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れんげ・じーま



最近お気に入りのお酒っす。

左のれんげリキュールはお手頃価格。

お酒に強く無い為、どっちも炭酸レモン水で割り呑み。


れんげリキュールは甘くて美味しいんですよー

リキュール自体、蒸留酒に果物やハーブが入っている飲み物だから、ジュース感覚に近いかな。

カクテルの材料にも使われるので、カクテル好きならオススメ。


…ビールにワインは不味くて飲めない(;´ω`)

どこまでもお子ちゃま舌なのです ←


右のはジーマ・ピンク。

コンビニで白いジーマ売ってるのはよく見かけるが、ピンク。

チェリーとアップルが材料に入ってたかな。

こっちは香りだけで、甘くはないけれど。

美味しいんだなあ、度数が低いので平気ならストレートで。

私は割るのが好きなのです、美味しいですよ、炭酸レモン水。

炭酸水だと味気ないんですよねー


記憶に在るもの



今日の葬儀は朝10時。

8時に家を出、コンビニで朝食のパンとストッキング買いました。

タイツしか持ってなかったんで、昨日はズボンでしたが今日はスカートなもんで。

で、斎場行ってみると、斎場で従弟と従姉が寝てましたね。


昨日餃子を食べた親父の口が臭すぎるので、徒歩でコンビニにミンティア買いに行きましたとも。

ブレスケアが無かったもんで。


んで式が始まり、そつなく終わり。

花を入れ。
口に水をつけ、出棺。

嫌な感じですよ、全く同じ道、同じ火葬場。

母を思い出すのです。

あちらで焼香し、斎場に戻ります。

休憩室で、お昼ご飯。

ビールをすすめられて、断りましたですよ。

不味くて呑めない ←


したらば伯父さんがお吸い物ぶちまけたりw

なんやかんやがありーの。


石川の義妹さんと、母方の祖母のよく喋ること喋ること。

真珠談に花を咲かせ始めて、とばっちりを受けました。

昨日はお通夜なので、ちゃんとした服装ではなかったんですねー

ズボン、ヒール(ヒール部分茶色)、装飾品無し。

今日は、黒ヒール、スカート、黒ストッキング、真珠のネックレス。

何件もの葬儀に出ていたので、母の真珠を出しておいてたんですよ。

それを着けて行ったせいで、話が飛んでくるわ飛んでくるわ。

短いのは既製品で、長いのは調整してもらっただの。

これは母の形見です、知らんがな ←


そしてみんなで写真撮影という何とも意味不明な事態に。


まぁさておき、骨あげっす。

母の時も叔父の時も、入るだけ入れようと砕いて入れていたのに対し。

まぁこれが普通なのかなと。

普通に閉めるという。

暖かな骨壺を持たされて(喪主である親父が運転の為、助手席の私)、斎場に戻り、初七日をし。

それでお仕舞いなんですねー


とはいかず。

石川の夫婦を車でおくりました、市内の駅まで40分強。

その間骨壺は私の手に。

嫌だなぁと思いながら。

こんな感慨も無い孫にではなく、義妹さんに持たせてあげれば良いのに。

まあ後の祭りです。

でも、昨日は家に泊まると言っていたので、帰宅してくれて正直助かりましたね。

枕カバーを昨日閉店ギリギリで買いに行った努力は水泡に帰しましたが。

ゆっくりできないので良かったかなと。


祖母が自分のアクセサリーを従姉にあげると約束していたらしいですが。

祖母の部屋、とっくに片付けちゃっていますからね。

遺品整理しなくて良い様に、ってのは建て前で、亡くなるまで病院に居るから帰って来ないのを前提に。

これも提案者は私ですが。

その時に物の可否は親父に委ねましたから、ネックレスが無かったかと私に聞かれても困るのですよ。

私が知るのは、母の遺品だけです。

親父が黒いネックレスを捨てるのばっちし見てしまいましたが? ←

値の張る物ではない為、納得してましたし。

いや、母の物が高すぎるんですよね、うん十万のアクセサリーとか。

数万円のアクセサリー以外は、全部貸し金庫に入ってます。

そんな感覚なもんで、迷わず廃棄処分されてたりとか、はい。

でもネックレスひとつ、取ってあったみたいで、それを今度、従姉にあげるそうです。


形見、無くてもいいのかな親父は。

