monopolize



わかりにくいですが学パロです。追記で説明的なことをちょろっと。









「なあ…キス、しようぜ?」

したい、とは言ってやらない。

甘えたような声でそう強請れば断られることなんてない、とわかっていた。上目遣いで切なげに見上げるとフレンが息を飲んだ。いつになったら慣れるのか…いや、せっかく誘っているのに無反応ではつまらない。こいつはこのままでいい、と口端を僅かに吊り上げ、笑う。そうするとフレンは『仕方ないね』と言ってユーリを引き寄せ、顔を傾け瞳を閉じて――
そこで必ず、はたと動きを止める。ユーリとのキスを邪魔する、あるものの存在に気付くのはいつもここだ。本当はすぐにでもユーリの唇を塞いでその形を、柔らかさを確かめ、キスの雨を降らせてユーリが形ばかりの抵抗をする姿を見たいのだ。誘いを掛けたユーリが余裕をなくすまで何度も、何度も……。

フレンの手が自らの目元に伸び、キスを邪魔するもの――眼鏡を外し、ふるり、と軽く頭を振った。陽光を思わせる柔らかそうな金色が揺れ、澄んだ蒼が輝いている。レンズ越しに見るのとは違う、鮮やかな色彩。それが自分だけのものだと感じるこの瞬間が好きで、ユーリは目を細めた。背筋を駆け昇る感覚に小さく震える。感覚の正体は『優越感』。今この時だけは確実に目の前の蒼を独占している、と思うと嬉しくてたまらなかった。

「眼鏡、なんで外すんだ?」

キスの度に訊ねるユーリに、フレンもまた同じ言葉を返すのが決まりだ。しょうがないな、と前置きしながらも唇は笑みを浮かべていた。
この唇が、今から自分のものになる。
待ち切れず伸ばした腕をフレンの首に絡ませると、フレンの腕がユーリの腰を強く引き寄せながら耳元に囁いた。

「もっと近くで、君を見ていたいから」

だったら最初から外しとけば?
心にもないことを言ってみる。わざとらしく吐き出された吐息が前髪を揺らし、目を閉じた隙に唇が重ねられた。
澄んだ蒼が自分だけのものだと思える、その瞬間こそがユーリにとっての喜びだった。

――ある日からその喜びが半減したことに、フレンは気付いているのだろうか?
二人だけの…自分の前でだけ見せる姿を独占したいと思う気持ちは、きっと同じはずなのに…



「ユーリ…キス、してもいい?」

返事を待つことはしなかった。
フレンの腕に抱かれて顔を上げたユーリが、じっと見つめ返す。近くで見れば薄く紫の挿す虹彩に、吸い込まれそうな瞳とはこういうのを言うんだろう、と思う。
本当の色を知ることができるのは自分だけだ。
他の誰も、こんなにすぐ傍でユーリの瞳を見ることなど出来ない。
レンズ越しに見る瞳はそれでも鮮やかで、心惹かれてやまない。だから『それ』の存在を――キスを邪魔する眼鏡を、外すことを忘れてしまう。深く深く唇を合わせ、頬を寄せるには少しの距離すらもどかしい。逸る気持ちを悟られないよう眼鏡を外すといつもユーリは満足そうに笑って、それから待ちわびたようにフレンの首に腕を絡めて鼻先をすり寄せ…唇が触れるその瞬間まで、フレンの瞳から視線を外すことはなかった。


今、キスを邪魔するものは何もない。
…そう、何も。
それなのに、目の前のユーリはフレンからすい、と眼を逸らしてつまらなそうにしている。甘えたように腕を伸ばすことも、満足そうに微笑むこともない。その理由は――いや、これは本人から聞き出さなくては。

「…どうしたんだい?」

覗きこむようにしてみればやはりフレンの瞳を見つめ返すが、いつものような笑みを浮かべるでもなくただ黙っている様子に首を傾げると、黙ったままでユーリが瞳を閉じた。キスの前触れとでも思ったのだろうか。

「………」

「ユーリ」

そのまま遠慮なく頂いてしまってもよかったが、唇が触れる寸前でもう一度名前を呼んでみる。ゆっくりと開かれた瞳に映り込む自分の顔は、どうしてだろう…笑っているように見えた。

「…なんだよ。キス、しねえの?」

「君が不満に感じていることの理由を教えてくれないか」

「不満?別に…」

「あるんだろう?」

息がかかるほど近く、その距離は変えずに尋ねる声はとても穏やかだ。ユーリが答える気になるのを静かに待っていると、やがて諦めたように小さく零された吐息がフレンの唇をくすぐった。

「…眼鏡、なんで外したんだ」

子供のように唇を尖らせ、拗ねたようにユーリが言う。しょうがないなあ、と呟くとユーリはますます眉を寄せ、不機嫌を隠そうともせずにきつめの視線をフレンに投げ掛ける。僅かに細められた瞳の中で、やはりフレンは笑っていた。

「もっと近くで、君を見ていたいから」

お約束の言葉を返す。
最初から外しておけばいいと言ったのはユーリだろう?とついでに付け足すとユーリはいよいよ憮然として、やや乱暴にフレンの髪に指を潜り込ませると力を込め、よりいっそう顔を近づけて言った。

「そういうのは、オレの前だけでいいんだよ」

フレンが思わず吹き出す。その息にくすぐられて一瞬だけ閉じられた瞼に軽く口付け、唇が離れると同時に開いた瞳をまっすぐに見つめた。そのままユーリの唇と自分のそれとを重ね、ユーリが瞳を閉じるのを見届けてからフレンもゆっくりと目を閉じた。


