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レッテルでできたぼくたち

紙で指を切ると痛いよね。
そんな簡素な前書き。

さて。
HEROさんという方の描いた漫画「レッテルのある教室」(http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=11181067)を読んで、ふと発想したことを書いておきます。感想じゃないよ!


パーソナリティってありますよね。性格、性別、好み、色んなものひっくるめて個性。こういうものってレッテルに近いような気もします。
女だからどうこう。 男だからこうこう。子どもだからうんぬん。大人だからかんぬん。

そういう風に区切って無理やり枠に入れてしまう方が、他人を認識するうえで楽なのだろうなあとは思います。実際私もやりがちです。やーだね。悪い癖です。

私達はレッテルをはりつけられているというより、レッテルで構成されているようなものでもあるかもしれないとふと思いました。性格とか、嗜好とか、それらがないと「私」は「私」であるとは言えません。同姓同名が成り立つのは、個性やアイデンティを重視したい人間同士で、「同じ」ことが成り立つのは、そういうレッテルがたくさん寄り集まっているからだと思うのです。

A=女 B=女 ただしA=Bにはならない。
それはAさんとBさんにそれぞれ他のレッテルがあるからですね。逆に言えば、複数のレッテル全てが同じであれば同一人物が成り立ちます。

こういったようにして、私達はレッテルを貼られているのではなく、むしろレッテルの集合体なのではないかと思いました。


外見や性格、たった一つのレッテルを取りあげてテンプレートに当てはめてしまいがち。それで相手を理解しているなどとは笑止。
細かい好みや性格を把握してもらえることも嬉しいですが、最終的には、レッテルの集合体である私=全体像を見てもらいたいですねえ。
少なくとも私は、私と関わって下さる方を、その人自身として、捉えられるように。1枚のレッテルに惑わされないようにしようと思いました。はい。


超久々の更新がどうにも相変わらずまとまりがないですが。
以上、発想メモでした。
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