私は祖父のハーモニカを貰いましたし、母の私物は全部私の物になりました。

着物から、アクセサリーから毛皮から、どうしろっていう量が。

当の母は、父親の櫛をいつも持ち歩いていましたし。

そう考えて、親父も父親を亡くしていますが、遺品持ってませんでしたから。

うーん、持ちたくない気持ちも分かりますが。

どうなんでしょうね。


私は精神的には何ともありませんが、体の方は台無しでした。

好きではなかった為、ダメージ皆無だと思って、思うようにしていたのに。


もともと、変だったんですよ、うちは。

母方の祖母宅が近いため、母が健在の時は毎週遊びに行き、一緒に旅行へ行き。

母方の祖父が健在の頃には、頻繁に家へ遊びに来てくれていましたから。

母は私を祖母へ近づけようとはしませんでした。

晩ご飯以外を、一緒に食べた記憶も無いのです。

勿論私は一人遊び、もしくは専業主婦の母が遊び相手で、祖母と遊んだこともなく。

洗濯物ですら、同じに洗っていませんでしたからね。

親父と祖母の、母と私ので2回。

まぁそれもそうなんですけど、タバコを吸い、パチンコ大好きな祖母、しかも姑。

面倒は見させたくないって思います、体に良くないですし。

そんなんで、一緒に暮らしていながらも、私にとっての祖母は、いつもパチンコへ行って何してるのか解らない人でした。
悲しいも何も無いんですよね、母の死後は友達と遊びにふけり。

夕飯を共にするだけで、居ない者同然。

今更腹を割って話したくもないですし、と思えば痴呆症になって、めちゃくちゃ絡んで来るという。

良い印象は無いのです、だから好きではなかったのです。

実のところは、何の打撃も受けていないのです。

体調を崩しただけで。

それは親父も知っています、そんな娘を見てどう思うのかと、一瞬考えましたが。

私は血縁者でありながら、母方寄り。

所詮親しくなければ赤の他人同然なのですよ。

涙なんて一滴も。

一度だけ、お題目をあげましたが、それだけで。

ほら、私の世界に叔父は居ても、祖母は居なかったのですよと。

薄情なことを言う私に、親父が呆れれば良いと。

でも、あなたは違うのだと分かりますかと、ね。


数年前から祖母は入院し、家には居なかったし。

生活は本当に変わらないのです、ずっと2人。

そんなので、帰ってくると思う訳も無いのです。

私は分かっているのですよ、だから帰って来るんじゃないかとか思ったりしない。

もう、いないんだと思った葬儀の翌日、母の死亡した時間。

そう思ってしまえば、どこかで生きているだろうかという感じすらしない、一切。

私はね、私は。


死者は帰らないのですよ、そして語らないのです、葬儀すら死者の為ではないのです。


それでも、母が亡くなれば悲しいのは同じでしょう?と。

言った記憶がありますね。


とはいえ、度々思い出すこともあります。

もう何本目かの傘を壊して学校から帰宅した時のことを。

母にまた怒られるだろうと泣きながら帰ると、私を見た祖母が、傘を針と糸で直してくれました。

その時、母は買い物で不在。まあ、直るはずもないですよ。

帰宅した母が見たのは、泣いている私と、傘を直そうとしている祖母。

そんな姿を見て、怒鳴る気もなくなったんでしょうね。

怒られはしましたが、叩かれたり長時間謝らされたりはしなかったことがありました。

それが唯一の、私に残る好印象ですね。

お通夜



深夜過ぎても、眠れない様子の親父。

少し、話しておりましたね。

私の昔のことを。


親父の前では泣いたりしてなかったけど、本当はさ、寂しかったんよ。

家帰っても誰も居らんし。

だからさ、深夜に外出て、車にもたれて。
月見ながら泣いてたり。

夜に窓から外見て一人、泣いたり。

結構泣いてたねんな、知らんやろうけどさ。
知られたくも無かったし。


そういう前振りで答えやすく聞くのです、何も言ってくれない親父の本音を。

「なあ、寂しい?」

……寂しいよ

それが答えでした。


で、私は爆睡 ←


朝から、石川の義妹に連絡したり、なんやかんやで迎えに行くことになったりと、親父は忙しくしていた午前中。

私は喪服の用意や、数珠、家事を一通りやり、帰宅を待っていたのです。

が、いかんせん、遅い!