やっと慣れてきたコンタクトレンズは早くもお役御免のようだ。
綺麗な瞳を見るための手間が省けてよかったのにとうそぶくフレンを横目に、その手間があるからこそだろ、と言ってユーリはいつも通りの笑みを口元に浮かべるのだった。
▼追記

花咲く場所で逢いましょう

生を全うした後の二人のお話。 








おまえはゆっくりでいいからな
わかったか?
その顔で来たら、ただじゃおかねえぞ
…わかったらほら、もう、泣くな――




ゆっくりと瞳を開くと、目に映る景色にフレンは穏やかな笑顔を浮かべた。
辺り一面に舞う花びらが視界を覆う。その花霞の中で佇んでいると、遠くから誰かの呼ぶ声がした。
はっきりと聞こえずとも、それが誰の声なのかわかった。きっと、ここには彼しかいない。
どこだろう?
――早く会いたい。
思えば随分と待たせてしまった。怒られるだろうか。いや、むしろ褒めてもらわねば割に合わない。
急ぐな、と言ったのは彼なのだから。

「フレン」

今度はすぐ後ろで声がした。
ああ…この声で名前を呼ばれるのも久し振りだ。
瞳を閉じ、感慨に耽るように俯いた。口元には笑みを浮かべたまま、静かに振り向いてそのまま目を開けると――
懐かしい友の姿が、あの日のままでそこにあった。

「…やあ、ユーリ。やっと会えた」

柔らかな光を透かして薄紫に輝く瞳。
長い黒髪が揺れ、狂ったように舞い散る無数の花びらが幾重にも重なりながらその上を滑り落ちていく。
薄い唇が僅かに開き、紡ぎ出される声にこの上ない心地好さで全身が満たされるのを感じた。

「久し振りだな、フレン。こんなに待たされるとは思わなかったぜ」

しかし言葉に責めの色は感じられない。腕を組み、楽しそうに笑うその顔がとても幼く見えたのは…こうして再び逢うまでに過ぎ去った年月のせいだろうか。

「君に言われたことを忠実に守っただけだよ」

「…だいぶ貫禄出て、良い感じになったんじゃねえか?」

「そうかな…本当はもう少し頑張るつもりだったんだけどね」

フレンの頭にユーリが手を伸ばし、髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回す。

「うわっ…!やめてくれ」

白いものが混じっていた髪の毛は途端に鮮やかな金色を取り戻し、鬱陶しそうに顔を上げたフレンは目の前の友人と変わらない年頃の姿となって、困ったような表情をした。

「ま、合格点はやってもいいと思うからもっと胸張れよ」

「本当かい?…ありがとう」

「…そのままでよかったのに」

「ちゃんと見せたんだからいいだろ?ずるいよ、君はちっとも変わらないのに僕だけなんて」

「そりゃ仕方ねえなあ…」

髪を翻して歩き出したユーリだったが、すぐに立ち止まるとその場に腰を下ろしてフレンを手招きした。向かいに座ったフレンに小さな盃を差し出し、笑う。

「とりあえず、再会を祝して」

「祝うようなことじゃないけどね」

「固いこと言うなって」

本当に、君は変わらない。
合わせた盃に口を付け、小さく呟く。ユーリは穏やかにフレンを見つめるだけで、何も言おうとはしなかった。

ユーリと再会できたら、言ってやろうと思っていたことが山ほどあった筈だった。
それが今では何も思い出せず、言葉が出てこない。目の前にユーリがいて、笑っている。こんなに屈託のない笑顔を見るのはいつ以来だろう。きっと彼は満足しているのだ。今ならそれがわかる気がした。

「思い残したことがあるか?」

心の内を読んだかのようなユーリの言葉に、特に驚きはしない。何故なら、おそらく彼はずっと見ていただろうから――

「さあ…どうだろう。あるような気もするし、ないような気もする」

「心残りがあると、いつまでも『ここ』から進めないぜ。なんでも話せよ、聞いてやるから」

「うーん…」

やり残したことなら確かにある。だがそれは自分がいついなくなっても問題ないようにしてあったし、周りもそのことは承知している筈だ。丸っきり心配していないと言えば嘘になるが、きっと大丈夫だろう。自分は彼らを信じて託すだけなのだ。

「今さら隠す必要ないだろ?」

意地悪く笑うユーリに、フレンはむっと唇を尖らせた。そうだ、どうせバレている。ずっと胸の奥底に沈めていた想いを、やっと言える時が来た。相手がもうそれを知っていると思うと、ほんの少しだけつまらないが…

「好きな人がいたんだ」

「へえ?」

「でも結果的に失恋した。そのせいでとうとう結婚できなかったよ。それが心残りと言えば心残りかな」

ユーリは小さな盃を指先で弄びながらフレンの話を聞いていたが、ふと動きを止めてフレンを正面から見据えて言った。

「…違うだろ?」

いつからだろう、この視線を受け止められなくなったのは…。
そう、本当に言いたいことはたったひとつだけで、その一言をいつか伝えたいとずっと思い続けていた。
敵わないな、と呟く声が僅かに熱を帯びたようだった。

「君のことが好きだった」

「そうか」

「気付くのが遅すぎて、何も伝えられなかった」

「…そうか」

本当の気持ちを伝えたい相手はもうどこにもいない。その事実に愕然として、人知れず涙を流した。少しずつ気持ちの整理は出来ていったが、想いは変わることはない。何度かあった出逢いも最終的にはその想いを超えることはなく、結局こんなところまで引きずっているのだからどうしようもないと笑うしかなかった。

