今日の葬儀は朝10時。
8時に家を出、コンビニで朝食のパンとストッキング買いました。
タイツしか持ってなかったんで、昨日はズボンでしたが今日はスカートなもんで。
で、斎場行ってみると、斎場で従弟と従姉が寝てましたね。
昨日餃子を食べた親父の口が臭すぎるので、徒歩でコンビニにミンティア買いに行きましたとも。
ブレスケアが無かったもんで。
んで式が始まり、そつなく終わり。
花を入れ。
口に水をつけ、出棺。
嫌な感じですよ、全く同じ道、同じ火葬場。
母を思い出すのです。
あちらで焼香し、斎場に戻ります。
休憩室で、お昼ご飯。
ビールをすすめられて、断りましたですよ。
不味くて呑めない ←
したらば伯父さんがお吸い物ぶちまけたりw
なんやかんやがありーの。
石川の義妹さんと、母方の祖母のよく喋ること喋ること。
真珠談に花を咲かせ始めて、とばっちりを受けました。
昨日はお通夜なので、ちゃんとした服装ではなかったんですねー
ズボン、ヒール(ヒール部分茶色)、装飾品無し。
今日は、黒ヒール、スカート、黒ストッキング、真珠のネックレス。
何件もの葬儀に出ていたので、母の真珠を出しておいてたんですよ。
それを着けて行ったせいで、話が飛んでくるわ飛んでくるわ。
短いのは既製品で、長いのは調整してもらっただの。
これは母の形見です、知らんがな ←
そしてみんなで写真撮影という何とも意味不明な事態に。
まぁさておき、骨あげっす。
母の時も叔父の時も、入るだけ入れようと砕いて入れていたのに対し。
まぁこれが普通なのかなと。
普通に閉めるという。
暖かな骨壺を持たされて(喪主である親父が運転の為、助手席の私)、斎場に戻り、初七日をし。
それでお仕舞いなんですねー
とはいかず。
石川の夫婦を車でおくりました、市内の駅まで40分強。
その間骨壺は私の手に。
嫌だなぁと思いながら。
こんな感慨も無い孫にではなく、義妹さんに持たせてあげれば良いのに。
まあ後の祭りです。
でも、昨日は家に泊まると言っていたので、帰宅してくれて正直助かりましたね。
枕カバーを昨日閉店ギリギリで買いに行った努力は水泡に帰しましたが。
ゆっくりできないので良かったかなと。
祖母が自分のアクセサリーを従姉にあげると約束していたらしいですが。
祖母の部屋、とっくに片付けちゃっていますからね。
遺品整理しなくて良い様に、ってのは建て前で、亡くなるまで病院に居るから帰って来ないのを前提に。
これも提案者は私ですが。
その時に物の可否は親父に委ねましたから、ネックレスが無かったかと私に聞かれても困るのですよ。
私が知るのは、母の遺品だけです。
親父が黒いネックレスを捨てるのばっちし見てしまいましたが? ←
値の張る物ではない為、納得してましたし。
いや、母の物が高すぎるんですよね、うん十万のアクセサリーとか。
数万円のアクセサリー以外は、全部貸し金庫に入ってます。
そんな感覚なもんで、迷わず廃棄処分されてたりとか、はい。
でもネックレスひとつ、取ってあったみたいで、それを今度、従姉にあげるそうです。
形見、無くてもいいのかな親父は。
私は祖父のハーモニカを貰いましたし、母の私物は全部私の物になりました。
着物から、アクセサリーから毛皮から、どうしろっていう量が。
当の母は、父親の櫛をいつも持ち歩いていましたし。
そう考えて、親父も父親を亡くしていますが、遺品持ってませんでしたから。
うーん、持ちたくない気持ちも分かりますが。
どうなんでしょうね。
私は精神的には何ともありませんが、体の方は台無しでした。
好きではなかった為、ダメージ皆無だと思って、思うようにしていたのに。
もともと、変だったんですよ、うちは。
母方の祖母宅が近いため、母が健在の時は毎週遊びに行き、一緒に旅行へ行き。
母方の祖父が健在の頃には、頻繁に家へ遊びに来てくれていましたから。
母は私を祖母へ近づけようとはしませんでした。
晩ご飯以外を、一緒に食べた記憶も無いのです。
勿論私は一人遊び、もしくは専業主婦の母が遊び相手で、祖母と遊んだこともなく。
洗濯物ですら、同じに洗っていませんでしたからね。
親父と祖母の、母と私ので2回。
まぁそれもそうなんですけど、タバコを吸い、パチンコ大好きな祖母、しかも姑。
面倒は見させたくないって思います、体に良くないですし。
そんなんで、一緒に暮らしていながらも、私にとっての祖母は、いつもパチンコへ行って何してるのか解らない人でした。
悲しいも何も無いんですよね、母の死後は友達と遊びにふけり。
夕飯を共にするだけで、居ない者同然。
今更腹を割って話したくもないですし、と思えば痴呆症になって、めちゃくちゃ絡んで来るという。
良い印象は無いのです、だから好きではなかったのです。
実のところは、何の打撃も受けていないのです。
体調を崩しただけで。
それは親父も知っています、そんな娘を見てどう思うのかと、一瞬考えましたが。
私は血縁者でありながら、母方寄り。
所詮親しくなければ赤の他人同然なのですよ。
涙なんて一滴も。
一度だけ、お題目をあげましたが、それだけで。
ほら、私の世界に叔父は居ても、祖母は居なかったのですよと。
薄情なことを言う私に、親父が呆れれば良いと。
でも、あなたは違うのだと分かりますかと、ね。
数年前から祖母は入院し、家には居なかったし。
生活は本当に変わらないのです、ずっと2人。
そんなので、帰ってくると思う訳も無いのです。
私は分かっているのですよ、だから帰って来るんじゃないかとか思ったりしない。
もう、いないんだと思った葬儀の翌日、母の死亡した時間。
そう思ってしまえば、どこかで生きているだろうかという感じすらしない、一切。
私はね、私は。
死者は帰らないのですよ、そして語らないのです、葬儀すら死者の為ではないのです。
それでも、母が亡くなれば悲しいのは同じでしょう?と。
言った記憶がありますね。
とはいえ、度々思い出すこともあります。
もう何本目かの傘を壊して学校から帰宅した時のことを。
母にまた怒られるだろうと泣きながら帰ると、私を見た祖母が、傘を針と糸で直してくれました。
その時、母は買い物で不在。まあ、直るはずもないですよ。
帰宅した母が見たのは、泣いている私と、傘を直そうとしている祖母。
そんな姿を見て、怒鳴る気もなくなったんでしょうね。
怒られはしましたが、叩かれたり長時間謝らされたりはしなかったことがありました。
それが唯一の、私に残る好印象ですね。