

 幸治は果穂の肩をそっと掴んで、優しく自分の方を向かせた。改めて向き直ってみると、幸治の顔が赤いように思う。それが夕陽のせいか、幸治自身か、果穂にはよく分からない。
 幸治はギュッと目を閉じ、それから数回深呼吸をすると、ばっと目を開けた。

「えっと、ですね。俺は、月井果穂さんのことが大好きです」
「はい」
「で、出来ればずっと、年取って死ぬまで、ずっと隣にいて欲しいなって思ってます」

 だから、と幸治はそこで言葉を切り、ポケットから何かを取り出して、果穂に差し出す。白い、手のひらサイズの小箱だ。自分のことに関しては割りかし鈍感な果穂にも、流石にそれが何かくらい分かった。
 幸治はゆっくり、小箱を明けてみせる。中には、綺麗なダイヤの指輪が入っている。

「一生懸けて、果穂のこと守ります。愛し続けます。だからその…、俺と、け、結婚、してくれませんか?」

 大事な台詞でつまづく幸治。実に彼らしいプロポーズだ。果穂は自分の中で、驚きと嬉しさと恥ずかしさと愛しさと、色々な感情が溢れてくるのを隠すように、とても穏やかに微笑み、そして。

「はい」

 薄暗い夕空から、ちらちらと白い雪が降る。優しく静かに舞い降る雪は、まるで花のようで。
 付き合って三年。三回目の恋人記念日が新しく色を変えたことを祝福するように、街には冬の花が降る。


 優しく、静かに、ただしんしんと。






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フル・フルール[前編]


 付き合ってから、もう何回目か分からないくらいしてきたけど、未だにこのデートの前のドキドキは消えない。石橋幸治は何度も時刻を確認しながら、恋人の月井果穂がやってくるのを待った。
 某大型商店街の前の、名称の分からない、ただ球体であることしか分からないオブジェ。そこが二人のお決まりの待ち合わせ場所だった。
 幸治はオブジェに凭れかかりながら、キョロキョロと辺りを見回し続けている。端から見たら相当落ち着きの無い人間だ。
 いくら見回しても、待ち人の姿は無い。それもそのはず。何故なら待ち合わせの時間まで、まだ三十分もあったからだ。

 幸治は他人にやたらと気を遣う人間だった。いや、正確には他人に気を遣われることが大の苦手であった。だから、待ち合わせの一時間半前には必ず待ち合わせ場所に着くようにする。

「そんなに待って、暇じゃない?」

 私には無理だわ、と呆れながら果穂が聞いてきたことがある。その時幸治は、そんなことはないと首を振り、こう答えるのだった。

「だって、待ってる間ずっと果穂のこと考えてるからな」

 人人人で溢れ返る中に、愛しい君の姿を探しながら、まだかな、もうすぐかな。君はどんな服装で来るだろうか。どんな髪型で来るだろうか。君が来たらどんな話をしよう。君は今日のデートを楽しんでくれるだろうか。そんな風に『君』でいっぱいになった些細な時間が愛しいとすら感じる。時折、もしかしたら事故に遭ってるかもって不安になるけど、全然退屈なんかじゃないよ。
 そんな歯の浮くようなことを平気で言ってのける幸治に、果穂は顔を真っ赤にしながら、小さく「ばか」と呟くのだった。

 約束の時間まであと五分。幸治は慌てて、目の前にある店のガラスを鏡にし、身だしなみを整えた。髪型、服装、完璧。それから腕時計を見る。あと三分。
 その時、後ろから誰かに肩を叩かれた。振り向くと、立っていたのは。

「お待たせ」

 恋人、月井果穂だった。
 そして、何回目か分からないデートが始まる。








「思い出の場所巡り、なんてどうかな?」

 先週の火曜日のこと。幸治が電話の最中に突然、何の前触れもなくそんなことを切り出した。

「思い出の場所?」
「うん。ほら、俺ら付き合ってもう三年だろ?たまには過去を振り返るのもいいかなって」
「何それ、年寄りくさい」

 くすくす。果穂は笑いながら、けど面白いかもね、と幸治の提案に乗った。そして、それが今日。
 幸治と果穂は、同じ高校に通っていた。クラスが一緒になったことはないが、委員会で一緒になり、それを通じて親しくなったのだった。二人はそのまま大学も同じところに進むことになる。そして、大学の卒業式。
 告白したのは、幸治からだった。けど当時の果穂は、幸治のことは単なる男友達としか見ておらず、いきなりそういう風には見れないと、彼の告白を断った。
 が、時間が経ち、フラれてなおも自分を愛し続けてくれていた幸治の一途さに打たれ、三年前の今日、今度は果穂から告白し、二人は晴れて恋人同士となった。
 幸治が、今日思い出の場所巡りをしようと言ったのは、きっと今日が二人の記念日だったからだろう。結構ロマンチストなんだなあ。果穂は自分と並んで歩く愛しい恋人の顔を見て、気付かれないようにくすりと笑みを零した。

 さて、二人がまず始めにやってきたところは、二人の母校である某公立高校であった。

「うわ、変わらないなあ!懐かしい」

 黒い柵の向こう、広いグラウンドでは、野球部や陸上部などといった運動部員達が、この寒い中、元気に声を出し合って活動している。ふと耳を澄ませると、校舎の方から小さくだが、楽器の音が聞こえてきた。吹奏楽である。