「勿体ないよなあ、全く。良さそうな相手もいたのにさ」

「仕方がないさ、理想が高くなりすぎたんだ。君以上のひとがいなかったんだから」

「オレのせいみたいな言い方するの、やめろよな」

「君のせいだよ」

「……」

君のせいだ、と繰り返すフレンは今にも泣き出しそうに見えた。
ようやく伝えることができた想いは、もう決して叶わない。俯くフレンの頭をまたぐしゃぐしゃとやりながら、ユーリが優しく囁いた。

「ありがとな、フレン」

「…ずるいよ」

駄々をこねる幼子をあやすように、ユーリは黙ってフレンの髪を撫でるだけだ。フレンは目を閉じ、されるままにしばらくそうしていたが、ふとユーリの指先の感触が消えて顔を上げた。

ユーリは立ち上がり、花びらの舞う中で一点を見つめていた。フレンにはその先が見えない。だがわかってしまった。
そろそろ、時間だ。

「さて…。オレはもう行かなきゃならない」

ユーリはずっと待っていてくれた。心残りが自分だと思うと少し申し訳なく思ったが、ならばそれはもう解消されたということなのだろう。
だが、やっと会えたのにもう…と思うと切なく、つい余計なことまで言ってしまう。

「返事は聞かせてもらえないのかい?」

歩き出していた背中に向けて問いかけると、足を止め振り向いたユーリがわざとらしく肩をすくめて見せた。逆光で表情は見えない。でも想像はできた。
きっと彼は呆れたように瞳を細め、小さくため息を吐いているに違いない。そしてあの皮肉っぽい笑みを唇に浮かべているのだろう。

「返事は、次があればその時にしてやるよ」

どこか楽しげな声に、フレンはやれやれと天を仰いだ。あんなに降り注いでいた花びらも今はもうどこにもない。視線を戻し、霞む視界の中で遠ざかって行く影に向け、言った。

「また会おう、ユーリ。その時を楽しみにしているよ」


言葉は光に吸い込まれ、届いたかどうかわからない。
彼は都合の悪いことはすぐ忘れてしまうから、自分が絶対に思い出させてやらなくては。

きっと会える。その時こそ、もう一度あの言葉を伝えよう。

緩やかに溶けてゆく意識の中、最愛の面差しを強く、強く魂に焼き付けるように――

薄紅色をした小さな花弁が、ゆっくりと流れて落ちる。
フレンは手の中に握りしめたひとひらを胸に抱き、満ち足りた笑顔のまま静かにその瞳を閉じるのだった。
▼追記

猫の日。

フレユリ、2月22日は…ということで。








僕の恋人は、いつから猫になったんだろう。


「…あんまりジロジロ見るな」

不機嫌さ丸出しの声に、逆に笑ってしまう。
ますますユーリの表情は険しくなり、それこそ猫のように瞳を細めて僕を睨みつける。

…すまない。迫力に欠けることこの上なくて、笑いが止まらないよ。
ああ、馬鹿になんてしていない。
とても可愛らしいから、そんな君の姿を見ることができて楽しいだけなんだ。

いつもの格好、見慣れた横顔。綺麗な黒髪。
その黒髪をかき分けて、ちょこんと顔を出した耳。
それはユーリ自身の耳などではなく、猫の耳だった。
あまりに馴染んでいるものだから一瞬驚いたもののよく見ると当然それは作り物で、控えめな大きさの黒い猫の耳がついたカチューシャをユーリはつけていた。

「あいつら…!いくらなんでも、なんだってオレがこんなこと…!!」

憤懣やるかたないといった様子のユーリだけど、それは君にも責任があるだろう、としか言い様がない。
以前、これと同じようものを見たことがある。ウサギルド、だったかな。ウサギの可愛さを世に知らしめるとかなんとか…。
そのギルドの活動に協力して、報酬としてもらったものがいわゆる「うさみみ」というやつで、ユーリは随分とつけるのを嫌がっていたな。
そういえば僕のぶんもあったけど、どこにやったか。
それの猫版とでも言えばいいのか、とにかく同じように猫の可愛さを世に…という依頼を受けて、結果こんな姿を晒しているらしい。
ウサギルドと違う点は、最初からこのねこみみをつけなければならないというところだ。
よもやこんなことになると思わなかったユーリは断固拒否したが、受けた依頼を遂行しない訳にはいかないから渋々言うことを聞いた、ということのようだけど。
妙なところで義理堅いのは変わらないね。とてもいいことだ。

「宣伝する人数が多いほどいいからってなんの説明もなしに勝手に話を進められてたんだよ。冗談じゃねえっての…」

説明したら断るか逃げるかのどちらかだからじゃないか?
僕の言葉にユーリは渋い顔をした。同じことをもう言われているんだろう。誰にだってすぐわかることだよ、きっと僕でもそうする。

「…とにかく、日が落ちるまで邪魔するぜ。こんな格好で表を歩けるかってんだ」

それじゃ宣伝にならないだろう?きちんと依頼をこなしたとは言えないんじゃないか。
しかし僕はそれをユーリに伝えはしなかった。

窓枠に腰掛けてふてくされるユーリの前に立ち、その耳―本物のユーリの耳へと手を伸ばす。
柔らかい感触を楽しみながら耳朶を擽るように指を滑らせると、ユーリが煩そうに頭を振った。
本当に猫であるかのような仕草は、無意識なのか…?
髪の間に指を入れ、手櫛で少しいじってやると耳が隠れて見えなくなった。不思議そうな顔で僕を見上げるユーリに笑いかけると、薄紫の瞳がまた少しだけ細くなって見返してくる。

「何やってんだ…。外してくれんのか?これ」

まさか。
半歩下がった僕を、視線だけでユーリが追う。不機嫌そうな『黒猫』の頭についている耳が窓からの風に毛を揺らし、僕に錯覚を起こさせた。

鳴いてみて?

