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サスペンダー・クロス

非日常こそ日常だー!

という前口上。


最近は日常ブログが大変ご無沙汰だったので、だらりと語ります。


ええと。
これは厨二病乙すぎる、というような十字架のネックレスを見つけたので衝動買いしてしまいました。
写真が撮れないのでどんなものだったかは勘弁。

あとネックレスと言えば思い付いたんですが、皮紐みたいなネックレスを首輪代わりに引っ張りあげるのって果てしなく萌えます。


ついでにサスペンダーも買いました。

サスペンダーって着るのももちろん好きなんですが、見るのもショタっ子可愛いしボーイッシュ可愛いしで幸せです。胸部が大きめの方ならサスペンダーがずれちゃうのが至高だと思います。



まあ、そんな感じに。どうしようもないこと考えながら生きておりました。

夢日記×3

書き忘れが3つほどあったので書き出し。




ちょっと前に見た夢。


私は男になっている。リア友とすごくラブラブ。ちっちゃくて細い指の間に自分の指を差し挟むのが気恥ずかしかったけど、結局は恋人繋ぎをした。幸せすぎてヤバかった。

デートしてたらスプリンクラー的な機械に水をかけられたのでドライヤーで乾かす。
この時連れ歩くメンバーが4人になっている。私(♂)、リア友彼女、ムードメーカーな感じのチャラ男、私の元カノ(という設定の女の子)。
元カノはヤンデレで、今でも自分が私の彼女だと思い込んで、リア友彼女を殺そうとする。


場面が変わって、暗くて狭い廊下を歩く。壁際にはたくさんの扉が並んでいる。
そのうちの扉一つに「グロ50%」と書かれた貼り紙がある。その扉を開ける。
するとさっきのチャラ男が吐瀉物とピンクの液体にまみれて死んでいる。見て、つられて吐く。

で、一つ目は終わり。現実ではきちんと女でしたし吐いてもいなかったので安心しました。



次、この前の夢。


KHのサイクスと誰か(実力は弱いくせにとどめを刺すのが好きでサイクスに恋してる、黒髪で軽やかな人)が黒のもやもやな犬と戦っていた。
そこは木の蔓?つた?でできた、檻みたいに等間隔の隙間がある円筒型の場所。とても暗い。真ん中にも円筒がもう1つあって、底に光がある。

サイクスは何故かザルディンみたいな風の使い手。でも結局はその黒髪の誰かが犬を押し倒して、バシュッて存在を消していた。



かなり前の夢。


薬剤師(なりそこ雪ちゃんのラスのフードつき)みたいな格好した人が髪の長い姐さんと一緒にいた。地べたに座ってスイカくらいの大きさのグレープフルーツをスプーンでくり貫いて食べている。
薬剤師さんが姐さんに「本来は嫌なところもねちっこいところもあるはずなのに君はあっさりとそれを隠す、まるでカクテルサワーみたいだ」と言って口説いてた。

で、私は「それでこのタイトルはカクテルサワーなのかあ」と納得したところで目が覚めた。誰もタイトルなどつけていない。むしろカクテルサワーって何だ。

リョナについて

いじめられるより弄られたい!
面白い前置き募集中です、嘘だけど。

好きなweb漫画のキャラの名前が略すると「リョナ」になるとのことなので、まあせっかくだしちょっと思うところを語ってみます。
リョナを知らない人に解説。猟奇的自慰行為が語源で、対象が酷い目にあっているのを見てハァハァすること。
話題が話題なので、追記に隠しますね。

一応R18でお願いします。では。
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踊り食い狂う坊主(短文)

ずるずると伸びた川に沿って歩いておりますと私以外の者が足元の砂利を踏む音が致しましたので目をふいとやりまして、そこにはお坊様がしゃがみこんでおりまして、何やら川の中へ手を差し込み口を動かしていらっしゃる。何をなさっていらっしゃるのかと私が足をそちらへ向けますとお坊様も私に気づいたようで俯きがちの頭を持ち上げまして、なんとまあその口には生きたままの魚がはみ出てびちびちと身体を波立たせていた。私は何と申して良いのやらただぽつりと独り言のように、
「お坊様は殺生をなさってはならぬのではございませぬか。」と申し上げた。

するとお坊様がその小さくも無い魚を丸呑みして大きなげっぷをしたのちにようやく、
「これは天命である。」とおっしゃった。続けて、
「この魚は喰われて死ぬ天命であったので、我が喰らうてやった。」
とおっしゃったきり沈黙するのだから私もどうにも居心地が悪い。

「さすれば私の天命もおわかりになられますか。」
かろうじて場を繋ぐ質問をしたもののお坊様は私を眺めることも無く、
「我に他者の天命なぞわかるはずも無し。さらば。」とのたまって砂利を踏みしめあちらへと行ってしまわれた。
残された私は一人、あの魚より遅くここを訪れたことに感謝致しました。よいよい。

僕ボク私ね、だぁれ?(短文)

僕にはボクについて納得できることを持っていない。
客観的情報として納得できることはたくさんある。性別、外見、血液型、誕生日、戸籍、挙げていこうにも限りがないほどに。それでも、心からそれらに納得できるかと問われれば、答えは否。不満というわけではないのだが、ただただ実感が持てない。


例えば、自分の呼び方。それっぽく言うと、一人称、というやつだ。それがいまいち納得できない。私、あたし、僕、俺、全て自分のことを指すはずなのに、どれもが自分と切り離されている何かにしか思えなくなる。私が自分のことを私と言うだけで、その一人称が持つイメージに自分が左右されてしまう気がしてしまう。
女性なのにオレ、と言うと粗野で常識知らずなイメージ。男性なのにあたし、と言うと繊細で女装癖があるイメージ。偏見だらけなのは理解しているが、それでも持たざるをえない手垢塗れのイメージ。こんな風に、一人称というのはそれだけで何かしらの固有イメージを孕んでいる。それに個の自分が左右されてしまうのは耐え難い。だから、私はボクについて納得できる人称を持っていない。

たかが一人称で揺らいでしまう、あたしの自分性。
僕が僕でいることは、誰が証明してくれるだろう。
自分自身? 自分が自分を認めるべきなのか? 自分でも理解しがたい物を、どうやって。
自分がそこにいるだけで、僕は僕、私は私、それで納得できる人はとても幸せだ。あいにくと、甘ったれなことに、ボクには主体性と言う物が欠けている。

「将来の夢は?」
「なんだろうね」「訊かれても困るよ」
「行きたい場所は?」
「どこでも良いよ」「君の好きなところで」
「あなたが生きている意味ってなあに?」
「さあね」「今すぐ死んだって構わないのかもしれない」

風に弄ばれる木の葉よりも薄っぺらなアタシ自身。
認める、だなんて難しいこと。どうやって行うのだろう。手段はどこに落ちているのだろう。

「ボクは私を許すよ」
「あたしが自分を認めてあげる」


こうして言葉で紡げば良いのだろうか。けったいな書類でも書き残せば良いのだろうか。
ああ、違うだろう。そんなに単純で無味乾燥なものじゃないんだろう、認めるということは。私が私であると言うことは。

ふわり、ふわりと夢散する、ボクらしいワタシ。
泣きたくなるくらい先が見えない、確固たる自分へと続く道。
そうだ、ねえ、ああ、いっそ、
あなたのもとで、わたしはわたしになろうか。
そうだね、それがきっと、一番楽だね、そして虚しい。

そうして僕はあなたになった。
こうして私は君になった。
それだけだよ、それで終わり。
無理やり始まって、こじつけで終わる“自分”。
映し鏡としての人生は、何も残らなかった。
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