学校が終わり、顔を合わせないように真っ直ぐに帰宅して。
ガチャリ、と自室の扉を開いたまま、零はピキリと固まった。
そのまま何事もなかったように扉を閉めて出ていこうとした零を引き留める、華奢な腕。

「ま、待って、零」

眉尻を下げた優姫は零の腕を掴み離そうとしない。
零が厳しい表情で一瞥しても優姫はしがみつく力を緩めようとはしなかった。
どうしてこんな所にいるんだ、とか、勝手に部屋に入るな、とか。言いたいことは沢山あったけれど何故か言葉にはならず、逸らされることのない視線に戸惑い、瞳を伏せる。

「ね、零」

躊躇いがちに優姫が零の服の袖を引く。

「こっち、見てよ」

懇願の、声。
頼りなく零を呼ぶ夢姫の声に、つい体は反応してしまう。
目線を下げた頭一つ分下に、悲しげな色の瞳が揺れていた。
どうにも気まずさが先行して、零はまた視線を逸らす。
そんな零の態度に、ついに、優姫の中で何かが切れた。

「………零の馬鹿っ!」

煮えきれない零の態度に流石に痺れを切らした優姫は、そのまま体重をかけ思いきり零を部屋に引っ張りこんだ。
ぐらり、と零の体が傾き優姫の方へ倒れてくる。
このままでは零もろとも床に盛大に倒れ込むだろう。
お尻ぶつけちゃうだろうなあ、とか、背中痛いだろうなあ、とか。
少しだけ考えて、でもそんなことはもう、どうでも良かった。

「お、おい…!」

油断していたらしい零は、突然の出来事にバランスを崩し、らしくない慌てた声を出す。

「──っ、この馬鹿!」

続いて耳に届く罵声と、腰を抱く力強い腕。
このまま倒れ込めば優姫は零の下敷きになるはずだったのだけれど。
小さな衝撃と、どすん、という鈍い音にきつく閉じていた瞳を開けば、どういうことか、下敷きになっていたのは優姫ではなく零だった。

「──痛っ」

思いきり背中を床に打ち付けたのだろう零が、小さく息を洩らす。
零に抱き締められるようにして同じく床に転がっていた優姫は、その声にパッと身を起こし、心配そうに零を見つめる。

「だ、大丈夫?零、怪我とかしてない?」

あわあわと、目まぐるしく表情を変えながら顔を覗きこむ優姫に、つい零の顔に笑みが浮かびそうになる。
けれど、ああ今は彼女を避けているんだったと思い出し、優姫に自分がしてしまった行為を思い出せば、居たたまれなくなりそっけなく大丈夫だ、と返事を返した。
それを見て、また頬を膨らませるのが優姫だ。
きっ、と零の瞳を睨み付けると、零なんか大嫌い…と呟いた。
思いの外その言葉にショックを受けつつ、零はこのまま立ち上がり部屋から出ようとする。

けれど、それもまた目の前の少女に阻まれる。

「…零の馬鹿。馬鹿馬鹿、大馬鹿。もう零なんて、嫌い。大嫌い」
「……優姫」
「嫌い、嫌い。」

暴言を並び立てながら。
ぐりぐりと。優姫は零の胸に額を押し付けた。
腕は零の腰にしっかりと回されていて、離れる気などないようだった。

ふぅと一つ息をこぼし、零は優姫の頭をぽんぽんと、叩くというには優しすぎる仕草で撫でる。

「嫌いなら離れろよ」
「……嫌」
「……優姫?」
「………嫌いだから、離れてあげない」

零の馬鹿。そう何度も呟いて、優姫は零の胸に頬を摺り寄せる。
それほど寂しかったのか、優姫は甘えるように零に身を任せている。
これは、一体どういう解釈をすればいいのだろうか、と零は眉間に皺を寄せた。

普通あんなことをされて、こうも無防備に近寄ってくるだろうか。
こっちはもうあんなことをしてしまわぬようにと距離を取ったというのに。
いくら幼なじみで兄妹のように育ったといっても、もう近寄りたくない程酷いことを、してしまったのに。
そう、自覚しているのに。

「馬鹿、零。離れていかないで。寂しいよ。……悲しいよ」

零の胸の中で、優姫が小さな声で言った。
消え入りそうな声に零が頭を撫でていた手を止め、視線を腕の中の少女へ向ける。
重なるように、二人の視線が絡まった。

「嫌だよ、零」

そう言って。
優姫は零の頬に手を伸ばす。
ポロリと、何かが頬を伝うのを感じながら。
そのまま、優姫からキスをした。

少し、しょっぱかった。





*次でラストです。多分(笑)