この可愛い黒猫は、どんな声で鳴いてくれるんだろう。
僕だけが知る、少し高い声で鳴くんだろうか。それとも……
じっと見つめる瞳が瞬き、次に伏せられて睫毛が薄紫の中に影を落とす。口元は笑っている。もしかして、応えてくれる…?
そうして唇が開き、零れたのは――

「…やなこった」

思わせぶりな沈黙の後の、完全な拒絶。まあ、想像はできていたことだ。
何故か楽しげな様子のユーリを、じゃあ鳴かせてやろうとその身体に腕を伸ばした。
けれど彼は僕の腕の中に閉じ込められる前にするりと身を躱し、立ち上がって僕を見下ろしていた。

「やめやめ。やっぱ他のとこ行くわ。妙な遊びは趣味じゃない」

外はまだ明るい。恥ずかしいんじゃないのかい?

「ここにいても恥ずかしい真似させられそうだしなあ。足腰立たなくされても困るんだよ、今日の夜には戻らなきゃなんでな」

本物の猫のように抱いて連れて行ってあげようか。

返事の代わりに鼻を鳴らし、僕に背を向けてひらひらと手を振るとユーリは窓の外へと消えた。


僕の気まぐれな黒猫は、簡単には懐いてくれないようだ。
今度は甘い餌を用意して待っていよう。

次は逃がさないようにしないとね…。
▼追記

傍にいてほしいひと

フレユリ・体調を崩したユーリのお話。






頭が痛い。全身が怠くて重い。
思うように身体は動かせないし、身体中の関節が軋んで悲鳴を上げているようだ。

少し前から不調を感じてはいたものの、『まあ疲れてるんだろう』ぐらいにしか思っていなかったので放置していたらこのザマだ。倒れて下町の宿――箒星に担ぎ込まれ、医者からは呆れられた。渡された薬のあまりの不味さに余計気分が悪くなった…なんてことはさすがに言うわけにはいかない。子供ではないのだから。


「子供より質が悪いわね」

溜め息混じりの声は少し非難の色を含んで頭上から落とされ、憂鬱な気分を更に深くさせた。悪気は…多分にあるのだろう、それが彼女の性格だ。

「…もうちょっと優しい言葉をかけてくれてもいいんじゃねえの」

「さんざん手間を掛けさせておいて、何を言っているの?大変だったのよ、あなたをここまで運ぶのは」

「……わり」

「ジュ、ジュディス…もうそれぐらいにしてあげてよ。でもユーリ、心配したんだからね!あんまり無茶しないでよ!」

「わかったよ…。悪かったな、カロル」

一人の時でなかったのが幸いなのかどうかわからないなと思いつつ、それでもユーリは素直に礼を言った。迷惑を掛けたのは確かだからだ。同じギルドではあるが、3人揃って活動することはそれほど多くはない。今回はたまたま、このメンバーで依頼を受けていたのだ。その最中にユーリは体調を崩し、現在の状況に至るというわけだ。

「とにかく!依頼の方は報告するだけだし、治るまでちゃんと大人しくしててよね、ユーリ」

「はいはい…」

どうせここに戻って来た時点で体調のことについては下町の皆に知れ渡っているし、下手なことはできそうにない。特に抜け出す理由もないし、少しのんびりするのも悪くないとは思っていた。
薬が効いてきたのか、既に返事をするのも億劫になるほどの眠気が襲ってきて目を開けているのが辛い。カロルがユーリにゆっくり休んで、と言って毛布をかけ直し、ジュディスはそんな二人を見て口元に柔らかい笑みを浮かべていた。

「ほんと、うちの首領は優しくて頼りになるわね?ユーリ。…それじゃ私たちはこれで。行きましょ、カロル」

「うん。じゃあねユーリ!こっちに顔出すのは元気になってからでいいからね」

部屋を出て行くカロルに手を振るユーリの様子を窺うように振り返ったジュディスが、何やら思案顔をしていることには誰も気付いていなかった。




(……あつい……)

何度か目覚めては浅い眠りを繰り返していたような気がする。

薄く開けた瞳に映る天井は色彩がぼやけて滲み、元から明るいわけでもない部屋が余計にくすんで見えた。
熱で全く働いていない頭でぼんやりと『どれぐらい寝ていたのか』とか『汗が気持ち悪い』などと考えていると、何やらすぐ隣で物音がした。そちらを見たくても首すら動かせず、僅かに焦る。

(誰だ?箒星の女将さんか、それともテッドが様子でも見に来たか。でもそれならもっと騒がしいに違いない、下町の奴らはオレに容赦ないからな…)

と、なると一体誰なのか。ギルドの一員として仕事をするようになってからはここにはあまり戻ってくることがないが、それだけにいると知ればわざわざ顔を見に来るような知り合いもいる。だがその知り合いにしても寝込んでいるユーリの傍で大人しくしているような者は少ない、気がする。そもそも騒がしくするような連中はさすがに女将が部屋に行かせないだろう。
身体が不調のせいか、思考が悪い方へと傾いていく。
人様に恨まれるような生き方はしていない、などと言えるような人生とは言い難い自分の行いを思えば、文字通り寝首を掻こうと思っている人間だって――

