葬儀当日。
11時から葬儀を行うとのことで、私達は9時に家を出、9時半に斎場へ到着した。
待合室の別室に棺が置かれており、そこから会場へ繋がっている。
待合室には叔母、従兄姉を含めてあちらの親戚は14人ほど居り、おにぎりを食べていた。
別室には、泊まり込んだ祖母と伯父が疲弊した様子で、じっと棺を見つめて座っていた。
父と私は、棺の窓を開けて叔父に挨拶をする。
なんて、綺麗な寝顔なんだと、起きそうな気配があった。
起きることはないのだけれど、本当に良かったと思う。
病院に運び込まれた時は、酷く顔がはれていたらしかった。
息ができなかった為だろう、今は苦しみの表情は無い。
棺の近くに座り、祖母にならって静かに叔父を見つめた。
そうして叔父は会場に運び込まれ、私達はセルフのコーヒーをいただき、時間を過ごした。
長いような、短いような、そうしてまた会場で静かに待つのだ。
従兄がお辞儀をし、焼香を始め、また一人と焼香をしていく。
従兄、叔母、従姉、祖母、伯父、父、私。
今日も沢山の人が来ていた。
そこ流れるのはタイガースの曲という、滑稽なものであったが。
それも叔父は喜ぶんだろうなと思い直して、焼香が終わるのを待つ。
叔母は泣いていた、従姉も泣いていた。
祖母は下を向き、ずっとお辞儀をして、立っていた伯父達もお辞儀をしていた。
そして花を棺に入れることとなる。
沢山の人々が悲しみ、嘆き、叔母や従姉の肩を抱いた。
花を入れる際、行列ができていた。
わたしは早急に花を入れ、少し離れて見ていた。
昨日もそうだが、手が、震えるのだ。
死体を見ると、震えが止まらないのだ。
何が怖いのか、分からなかったがとにかく怖かったのだろう。
昨日それに気づき、手を握ってくれた父は、泣いていた。
泣いていたから、私は泣かなかった。
私には泣く資格などなく、泣き崩れている叔母を前にして、私が泣いていいわけがないのだと。
涙は何のためにあるのだろうか。
叔母は叔父にすがりつき、膝から泣き崩れ、声を上げて泣いていた、嘆き叫んでいた。
なんて醜態、私にはできない、やるべきではないと、心配をかけてどうするのだと、傍観していた。
泣いているのは血縁者と、仲の良かった友人知人だけ。
涙は、悲しみの量ではなく、何なのかと改めて思った。
各自車で斎場を出、まだ新しい火葬場へと向かう。
高い、10メートルはあろうかという天井を見、整えられた場所で改めて焼香をした。
そうして叔父は熱された場所へと入れられる。
それを見届け、そそくさと火葬場から出て、叔母たちを待っていたのだが。
とても離れられる状況ではなかった。
叔母は一人で立てず、おえつを漏らし、離れようとしなかった。
それを支えていたのは叔母の弟と、その嫁である。
私たち叔父の血縁者が出る幕など、なかった。
叔母を残し、一足先に式場へと戻り、お昼ご飯を食べる。
が、祖母は叔母が来るまでずっと待ち続けていた。
嫌でもわかるのだろう、夫を亡くす妻の気持ちが。
結局、叔母は睡眠不足の為、待合室で眠っているとのことで、食事を始めた。
そして火葬され、骨になった叔父との対面だ。
火力が強いのだろう、母の時よりも、跡形もなくなっていた。
骨壺に骨を納め、そのまま寺へと向かう。
初七日を葬儀の日に一緒にしてしまい、その日はそうして終わることになった。
祖母は、叔父の仏壇回収…もとい、経典を回収するために再度家へよると言っていたが、私達は一足先にお暇することになって。
帰り際、寺の前で「来てくれてありがとう」と、父に言う従兄は疲れ切っていて。
父は何事かを従兄に言っていた。
そうして帰るとき「皐月もありがとうな」と言われて送り出される。
従兄の隣には彼女さんが居る、きっと大丈夫だと信じて。
私は頭を下げて、その場を後にした。
泣かないと決めていたけれど、帰りの車では涙が出た。
それを見ても父は黙っていた。
その父に胸中を打ち明ける。
「こんなに落ち込むとか思ってなかったんやけど」
私の世界には父と母と、友人と、過去の友人達で、できていると思っていた。
でもそれは違っていて。
叔父も、きちんと私の世界の一部だったのだと。
親戚で、一番大好きな人だったのだと。
でも、叔父が私にとってどれだけ大切な人だったのだとしても。
叔母さんや従姉の前で、泣くわけにはいかないのだと。
言いながら、泣いていた。
最後に会ったのは今年の正月だ。叔父にお年玉をもらい、ミカンをもらい、他愛ない会話をした。
「皐月でかなったなあ」と決まり文句を言う叔父の声を覚えている。
「またなぁ」といつもの別れの挨拶をしたのが最後になるなんて。
母の日にも、祖母の家に来ていたらしいが、あいにく時間が合わず、私達が祖母の家に行ったときにはもう帰っていたのだと祖母から聞いた。
なんてタイミングの悪い。
けれど、 会わなくて良かったのかも知れない。
訃報を聞く3日前に会っていたなら、もっと私は悲しむことになっただろうから。
そんなことを父に話していた。
私達の日常にいつも叔父がいたわけではない。
だから、私達の生活は変わらないし、何事もなかったかのようにまた日々を過ごしていくのだろう。
けれど、叔母さんや従兄姉は、違う。
毎日顔を合わせていた人が、居なくなるのだ。
それは慣れるまで、毎日、毎日、帰って来ないのだと気づかされることで。
あの頃の私と同じにならなければいいと、思った。
学生ではないのだから、仕事が救いになればいいと思った。
しかーし、叔母さんにはむかついた。
叔母の父親は一人で墓に入っているらしく、一緒に叔父を納めたいのだと言う。
そんな馬鹿な話があってたまるか。
お墓はあるのだ。
祖父のお墓が有るのだ。
長男の息子である従弟が継がなければならないが、離婚している。
だから自動的に次男の息子である従兄が祖父の墓を継がなければならないのだ。
長女の娘の私では墓は継げないし、うちには父が建てた墓があり、苗字も違う。
それなのに、家から近くの寺にある墓に納めたいと言う叔母、なんて考えなしなのだろう。
だから父と従兄がその件について話し合うことになるのだ。
「おかんがああ言うんやから、墓を作ってやりたい」と、従兄も言う。
本当に甘い従兄だ、いづれ伯父が亡くなれば、母の墓と、祖父の墓を継ぐことになるのだろう。
きっと統合することになる。
他の市へは移されたくないという意思は、きっと叶わないのだろう。
祖父の墓が、うちの墓の隣の墓地にある私がなんとかできれば、良いのだが。
婿養子でもとってこの地に安住しない限り、無理な話だ。
課題は山ずみ。
私が生きている限り、ここのお墓は継がずとも守り続ければいいのだと。
そういうことで話は途切れた。