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秋分



清々しい秋風が髪を撫で、柔らかな日差しが頬を擽る。
さくさくと踏み締める草は昨晩の夜露で軽く濡れており、月森の靴を濡らした。


昼休みの森の広場には様々な人がいる。

音楽科、普通科関係なく楽しげに談笑する生徒達に、改めて実感するコンクールの影響力。


だか考えてみれば、コンクールなんて今まで何度もあったはずで。
今までと何が違っているのか。

わかりきっている。
今年は彼女がいた。

普通科からの参加など、なめられているとしか思わなかったけれど彼女は努力という形で人々の心を開いた。

 この頑なな自分の心さえも。


手に持つケースからヴァイオリンを取りだし構える。
こんな場所で奏でるなんて今までの自分からは想像しえない姿だ、と一人笑って。

喧騒の中、感覚を研ぎ澄まし音を乗せる。
響き渡るメロディー。



暫くして後方からパタパタと聞こえる足音はきっと彼女。
いつも校内を駆け回っている彼女が自分の前で足を止めてくれるこの時が、何よりも至福の時。


演奏はまだ途中で、振り返ることはできないし彼女も終わるまで話しかけることはないだろう。

姿は見えなくても、確かに感じる彼女の存在に知らずヴァイオリンが歌う。


それがどこか恥ずかしくて。
この気持ちが伝わってしまわないかとヒヤヒヤする。


けれどそれもいいかもしれないと、頭の片隅で思う月森の表情はどこまでも優しい。



後ろには彼女。

演奏が終われば心から拍手をくれるだろう。

振り返れば微笑んだ彼女がいて、きっとこう言ってくれるに違いない。



「凄く素敵だった」


と。



秋分
(来てくれると思っていた)
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HONEY



「…優姫」

柔らかな香しい首筋を舌でなぞる。
どうしようもなく高まる欲望を何とか制御しながら、浅ましい牙を沈めた。

「……零…っ」

苦し気な声が耳元で囁かれて、その痛みを表すかのように零の背を優姫が掻き抱いた。

ごくりと喉の鳴る音と、優姫の苦し気な吐息だけが静かな部屋に響く。


飲み過ぎてしまわないように注意を払いながら、零も優姫との距離を縮めるように腰に手を回すと強く引き寄せた。

柔らかな肢体。

誰よりも近くにいて、小さな体は確かにこの腕の中にあるのに。



その想いは何処にある?


飲み下す血液は甘く、優姫の想いがアイツに向かっていると手に取るように分かる。
血液がなければ自分は生きられず、けれどその度に胸を抉るような悲しみに襲われて。


それでも求めてしまう。
彼女の血を。



「…零?」

僅かに様子を変えた零に瞬時に気づいた優姫が声をかけるが、零は聞こえないとでも言うように顔を上げようとはしない。


「大丈夫?零…?」

先程まで強く背に回されていた優姫の腕が優しく零の背を撫でる。

何度も何度も。



ゆるゆると行き交う腕に、込み上げるのは虚しさ。
彼女の与えてくれる優しさは、慰めになりはしても零を満たすことはなく。


そんなこと我儘だと誰よりも自覚している。

けれど、止まらない。
止められない。



「…ごめん」

「…どうしたの?」

「…ごめん」


ごめん。
ごめん。

自分には血を貪ることしか出来ない。
この想いを伝えることさえ出来ない。
優姫の優しさを素直に受けとることが出来ない。

ごめん。
ごめん。


こんなにも好きになって、
ごめん。



HONEY
(舌先が痺れるほどに、甘く甘く)
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指輪




「香穂子」

ふいに呼び掛けられ振り返れば、月森が無言のまま何かを突き出す。
首を傾げながらも両手を出せば、そっと手のひらに丁寧に包装された何かが置かれた。

「…蓮?」

問いかけてみるけれど答えるつもりはないらしく。
月森のあまりに優しい瞳が「開けてごらん」と言っているようで、香穂子は月森の様子を見ながら恐る恐る包みに指をかけた。
かさり、と包装が取り除かれると現れた白い箱。