「あ、起きたかい?」

「……」

「ユーリ?」

ユーリは一気に全身から力が抜けるのを感じていた。とても覚えのある、忘れようのない声。でも、その声の持ち主が今ここにいるのは不自然なのだ。何故、誰がこいつに…と考えたのも一瞬で、思い当たる可能性はそう多くもない。それでも一応確認をしようと、ゆっくりと顔をそちらへ向けると…

「やあ。気分はどうだい?」

手にしている本のページを繰る指を止め、ユーリに笑いかける表情はどこか不自然で、声も心なしか刺々しい。こいつもか、と思いつつ、ユーリは深々と息を吐いてその声に答えた。

「気分、いいように見えるか?フレン」

「全くもって見えないね。一応ノックはしたけど反応はないし、部屋に入ってもぴくりともしないしで…死んでるのかと思ったよ」

「そいつはどうも」

「で、なんでこんなことになってるんだ、ユーリ」

「こんなこと?そりゃどういう…」

フレンはユーリが目を覚ますまで読んでいたのであろう本をぱたりと閉じ、傍らのテーブルにそれを置くと殊更ゆっくりとした動きでユーリに向き直った。

「…たまに戻ってきたかと思えば…」

「え、おい…!?」

驚くユーリに構いもせず、フレンはベッドに自らの上半身を乗り上げるとユーリに覆い被さるようにして、その顔を真上から見下ろした。一応『病人』に対しての配慮のつもりなのか、身体を重ねて来ようとはしない。ユーリの両手をまとめて動きを封じることもせず、ただ顔の横に手をついてひたすらじっと視線を落とすだけの表情から感じるのは、静かな怒り。耳元でぎしりとベッドの軋む音を聞きながら、ついユーリはフレンから視線を逸らした。

何故怒っているのかなんて聞けない。

「いつから体調が悪かった?どうしてこんなに悪化するまで放っておいたんだ」

ほら、思ったとおりだ。
とてもではないが口には出せなかった。下町に帰ってきたのは失敗だったかとさえ思ってしまう。もし倒れたのが下町以外の他のところの近くでさえあれば、こんな状況にはなっていないだろう。

『誰か』がわざわざフレンを呼びに行ったとしても、そうそう来れるものではないはずなのだ。

(いや、待てよ…。もしかしたらそのまま連れて戻ってくる可能性もあるか…移動手段はあるんだからな)

空を飛ぶ大きな友人のことを思い出した。自分達のギルドの所属というのとは少し違うが。

「ユーリ?聞いているのか」

「聞いてるよ、病人相手に乱暴だな。…ジュディか?」

「…なに?」

「おまえにオレのこと伝えたの、ジュディじゃないのか?」

「ああ、その通りだ。驚いたよ、まさか君以外の人間があの窓から訪ねてくるなんて」

窓。フレンの私室の窓のことに違いない。日頃、自分がフレンに会いに行く時にどうしているかという話をジュディスにしたかどうかユーリはよく覚えてはいなかったが、聞かれて答えたことはあったかもしれない。何もユーリにしか使えない手段というわけでもないし、身の軽いジュディスなら同様に忍んでいくことなど造作もないだろう。

「ジュディも案外お節介だな」

「それだけ君のことを心配してるんだろう、彼女も。…いつまでたっても無茶をする君のことを、叱ってやってくれと言われたよ」

「なん…だ、それ」

「自分が言っても聞かないから、と」

「………」

言葉が出なかった。余計に熱が上がったような感覚に、思わずユーリは口元を抑えていた。呻き声が出てしまうほどの恥ずかしさがどこから来るのか、あまり考えたくない。フレンの両手が顔のすぐ横にあるせいでシーツに顔を埋めることも出来ず、ユーリはこれ以上は無理だというほど首を捻ってフレンの視線からひたすら逃れるしかなかった。

「だからと言う訳じゃないけど、本当に君は…動けなくなるまで無理をして、そのほうが周りに迷惑をかけるんだってことぐらいわかってるだろう」

「なんかいきなりだったんだよ…怠ぃな、って思ってたら急にこうなっちまったんだから仕方ねえだろ。ジュディと言いおまえと言い、ほんと容赦ねえな」

「それだけ疲労が溜まっていた、ということじゃないのか?ちゃんと食べて休んでるのか怪しいな」

「おかげさんで忙しいけど、休む間もないってほどでもねえよ。食事なんてむしろ今のほうがしっかり――」

「本当に?」

フレンの声が柔らかくなり、ユーリはつい視線を戻してフレンを見上げていた。その表情にはもう怒りの色はなく、ただ頼りなさそうに眉を寄せ、唇を引き結んでユーリをじっと見つめているだけだ。
心配は行き過ぎればそれを理解されないことへの怒りとなり、それすら通りすぎてしまうと最終的に残るものは『不安』でしかない。

(いつまでたっても無茶をするのは、お互い様じゃねえか…)

どうやって城を抜け出してきたのか考えると、それこそ呆れて溜め息の一つも吐きたくなる。こんなところで悠長にしている余裕などないはずなのに、ユーリのこととなると時折フレンは周囲を驚かせるような行動力を発揮してしまう。だいぶ落ち着いたかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
むしろ今のほうがその傾向が強いのかもしれない、とユーリは思う。それは間違いなく互いの関係がとある方向へと変化した時からだというのはわかっていたが、さてそれがいい事なのかどうかと考えると甚だ疑問だ。
特に、こんな状況の時はそれを強く思わずにはいられなかった。