「この寒い中、よくやるねえ。若いっていいわあ」
「果穂も充分若いだろ」
「いやあ、私もうおばちゃんよ、おばちゃん」

 誰かが走り出す音、金属バットでボールを打つ音、部員同士のかけ声、笑い声、吹奏楽部の練習している音。
 あの頃、日常の一部と化していたその騒がしさも今となっては非日常的な音。そんな当たり前の変化が、少し寂しい。
 休日ということで学校内には入れなかったから、二人は仕方なく学校のまわりをぐうるり歩いてまわった。
 学校裏の、実験用の野菜を栽培する畑。春になるととても綺麗な花を咲かせる桜の木。体育館が綺麗に改装されていたことに対して二人で、ずるいだとか言って笑った。

 次に二人が向かったのは、まわりを市営住宅に囲まれた、平凡な公園。ここは二人の初めてのデートの場所である。

「ここも、変わらないね。ほら、この落書きとかまだ残ってる」
「わ、本当。もー、早く消してよー」

 滑り台とブランコと、シーソーと鉄棒と、それから砂場と。どこにでもありそうな公園だけれど、二人にとってはそうじゃない。この公園には二人の、至極平凡で大切な記憶が、今もなお形を残していた。
 滑り台の裏の、沢山の落書きの中。相合い傘の下に女子特有の可愛い字体で『かほ』と『こうじ』と書かれている。これは間違いなく果穂が、学生時代、何度目かのデートで落書きしたものだ。
 あの頃は、むやみやたらに自分達がここに在ったということを形にしたがった。卒業式に机の隅に『○期生、誰々』と書いてみたり。多分、大体の人間が通る道ではないだろうか。
 それは大抵誰かに消されるか自然に消えるかで残らないから、果穂は確かに恥ずかしかったけれど、嬉しかった。

「そういえば、覚えてる?」
「うん?」
「いつだったか、私が『懸垂出来る人ってかっこいいよね』って言ったら幸治、いきなり懸垂し初めてさ」

 面白そうに語る果穂とは対称的に、幸治は恥ずかしさからか顔を赤らめる。

「何でまだ覚えてんだよ…」

 基本運動はできたが、唯一幸治が苦手とするものがある。それは機械運動だった。そんな彼が、いきなり懸垂を始めた時はびっくりした。と同時に、それだけ愛されてるんだと実感せずにはいられず。

「あの時私、とっても嬉しかったよ」

 そう言って彼女は、ブランコに乗り、ぶうらりぶらりと揺れ出した。そんな果穂の表情はまるで子供のようで、幸治の中の彼女を愛おしむ想いが一層強まる。

「そろそろ、行こうか」

 君との思い出が詰まった場所が、まだ沢山あるから。
 果穂はまだ名残惜しそうにしながらもブランコを降り、そして二人は公園を後にした。








 幸治が学生時代、アルバイトしていたコンビニは今、小さな雑貨屋になっていた。そこで二人は、せっかく来たのだし、とお揃いのマグカップを購入。そうして、雑貨屋を後にする。
 果穂は中学高校とテニス部に所属しており、時間や体力的な問題でアルバイトなどが出来なかった。だから、果穂には幸治や、他のアルバイトをしている友人達が自分よりもとても大人であるように見えた。そんなことを思い出しながら、果穂は幸治の隣に並んで歩いている。

 やがて辿り着いた場所は、誰もいないテニスコートだった。コート内に一球、ころんと転がるテニスボールが寂しい。
 果穂の高校時代のテニス部コーチの親戚が管理しているらしく、休日練習や他校との練習試合の時はよくここを利用したという。

「休憩の時は端っこの方で、紗綾の苦労話とか聞いたっけ」

 紗綾というのは果穂の友人の一人で、部活が忙しいながらも必至に時間を作ってアルバイトに当てたというなかなかの強者だ。果穂は部活中、よく紗綾のバイトでの悩みや愚痴を聞いていたんだとか。

「大変そうって思ったけど、やっぱり羨ましかったな」
「まあ、普通運動部とバイトと両方やるとか、しんどいし無理だろ」
「うん。でももし私が、部活とかしてなくて、バイトやってたらどうなってたかな」

 今更だけれど、時折考える。自分で一つ一つ選んできた人生でも、振り返って、もしあの時こうしていたら、だなんて。考えても変えることなんか不可能だけど、でも考えてしまう。

「俺、テニスやってる時の果穂が大好きだったから、果穂がテニス部で良かったよ」

 幸治がそう言って微笑むから、果穂は恥ずかしくなって幸治から目を逸らす。だから何でこうも彼は、素直で正直なんだろう。それが彼の良いところだけれど。
 きっと幸治は、自分のように「あの頃ああしていたら」なんて考えないんだろうなと果穂は思った。そんな彼の正直さが、大好きだった。








 最後にやってきた場所は、二人のお気に入りの場所。それは、街が一望出来る小高い丘の上だった。
 春になれば満開の桜によって色付く街を見下ろし、夏になれば夜、二人でここにやってきて、むせ返るような星空を見上げた。秋になればそれぞれ本を持ち寄って読書会、そして冬は寒いねと身を寄せ合いながら、行く年を振り返ったり、来る年に想いを馳せた。
 大学の卒業式の日、果穂が幸治から告白を受けたのもここだった。一度断ったその申し出を、改めて。今度は自分から、申し出たのも、ここだ。
 三年前とは少し姿を変えた街を見下ろしながら、果穂は感慨深げに息をついた。


(後編に続く)
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