晴れ渡る青空に突き抜けるような高音が響いた。
流れるような音の洪水。
目まぐるしく切り替わる旋律の中心に彼は一人立っていた。

普段ならば声を掛けるところだけれど、今日はなんとなくそんな気分ではなくて。
香穂子は今開いたばかりの屋上へ続く扉を閉めた。
ガチャリと重く響く音が、香穂子の心に暗い影を落とす。
そのまま閉めた扉に凭れると、ふと息を吐いて瞼を閉じた。
扉一枚隔てた屋上からは、先程よりも少し遠くなった音がそれでも確かな質量を持って耳に届く。

心が、ざわつく。

圧倒的な差。到底追い付くことなど出来ない、距離。
それらのどうしようもない現実が、今更香穂子に襲いかかる。
聞きたくなくて耳を塞いでも、見たくなくて瞳を閉じても。
心が記憶してしまった鮮烈な青が脳裏をよぎり、香穂子を内側から乱していく。

最初は憧れだった。
彼みたいに弾けたら良いのにと毎日思い、必死になって練習した。そして、音楽にのめり込んだ。
けれど、今はどうだろう?
『憧れ』なんて綺麗な言葉で表せるような感情じゃなくて。
『執着』と呼ぶに相応しい熱情が自分の中で彼を追い求める。

彼の隣に並びたい、と思うようになってしまった。
あの素晴らしく美しい音色だけではなくて。
冷静で、不器用で、容赦がなくて言葉少ない、そんな優しいあの人を好きになってしまった。

恋を、してしまった。


気がつけばいつだって彼のことを思い描き。
けれど縮まることのない実力差に肩を落とす。


音楽に恋をすれば良かった、と香穂子は思う。
そうすれば、何に縛られることもなく、自由に楽しく弾けたのに。