「…ユーリ、何を考えてるんだ?」

「あ?別になんでもねえよ。わざわざ見舞いに来てくれてありがとよ。…悪かったな、心配かけて」

「なんだか伝わって来ないな…」

「どうしろってんだ。それとおまえ、いい加減どかねえ?一応病人なんだけど、オレ」

どうやら薬は完全に効果が切れたらしく、明らかに熱が上がって来ているのがわかる。気丈に振舞って会話を続けるのもそろそろ限界で、呼吸が乱れて苦しい。
説教なら快復した後でいくらでも聞くから、今は寝かせてほしい――。素直にそう思った。

「…すまない、調子に乗って意地悪を言いすぎた」

「いや別に…」

漸くフレンが身体を起こした。椅子に戻るのかと思いきや、汗で頬に貼り付いたユーリの髪を優しく払って首筋に手をやったまま動きを止めた。フレンの次の行動の予測は容易にできて、とりあえず逆らう気はなかったのでユーリは黙って目を瞑った。

ほんの少しの沈黙の後、唇に柔らかいものが触れる。
温かいそれははじめ遠慮がちに重ねられ、徐々に深く合わされてユーリの呼吸を更に不規則なものにさせた。苦しさだけではない、甘さを含んだ吐息が嫌になるほど自分の耳に響くのを感じながら、ユーリはフレンの頭を引き寄せて更に深い口付けを求めていた。

熱のせいだ。
身体が熱いのは当然で、荒い息遣いも何もかも熱があるから。
妙に人恋しくて、触れたら離し難くなってしまったのもそのせいだ。
心配されて嬉しいなんて思っていない、そんな面倒な感情は持ち合わせていない――

「ユーリ…ずるいよ」

「は…、なに、が…」

「これ以上は…わかるだろ、今はさすがに駄目、だ」

フレンの理性は、欲望との均衡がかなり危ういギリギリのラインで保たれているに違いない。箍を外すのは簡単そうだったが、それではさすがに自分自身も壊されかねないな、とユーリは思う。

「仕返しだよ」

「仕返し…?」

「みんなして病人に冷たくしやがって…心配するならもっと素直に優しくしてくれよな」

拗ねた子供のような物言いにフレンが目を瞬き、小さく吹き出した。

「なんだか…君のこんな姿が見られるなら、もう少しこのままでもいいかと思ってしまうな」

「鬼かおまえ…オレはごめんだ、なんか調子がおかしい」

「ふふ、そうだね。早く元気になってもらわないと僕も困る」

フレンは水差しからグラスに水を注ぐとそれをテーブルに置き、傍らから薬を取り出してユーリに手渡した。あの不味さが口の中に甦り、まだ飲んでもいないのに顔を顰めるユーリを見てまた笑う。

「ユーリが起きたら必ず飲ませてくれと言われていたんだ。とても嫌そうにしていたから、放っておいたらきっと飲まないだろうって」

「ほんとに余計なお世話だな…。ガキじゃあるまいし、薬ぐらい普通に飲むだろ」

「その割には動きが止まってるようだけど?まあ、どうしても嫌だと言うなら無理にでも飲ませるだけなんだけど」

ユーリは敢えてフレンの言葉を無視すると、のろのろと身体を起こしてテーブルの上のグラスを取った。薬を口に放り込み、そのまま一気に水で流し込む。出来るだけ味わわずに済むようにしたつもりだったが、やはり舌に残る後味の悪さといったらなかった。笑いながらその様子を見ているフレンを横目に、再びベッドへと身体を沈ませる。
もう動きたくない。動けない、と言ったほうが正しいか。

「はあ…。なんか余計な体力使ったせいで疲れたぜ…。もう寝させてくれよ、治るもんも治らねえ」

「僕のせいみたいな言い方はよしてくれ、自業自得だろう。ゆっくり寝て、早く元気になって欲しいと思ってるのは僕だって他の皆と同じだよ」

「それはいいんだが…おまえ、いつまでここにいるつもりだ」

「君が眠ったのを見届けたら戻らせてもらう。僕のことは心配しなくていい」

「ったく…好きにしろ」

瞳を閉じればすぐに眠気はやって来た。
意識が完全に夢の世界へと堕ちる直前、フレンの声が聞こえたような気がする。


(体調が元に戻ったら、好きなだけ甘えさせてあげるよ)


ぼやけた意識の片隅で聞いた言葉に、何を言ってるんだと胸の底で悪態をつくのが精一杯だった。




―――――
終わり










▼追記

風花・3

「随分とおとなしいね?」

フレンがわざとそんなことを言うと、ユーリは毛布の中で更に姿勢を崩して深々とため息を吐き出した。

「話があんなら聞いてやるから、さっさとしてくれ。何のためにオレを付き合わせた?何か言いたいことがあるんじゃねえのか」

「そうだね…」

言いたいこと。
それなら山のようにある。確かに、そのためにここまでユーリを引っ張って来たようなものだった。
黙ってフレンの言葉を待つユーリの横顔は依然として不機嫌そうなままで、その理由がフレンにはなんとなくわかる。寒空の下を連れ回され、今このように『誰かに見られたら』多少気まずい思いをするような状況だから…というだけではない、と。

