因幡の涙(詞)

嘘つき兎 死んじまった。
因幡の仲間がわあわあ泣いた。

「ああなんてお馬鹿な子!あたいだったらもっと上手に大嘘ついてやるのにねえ!」
因幡の仲間は大笑い。笑い過ぎたら涙がぽろり。

「ああなんてお馬鹿な子!あいつが消えてせいせいすらあ!」
因幡の仲間は大喜び。嬉しすぎたら涙がぽろり。

「ああなんてお馬鹿な子!これじゃあ暇がつぶせやしない!」
因幡の仲間は大嘆き。あくびをしたら涙がぽろり。


見知らぬ兎 死んじまった。
私は非情な因幡の仲間。

どれが本気の涙なの、どれが胸中うずまくの、
私は因幡、因幡の仲間。
嘘つきすぎた代償に、命も渡せぬ代償に、
自分の本気がわからない。
涙の理由が知れぬまま。

踊り食い狂う坊主(短文)

ずるずると伸びた川に沿って歩いておりますと私以外の者が足元の砂利を踏む音が致しましたので目をふいとやりまして、そこにはお坊様がしゃがみこんでおりまして、何やら川の中へ手を差し込み口を動かしていらっしゃる。何をなさっていらっしゃるのかと私が足をそちらへ向けますとお坊様も私に気づいたようで俯きがちの頭を持ち上げまして、なんとまあその口には生きたままの魚がはみ出てびちびちと身体を波立たせていた。私は何と申して良いのやらただぽつりと独り言のように、
「お坊様は殺生をなさってはならぬのではございませぬか。」と申し上げた。

するとお坊様がその小さくも無い魚を丸呑みして大きなげっぷをしたのちにようやく、
「これは天命である。」とおっしゃった。続けて、
「この魚は喰われて死ぬ天命であったので、我が喰らうてやった。」
とおっしゃったきり沈黙するのだから私もどうにも居心地が悪い。

「さすれば私の天命もおわかりになられますか。」
かろうじて場を繋ぐ質問をしたもののお坊様は私を眺めることも無く、
「我に他者の天命なぞわかるはずも無し。さらば。」とのたまって砂利を踏みしめあちらへと行ってしまわれた。
残された私は一人、あの魚より遅くここを訪れたことに感謝致しました。よいよい。

僕ボク私ね、だぁれ?(短文)

僕にはボクについて納得できることを持っていない。
客観的情報として納得できることはたくさんある。性別、外見、血液型、誕生日、戸籍、挙げていこうにも限りがないほどに。それでも、心からそれらに納得できるかと問われれば、答えは否。不満というわけではないのだが、ただただ実感が持てない。


例えば、自分の呼び方。それっぽく言うと、一人称、というやつだ。それがいまいち納得できない。私、あたし、僕、俺、全て自分のことを指すはずなのに、どれもが自分と切り離されている何かにしか思えなくなる。私が自分のことを私と言うだけで、その一人称が持つイメージに自分が左右されてしまう気がしてしまう。
女性なのにオレ、と言うと粗野で常識知らずなイメージ。男性なのにあたし、と言うと繊細で女装癖があるイメージ。偏見だらけなのは理解しているが、それでも持たざるをえない手垢塗れのイメージ。こんな風に、一人称というのはそれだけで何かしらの固有イメージを孕んでいる。それに個の自分が左右されてしまうのは耐え難い。だから、私はボクについて納得できる人称を持っていない。

たかが一人称で揺らいでしまう、あたしの自分性。
僕が僕でいることは、誰が証明してくれるだろう。
自分自身? 自分が自分を認めるべきなのか? 自分でも理解しがたい物を、どうやって。
自分がそこにいるだけで、僕は僕、私は私、それで納得できる人はとても幸せだ。あいにくと、甘ったれなことに、ボクには主体性と言う物が欠けている。

「将来の夢は?」
「なんだろうね」「訊かれても困るよ」
「行きたい場所は?」
「どこでも良いよ」「君の好きなところで」
「あなたが生きている意味ってなあに?」
「さあね」「今すぐ死んだって構わないのかもしれない」