「なあに、これ?」

一瞬頭を掠める予感はあって。
そんなわけはないと否定しながらもそうであって欲しいという期待が胸を締め付ける。


やはり返ってこない答えが早く開けて、と伝えているようで。
ゆっくりと箱に手を伸ばし、上部を開けば。



きらりと光る指輪が一つ。


「えっ…」

期待と戸惑いと喜びがごちゃ混ぜになって、呆然と月森を見上げれば、彼はそんな香穂子に柔らかな笑みを浮かべている。



「結婚しよう、香穂子」

永遠に近い一瞬。
様々な感情が涙となって頬を流れる。

「……はい…」

震える声で答えれば、頬で香穂子の涙を拭っていた手がそのまま背に回され、痛いくらいに抱き締められる。


「…これからはずっと一緒にいられるんだな」

「…うん」

「一生離さない」

「…うん」

「愛してる」

「…うん、私も」


溢れる吐息はどこまでも甘く。
どちらからともなく瞳を合わせると、微笑みあいながらキスを交わす。



二人の未来はこれから始まる。



指輪
(きらり 左手の薬指)
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一時集中豪雨



あまりにも呆然としていた為か、外に一歩踏み出した途端降りだした雨に頬を打たれる。

冷たい、などと他人事のように思いながら、緩慢な仕草でいつも常備している折り畳み傘を鞄から取り出した。
ばさりと開けば、激しさを増した雨が傘を叩く。

乾燥していた道路も一気に潤い、あちこちに水溜まりを作り始めた。





『俺は君を認めない』


先程彼女に叩きつけた言葉を思い返す。
それは手酷い裏切りだった。

いつのまにか心惹かれ、あんなにも憧れたあの音は魔法という信じがたいモノが作りあげた虚像。

彼女の行為は音楽家への侮辱に等しい。
コンクール参加者だけではなく、観客をも騙している。


そこにどんな理由があろうとも、自分には認めることが出来ない。
いや、絶対に認めてはならないのだ。



月森はコンクール当初から香穂子があまりよくわからなかった。
素人にしては上手すぎるしヴァイオリンをしていたにしては知識が無さすぎる。

だが答えを聞いてみれば呆気なく、ただ彼女が本当に初心者だったということ。
知識がないのは当たり前だ。





叩きつける雨音は段々と大きくなり、横やりの風が月森の肩を濡らす。


…何をこんなに熱くなっているんだ、自分は。

冷静を取り戻しつつある意識が自身に呼び掛ける。



そうだ。
彼女にはいつもペースを崩される。
いつのまにかそこにいて、些細なことで笑って 怒って。

その指から産み出される音色は温かく、彼女そのもの。
じんわりと染み渡る、優しい心そのもののような。



「…ああ、そうか…」


こんなにも自分は好きだった。
彼女の音楽が。


だからこそ、知りたくなどなかった。
だからこそ、聞きたくなどなかった。




雨は更に勢いを増し、数メートル先も見えない程。
集中豪雨というやつか。

ヴァイオリンが雨に濡れてしまわぬよう細心の注意を払っているけれど、これは厳しいかもしれない。

一つ重い溜息をつき、近くの喫茶店の軒下へ入る。
もうしばらくしたら雨も少しは収まるかもしれない。

見上げた空は鉛色。
未だ止む気配を見せない様に月森の心も比例するように濁る。


あの言葉を告げた瞬間の彼女の表情が忘れられない。
大きな瞳をより見開き、酷く悲しそうに此方を見ていた彼女。

その顔を思い出せば、自分の中で燻っていた怒りも一瞬にして冷めていく。


許せないのに。
許してはならないのに。

彼女を傷つけたことが酷く悲しい。


どうしてそんなに悲しい顔をするのか。
こんなちっぼけな…自分の言葉なんかで。


そんなことでは期待をしてしまいそう。



怒りが胸を焼いているのもほんとうで、心から悲しんでいるのもほんとう。
傷つけたのも自分で、けれど泣いて欲しくはなかった。


ありえない我儘だとちゃんと承知している。


でも、どうか。


一人泣かないで。



一時集中豪雨
(傘なんていらない)
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俄雨

「俺は君を認めない」

ピシャリと閉じられた扉の音で我に返ると、呆然とその場に立ち尽くす。



そんなこと言われて当たり前だった。
だって自分は、ずるをしている。
皆を欺いてコンクールに参加しているのだから。



突然与えられた魔法のヴァイオリンに最初こそ戸惑ったけれど、上手く弾ければ嬉しくて楽しくて。
だから…忘れてしまっていた。

自分は偽物だ、と。


他のコンクール参加者と自分は全然違う。
彼らのように天才的な才能があるわけでも、幼少の頃からの努力の賜物でもない。
全ては魔法といういわば卑怯な手を使って自分は此処にいるのだ。
それは香穂子が望んだ事ではないけれど、今此処にいるのなら同じこと。

リリのせいにはしたくなかった。
こんなにも夢中になれるものを与えてくれた、それに何よりコンクールに参加することを決めたのは、誰でもない自分自身なのだから。


「…幻滅された、かな…」

自嘲じみた笑みを漏らし窓の外を見れば、今にも降りだしそうにどんよりとした空。
まるで今の自分の心のようだ。



だってどうしようもなくて。
言葉なんか何も見つからない。


「……ごめんなさい」

喉を使えば、何か溢れるように香穂子の胸に込み上げる。
悔しいのか、悲しいのか、寂しいのか、罪悪感なのか それともその全てなのか、ぐちゃぐちゃになった感情の波。

「…ごめんなさい…」



出ていく直前の月森の表情が今も鮮明に香穂子の胸に残る。
自分は彼を傷つけてしまった。
あんな顔をさせてしまった。

「ごめ…なさっ…」

打ち寄せる波は滴となって零れ落ちる。
思わず俯くと滴が床にポタポタと落ち染みを作った。
染みが増えていくにつれ、香穂子の体の力も抜けていく。
とうとう立っていられなくなりその場に崩れ落ちた。


皆に嘘をついて。
月森にあんな顔をさせて。
悲しむ資格もないのに今、情けなく涙して。


それでもどうしようもないくらい、音楽を手放すことが出来ない自分がいる。


どうしようもないくらい、彼に焦がれている自分がいる。



「…ごめっ………」


胸が痛い。

私は、音楽が好き。
ヴァイオリンが好き。

だけどね、誰にも言えない秘密があるの。


「…好き、なのっ……」

そう、こんなにも。


ずっと怖かった。
真実がばれる日が。
分かっていたから、否定されること。

貴方にだけは、ばれたくなかった。
貴方にだけは、否定されたくなかった。


だって。



「……っすき……」


好き。
好き。
好きなの。


誰よりも厳しい貴方のことが。



俄雨
(傘なんてない)
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