「…ユーリ」

「なんだ」

「僕に対して、余計な気を回すのはやめてくれ」

静かに、だがはっきりとフレンが言う。ユーリは黙ったまま空を一度見上げ、瞳を閉じ、深呼吸をするかのようにゆっくりと息を吸い込み――

「…そうか」

同じだけ時間を掛けて吐ききった後、一言だけ、呟いた。
ふわりと流れる白い吐息と共に消えゆきそうな呟きすら聞き漏らしようのない距離にいて、触れる身体の温もりも確かに感じられるのに、自分達の間には見えない壁がある…。その壁はいつからかユーリが作り、壊そうとする度に逃げられる。フレンはそう思っていた。
久しぶりに会えたことに喜ぶ素振りはこれっぽっちも見せず、離れて行こうとするユーリに苛立ち、寂しい。何故そんな態度なのか、わからなくはない。だが納得しきれず、いつか伝えなければとずっと考えていた。今を逃したらまた当分その機会がない気がして、フレンは敢えてユーリを見ないままで話を続けた。

「自分の立場をきちんと理解して、公私のけじめをつけることは必要だ。でも君の態度は…それだけじゃないだろう」

「………」

「僕にとって、君が大切な友人であることは何一つ変わらない。変わってないんだ。立場も何も関係ないところで気を使われるのは…正直、つらい」

「今がそうだって言うのか?」

「そうだ」

きっぱりと言い切った強気な口調とは裏腹に、フレンはそっと瞳を伏せた。

「…僕は君に、こんなことを言わなきゃならないのがとても……嫌だ」

「ふうん…」

「…気のない返事だな」

「そりゃまあな。くだらないこと言ってんな、ぐらいにしか思ってねえから」

「くだらない…」

「オレはおまえに気を使ってるつもりはないぜ?別に避けてるわけでもない。用があれば会いに行くし、なけりゃ行かねえ。それだけだろうが」

「それは…そうだけど」

「それに…」

言葉を切って黙るユーリを見ると、薄紫の瞳が真っすぐにフレンを捉らえていた。

「……っ」

思いもよらず真剣な眼差しに、フレンが息を呑む。直後にユーリの目元がふっと緩み、いつもの挑戦的で人を食ったような笑みに変わった。見慣れた筈の表情にどこか戸惑いを覚えながらも、フレンはユーリを見つめて次の言葉を待った。
僅かな静寂がとても長く感じられる中、一瞬強い風が吹き抜けた。乱された長い髪を鬱陶しそうに払い、ユーリが首を竦める。いつしかユーリの肩を滑り落ち、右腕に触れる程度になっていたフレンの指先がぴくりと動いた。寒いのだろうともう一度肩を抱こうとしたら、ユーリに手首を掴まれそのまま床に下ろされてしまいフレンは苦笑する。いい加減にしろ、とでも言いたげにじろりと見上げるユーリの表情の幼さにまた戸惑い、フレンはそっと自らの胸を押さえた。

(…なんだろう、この気持ちは…どうしてこんなに心がざわつくんだ…?)

「…フレン?」

フレンの様子に何か感じたのか、ユーリが声を落として名前を呼ぶ。優しく耳に沁み入る声にすら落ち着かなくなる自分自身に更に困惑しながらも、フレンは努めて平静を装うとユーリに笑いかけた。

「何だい?」

「いや、何ってそりゃオレのセリフだろ。どうかしたか?…つかなんで笑ってんだ」

「なんでも…。それより、さっき言いかけた続きはまだかな。ずっと待ってるんだよ」

「さっき?…ああ…さっき、な…」

ふう、と一呼吸置いてフレンを見たユーリは、にやりと口角を上げた。

「それに、オレは常日頃おまえに会いたいと思って生きてるわけじゃねえからなあ」

(あれ…?なんだかさっきと感じが…)

真剣な眼差しで自分を見つめ、何かを言おうとしていたユーリ。『いつもの』表情に戻ってもフレンはその笑みに惑わされ、心の奥底を波立たせた先程とは違う。今、隣で意地悪く笑うユーリからは何かを感じることはなく、代わりにフレンはどうにも喩えようのない敗北感を味わっていた。強引にここまでの状況を作り、距離の近さにいちいち不満気な顔をするユーリの態度を楽しんですらいたのに、今はどうか。現状に慣れてしまったのかユーリはすっかり落ち着いていて、フレンは自分の余裕の無さがどこから来るものかわからずに居心地が悪い。

(…なんだって言うんだ)

むっつりと押し黙るフレンを、ユーリはにやにやしながら見ている。

「…その言い方だと、僕がしょっちゅう君に会いたがってるみたいじゃないか」

「その通りだろ?次はいつ会えるーだの、来るなら連絡くれーだの、たまに会うとそればっかじゃねえか。前からそんなだったか?最近酷くなった気がするのはオレだけか」

「たまにしか会えないから、その時間を大切にしたいんだよ。なのに君は…」

「なんでかわかるか」

「え?な、なに?何が」

「会わなくてもわかるからだよ」

唐突な問いかけに驚いて目を瞬かせるフレンに構うことなく、ユーリが続けた。視線を空に向け、独り言のように、自分で自分の言葉を確認するように静かに語るユーリからフレンは目を離せないでいた。

「オレがどこで何してようと、おまえには関係無い。誤解のないよう言っとくが、関係無いってのはおまえのやろうとしてることに何の影響もないって意味でだ。オレがギルドで依頼されて人捜ししたり失せ物探ししたり、どっかの町で井戸掘ったりして、それでおまえの何かが変わるわけじゃねえよな」

