空高く昇る太陽と、けたたましく鳴きわめく蝉の声が、今の季節を伝えている。
月森は一人、通学路を歩いていた。まだ9時前だというのに、照りつける太陽は容赦ない。
時折遠慮がちに風が吹くものの、生温いそれは気持ちよいものではなく、逆に不快感すら煽りかねない。
額や首もとに浮かぶ汗の玉を持参したハンカチで拭き取りながら、月森は目的の場所へ急いだ。
今、ほとんどの高校は長期休暇、いわゆる夏休み中であり、月森の通う星奏学院も例に漏れずその一つである。
しかし夏休み中と言えども学院は音楽科生徒のために練習室を開放しており、月森もまたそこを利用している人間の一人だ。
やはり学院で練習をしたほうが集中出来るし、何より図書館があるため疑問に思った点をすぐに調べられる。自宅から学院まで、そう離れていないことも理由に含まれるだろう。
ただ、問題なのはこの暑さ。あまり表情に出にくいため周りには理解されないが、月森だって暑いものは暑い。
よく友人からは「こんな暑いのに、月森はいっつも涼しい顔してるよな〜」とぶつぶつ言われるけれど、月森だって涼しいわけではない。
ただ暑いからといって、だらしない格好や言動をするのは如何なものかと思うだけだ。
そんなことを考えながら、月森は校門を抜ける。
グラウンドで精を出す部活動生の声をどこか遠くで聞きながら、早速練習室へと向かった。
校舎内に入れば、頭上からの日光が遮られるため、ほんの少し楽になる。外気よりもひんやりとした空気が心地よい。
かつかつ、と靴音を響かせながら、月森は予約していた練習室へと歩を進める。さあ今日は何から弾き始めようかと頭の片隅で考えながら、予約していた練習室のドアノブに手をかけた瞬間。
聞き覚えのある音が聞こえた。拙くけれど一生懸命で。どこか胸に響く素直な音色。
「……日、野…?」
月森は、思わずその音の聞こえる2つ程奥の練習室に足を進めた。小窓から覗き込めば、予想していた人物が楽譜とにらめっこしながら必死に指を動かしている。
これでも月森は朝早く出てきたつもりだったのだけれど、彼女の様子を見る限り、つい先程練習を始めたようには見えない。一体何時から練習していたのだろう。
練習室の中の日野は、動かしていた手を止めヴァイオリンを下ろすと、険しい顔で楽譜を目で追っては首を捻っている。わからないところでもあるのだろう。
今までの月森ならば放っておくところだろうが、今は素直に手を貸してやりたいと思う。彼女の音色がどう変化していくのか、知りたいと思う。
その努力を目の当たりにした今ならば、尚更。
そんな自分の変化に少し驚きつつも、自分の練習のことも忘れてノックをしようと片手をあげかけたその時。
日野の肩に、誰かの手が伸びた。
振り返った日野は、険しい顔から一変、満面の笑みを浮かべるとその人物に向き直る。赤みのある髪、穏やかな相貌。あの人は。
「王崎先輩…」
星奏学園のOBでありながら、未だにオーケストラ部にも顔を出している心優しい、月森とは正反対の穏やかな雰囲気を持つ人物。きっと日野が、王崎先輩に練習を見てほしいと頼んだのだろう。
何を話しているか、ここからはわからないけれど、何だかとても楽しそうだった。日野も、そして王崎先輩も。
確かに王崎先輩ほど、講師役で適任な人物はいないだろう。日野との付き合いも長いため悪い癖なども理解しているし 一番大切なことであるが その実力などは言わずもがなだ。
ああ、これならば自分が教える必要もないな、とちくりと痛む胸で思う。どうしてこんなことで落ち込んでいるのか。わかりそうでわからないこの妙な気持ち。
思わず口をついて出た溜め息は、思った以上に重い響きを持って。どこか苦い気持ちを抱えながらも、月森はさっと踵を返すと自分の練習室へと向かう。
また響き始めた軽やかな音色を背に聞きながら、月森はガチャリと練習室の扉を閉めた。
いつも聞き慣れているその音が、今日はどこか胸に重くのし掛かる。知らず知らずヴァイオリンケースを持つ手に力が入り、暗く沈みがちな思考を遮るように瞳を閉じた。