やることも無く、ぐるぐる考えるしか無くて。

母方の祖母も呼んだ方が良いか考え始めて。

「水くさいやんか」というのか「自分らでやり」というのか、どっちだろうと。

それにしたって、斎場から5分も行った所に祖母宅が有るだし。

親父は実の息子の様に仲良くして、いるのだし。

やっぱり声を掛けておいた方が良いと提案しました。


で、石川の義妹夫婦を斎場へ送った後に、祖母宅へも寄って来たそうで。

通りで遅いはずだ。

帰宅したのは2時過ぎてましたがな。

それから斎場へ。


お坊さんは呼ばず、親父がお題目をあげるという流れで経費節約っす。

さすが学会員。


斎場にずっと居りましたね、親父が喪服に着替えに行った時、伯父さんと2人になりました。

私はただ、話しを聞いてましたっけ。


寂しいもんやね。

鹿児島に居った兄弟も亡くなって、日は立つけど。

まだ、帰って来るような気がしてな。

寂しいねんけど、俺は長男やし弱音も言えんで。

お父さんもきっと寂しいよ、口に出さんでも。

「ああ、言ってました、寂しいって」つい、口挟んじゃいましたけどね。

そうか。

でも、寂しいってことは、その人が自分の中におって、何かしら影響してるってことや。

一緒に生きてるってことや。そう考えらなな。


みたいな事を話してくれた訳ですよ。

自分から何かしてあげようとか思って動かない人が。

休憩室の机を片付けて、布団くらい敷いてくれたら良いのにね、煙草吸ってるだけで。

ちょっと共感するところもあったのに台無しw

で、式が始まる訳ですが。

母方の祖母と伯父が来てくれて、と思ったら、連絡とれなかった義弟さんまで来てくれて。

式の始まりです…の前に、伯父が数珠を持って来ていないとのことで、車にあったのを取りに行き貸し出し。

で始まる式、焼香。

長男の娘なので一番先なのです。


それから通夜ぶるまいですね、お寿司。

イカとエビ、鉄火を頂き、そこそこに抜け出します。

母方の祖母達は食べて来たからと、通夜ぶるまいを断り、斎場に居たので。

給湯室でお茶を煎れ、お盆を借りて、斎場まで持って行きました。

そこで色々世間話。

適当なところで切り上げて、湯のみを片付け。

食事終わりの親父に声をかけておく。

トイレに行って再び斎場へ行くと親父と遭遇。

で、4人で少し喋りーの、母方の祖母達は帰宅し。

親父があまり寝てない故、私達も帰宅することとなったのですが。

お腹空いたということで、一緒にラーメン食べに。

半チャンセット。
親父は餃子も単品で。

んで帰宅。

今日は早く眠るべし。

仮通夜



とある占いでは、何事もなく過ぎてゆくでしょう的なことを書いてあったから。

今日は大丈夫だろうと思っていた。


午前中にAちゃんからメールを受け取り。

遊ぶ約束をして、いそいそと掃除。

今年はうちが班長なので回覧板…じゃなかった、広報を配らなければいけなくて。

それも配って来て一段落し。

Aちゃんを2時から迎えて、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。

していたら4時過ぎに仕事をしていた親父から電話。

「病院行くから用意しとけ、ばあちゃんもうもてへんらしい、1時間くらいで帰る」

ってな訳でAちゃんを家まで送り、出かける準備。


病院に着いた頃には、既に亡くなっていた。

親父が私に電話して来る前にはもう、ダメだったらしい。

それならそうと言ってくれれば良かったのに。

と、思ったのだが。

看取った叔母は、先生が連絡入れたって言ってたからと連絡しなかったらしい。

いや、うん、危ないからという連絡しかもらってなかったんだよな、それが。

まぁそんなんで。


親父は手続きに行き、従兄妹達もやって来て、居辛くなる訳なのです。

叔母に従兄に従弟に従妹に従妹。

一度病院を出て、暫く車にもたれ、空を眺めておりました。

それも飽きてきて、病室を出たところのテレビの前、エレベーター前の椅子に座って父親を待っておりました。

それで父親が手続きを終えて、上がって来るのですよ。

葬儀会場のこと、死亡診断書のことを話し、しばらく無言が続き。

手を握ってやりましたけども、握る力は弱く。

と、そんなことをしてるうちに、連絡を入れる人への相談です。

母方の祖母には連絡を入れない方針で、祖母の義妹はどうするのかと。

父親は呼ばないつもりだった様で、言ってやりましたとも。

「自分の姉が亡くなったのに、遠いからって連絡せえへんってどうなん?」

「どんだけ遠くても、最期くらい顔見たくない?仮にも兄弟やろ」

「私にはおらんから分からんけど、顔くらい見たいと思うよ、私はな」

「自分は妹居るやん、どうなん?」

結構キツい事を言った自覚は有ったけれども、葬儀ぐらい来たいと私は思うのですよ。

「そやな…見たいな。連絡入れるわ」ということで、葬儀屋待ち。

家には帰らず、葬儀会場へそのまま運ぶ手配をしたらしく。

デジャヴっすよ。

また母の葬儀した建物で、行われるのです。

家族葬、参加予定人数は叔母家族7人、うち2人、義妹家族2人の予定。


休憩室が借りられるのは明日の午後から、だから泊まれないとのことで。

今日は従兄が会場で泊まることになり、後は全員帰宅っす。

その前にみんなは晩ご飯、親父の車で連れて行くように提案。

提案者は私。
叔母に従妹に従妹に従兄、家の車は乗用車で最大5人乗りなのです。

てな訳で、ダイエット中の私は一人、徒歩で帰宅っす。

ファミマ寄って帰ったら、40分もかかった(^^;

間に友人にメールを入れておく、明日誕生日だったから、状況説明も兼ねて。


ほいで親父を待ちながらお風呂に入り。

日付が変わる前に待ち人は帰宅。

で、就寝ですね。
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