「…?すまない、言っている意味がよくわからないんだけど…」

「まあ聞けよ。で、おまえのほうはどうかって話だ」

「僕?」

「そう。騎士団長として、おまえが何かすればそれはすぐにこっちに伝わってくる。喜べよ、今んとこそんなに悪い話は聞いたことねえから。だからオレはおまえに会う必要はねえし、なんの心配もしてない。頑張ってんなとは思うが、それだけだ。おまえのほうにオレの話なんか伝わんねえだろうけど、そりゃ当然だろ?新興ギルドのメンバーが何してるかなんて、いちいち報告する奴はいない。…それが何か問題でない限りは、な」

そこまで言うとユーリは両手を上げて伸びをし、はだけた毛布を手繰り寄せて欠伸をした。涙の滲む瞳でぼんやりと眼下に広がる草原を眺めるユーリの姿を見つめながら、フレンは複雑な思いだった。
便りがないのは元気な証拠…とでも言いたいのか。確かに、ユーリの行動を把握する術を自分は持たないし、それでも何かあれば知らせてくれそうな人物に心当たりもある。ユーリは自分のことを信頼しているからこそ『会わなくてもいい』と言い、話すこともないと言う。
しかし、割り切れなかった。常々抱えていた思いを今日は全て吐き出すつもりでいたが、いざとなるとうまく伝えられないことばかりで困る。ユーリの態度に思いもよらないところで動揺する自分のこともよくわからない。ただ一つ、ユーリからこちらに関わって来ることが以前に比べ格段に減ったことだけが、フレンの胸の中に時折小さな痛みを生み出すのだ。

「なんだか…寂しいね」

「何が」

「君が言ってるのは、会う必要があるかどうかについてだろう?…確かに、言ってることはわかる。それでも、時には会いたいと思うし会えば話を聞きたいよ。そういうものだろう?君にはそういうのが全くないのか?随分と友達がいのない話だな、と思ってさ」

「いつまでもそういうこと言ってねえで、他に友達作れって言ってんだよオレは。オレが他のやつと飲んでたからって拗ねてねえで、そういう相手を見つけたらどうなんだよ」

「…やっぱりわかってるんじゃないか」

ユーリを引き留めて付き合わせた理由は何もそれだけではないが、大元の原因はそこにあるようなものだった。きっと気付いているだろうと思っていたから図星を指されて恥ずかしいとも思わないが、あまり気分がいいものでもない。

「だったらどうして…」

「おまえがオレとつるんでるの見て、よく思わないやつもいるんだって自覚しろ。それがおまえの道の妨げになるのが面倒だと思ってるだけなんだよ、オレは…。あーあ、こんなことまで言うつもりなかったんだがなあ…眠くて頭が働かねえや」

「そういうところ、僕よりも君のほうが気にしてるよね。君こそ、自覚があるなら素行を改めたらいいんじゃないのか?それで堂々と城に来ればいい」

「なんでそうなるんだよ…それに今さら生き方を変えるつもりもねえし」

「…そうだろうね」

「そうだ」

そう、わかっていた筈だった。避けられているのではない。気を遣うというのとも違う。立場の違いを理解しているのは、自分よりも寧ろユーリだ。道を妨げたくないというのは気遣いではなく、本心から思ってくれている、ということも本当はわかっている。
だからこそ、話がしたかった。ユーリの口から本音が聞きたくて、それを確認したかったのだ、と改めてフレンは思う。

「そうか…」

繰り返し呟いて空を見上げたフレンの隣で、ユーリも同じように星を眺めていた。

「…わかった。ありがとう、ユーリ」

「またいきなりだな。何に対しての礼だ?ああ、おまえの見回りに付き合ってやったことか?それだったらもういいからさ、そろそろ戻らせてくんねえかな…さすがに眠ぃわ」

ユーリの言葉にフレンは首を振り、笑った。

「悪いけど、もう少し付き合ってもらうよ。さっきの礼は本心を聞かせてくれたことに対して、かな。少しすっきりしたよ、うん」

「はあ。そりゃよかった。…で、これ以上何に付き合わすつもりなんだ」

両膝の間に顔を落としてげんなりとするユーリに毛布を掛け直し、フレンはわざと勢いをつけてユーリの肩を抱き寄せた。ユーリはもう驚きもしない。ゆっくりと顔を上げた先で微笑むフレンを見ると深々と溜め息を吐き、膝を抱え込んで何やら唸っている姿はきっとフレン以外の人間はそう見ることはないだろう。

「もちろん、今日の見回りについての話だよ。まだ何も聞いてないからね、君の意見。それと」

「それと?」

「前に会ってから今まで、どんなことがあったのか。なんでもいいから聞かせて欲しい。面白い話の一つや二つ、あるだろ?君が僕に会いに来る気がないのはよくわかったから、この機会に是非聞いておかないとね。ここには僕と君しかいないし、何も気にしなくていい。夜が明ける前に戻れさえすればいいんだろう?まだ時間はある」

「マジかよ…」

「君の気持ちはとても嬉しいけど、これは今までのツケだと思ってもらいたいな。…さあ、何から話そうか…」


肩を寄せ合い、星空の下でとつとつと語る。はじめはこの街のことや、フレンが受け取った手紙の内容やそれに対しての考えについて―――フレンの質問にユーリが答え、それに頷き、時に首を振り、互いの思いを交換する。そのうち話が互いの近況のこととなり、騎士団とギルド、それぞれの現状を憂いたり喜んだりした。会わない時間が長かったぶん、いざ話し始めれば話題は尽きなかった。
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