風に弄ばれる木の葉よりも薄っぺらなアタシ自身。
認める、だなんて難しいこと。どうやって行うのだろう。手段はどこに落ちているのだろう。

「ボクは私を許すよ」
「あたしが自分を認めてあげる」


こうして言葉で紡げば良いのだろうか。けったいな書類でも書き残せば良いのだろうか。
ああ、違うだろう。そんなに単純で無味乾燥なものじゃないんだろう、認めるということは。私が私であると言うことは。

ふわり、ふわりと夢散する、ボクらしいワタシ。
泣きたくなるくらい先が見えない、確固たる自分へと続く道。
そうだ、ねえ、ああ、いっそ、
あなたのもとで、わたしはわたしになろうか。
そうだね、それがきっと、一番楽だね、そして虚しい。

そうして僕はあなたになった。
こうして私は君になった。
それだけだよ、それで終わり。
無理やり始まって、こじつけで終わる“自分”。
映し鏡としての人生は、何も残らなかった。

たけなかゆうみ(短文)

たけなかゆうみ は囁いた。血走るノイズが鳴り止まぬこの雑踏の中、おそらく誰にも届かぬであろう声量で、しかし確かに誰かに向けて囁いた。

「あなたに会いたい」

残念ながら忙しなく歩き続ける燃料不足の通行人は誰も たけなかゆうみ を知らなかったので、答える人はいなかった。
後日、たけなかゆうみ は囁くことを止めた。想いがすり抜けるのはこんなにも悲しい。

天井フォビア(短文)

怖いもの、ですか。
僕は天井が怖いですねえ。ええ、天井です。
おかしいですか? だってあれ、凄い怖いじゃないですか。
突然天井が崩れてきたらどうしよう、何かが天井から漏れてきたらどうしよう、そういうことをいつも考えちゃうんです。どうしても。

知ってますか。地震等で崩れた天井に潰されて、死に至ることだってあるんですよ。初めてその話を聞いた時ぞっとしましたね。僕を雨風から守ってくれるはずの天井が、僕に危害を加えるんです。これはもう裏切りです。一種の反乱です。ああおそろしい。
それに普段、天井を見上げることってないと思うんですよ。え、無いですよね?
そうそう、人間は前見て生きるもんです。前見て、左右見て、けど真上を見ていたら前に歩けないでしょう。だから、自分の上ってのは無防備なところなんです。ほら、言葉は悪いですけど、てっぺんハゲだって自分では気づけないでしょう。他の人が見つけて、くすくす笑って、それでようやく気づくはずです。だからね、真上ってのは無防備なところなんです。
その無防備なところをいつでも襲撃できる位置にあるのが天井です。僕は僕の一番弱いところを常に天井に監視されているんです。ねえ、これって凄く怖いでしょう。

それでね、まあ僕も、天井が怖いだなんて言うのは情けないと自覚はあるんです。そこで克服のために、二・三時間ほど天井を見つめ続けたことがあります。ええ、何もせず見つめるだけです。アパートの天井を。灰色なんですけどね、それほど綺麗なわけでもなくて、ちょっとシミとか汚れとかがあるわけです。そういうのをつぶさに観察しながら眺めるんです。
ずっと見ているとね、次第に頭がぼうっとしてくるんですよ。距離感もよくわからなくなって、もちろん首も痛むし、視界にぐにぐにと変な模様が浮き出てくるし。それでもう駄目だと思いましたね。
僕は気づいてしまったんですよ。
天井ってのは麻薬物質を持っているんです。ええ、僕は確信しました。見つめているとどんどん脳が侵されていくんです。そのせいで頭はぼうっとするし、妙に恐ろしくなるんです。
その日以来、僕はますます天井が怖くなってしまいまして。屋内にはいられません。野宿は辛いですが、仕方がありませんから。
ああ、はい。そうです。だからこうして、公園でお話ししているわけです。お手数おかけしてすみません。でもやはり、恐怖ってのはどうしようもないものでしてね。

おや、もういいんですか?
はい。もう大体のことは言い終わりました。どれだけ天井が怖いものか、僕が感じているほどではないにせよ、少しは伝わっただろうと思います。
ああ、わかって頂けますか。嬉しい。……うれしいなあ。
僕ね、何を言っても理解されなかったんですよ。こんなに怖いのに、皆わかってくれない。まるでキチガイをみるような目で僕を見る。それが何よりも悲しかった。
でも。あなたという理解者ができましたから、もう大丈夫です。
相変わらず天井は怖いままですが、ね。ははは。

じゃあ、どうもありがとうございました。
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