GWお客さん多くて目が回る。


さておき。

もう少しで25歳
世の殿方達からは若くない女
というレッテルを張られる年になる。

子どもの頃は
大人になれば大人になれると。
奇怪な言動も無くなるだろうと
うみゃーとかみゅーとか
言わなくなるのかと
思っていたけれども。

実際は直らなかったし
家では直す必要も無くて。
体は大人でも
心は子どものままな気もする。

無論、経験がそれを許さないのだが
子ども社会の事を理解できない訳でも
子どもだからと意見を軽んじようとも
思わないわけで。

子どもの言い分を蹴るような
そんなものが大人だと思っていた私は
少し戸惑いを覚えていたりもする。

「大人になれば」といえど
何かが変わる訳でもなく。

それは私がまだ
本当の意味で社会に出ていない
フリーターだからなのか。
それとも私が私だからなのか。

どちらかなのか、どちらもなのか。
そういう自問自答を繰り返している。

繰り返している時点の私は
確かに昔の私の思考そのもので。
以前の私に戻った気さえする。
取り戻せやしないのに。
嫌な錯覚だ。

よくも悪くも
忘れていた私に近いのが
今の私であって。

自分の意見をしっかり持ちながら
臆病で口にできなくて
保身的で、けれど正しくあろうと。

綴れば笑えるような人間性で
バカげていても笑い飛ばせなくて。
同じ場所で地団駄を踏んでいる。

拒絶していた時期の世界など
記憶など殆ど覚えていないが
反芻しなかった頃もきっと
根元は変わってなくて。

それも私で、今の私で。
たぶんだけれど、やっぱり
社会にきちんと出ていても
私は大人になれていない気がする。

いや、社会に出るような私は
今の私とは別人だろうか。

真っ当に生きて
人並みに悪口を言って
虫も殺さない様な顔して殺して。
人の痛みを分かったような気で
周囲を傷付け不快にする、

そうなっていたに違いないのが
痛いところである。
それこそ子どものまま大人になる
ということに他ならない。

と、自己否定と肯定を
繰り返しているのが現状で。

特技を延ばして職業にとか
心が追い付かないことを
勧めるニュースに嫌気を感じたり。

私の特技といえば
短期記憶と
正論を吐くことくらいだとか。
考えている自分にも嫌気がさす。

……日記で思考を露呈している人間が
リアルどれくらい存在するのか。
愚痴、分類は一応それに当てはまるとして
ならば相当数か。

とか脱線したりもする思考回路が
腹立たしくもある。

つらつらと書いてはみたものの。
変わってない私の
アピールにしか見えない。

そんなはずないのに。

理想と現実は遠い。

長くなってきたのでおしまいっ。