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パーティーナイト

*王国パロ





 天井にはきらびやかなシャンデリアが輝きを放ち、一面大理石の床を覆う真っ赤な絨毯は一目で一級品だと分かる代物。室内に並べられたテーブルを飾るのは純白のテーブルクロス。
テーブルには、王族主宰の晩餐会に相応しい国中から集められたご馳走が並べられ、その隣では選りすぐりの音楽家たちの生演奏が場の雰囲気を盛り上げている。
 それらを横目で一瞥しながら、蓮ははあと溜め息をこぼした。
どうも自分は、こう華やかな場所が苦手らしいと気づいたのはまだ幼い頃。
何度となく参加している社交場だが、つんと鼻につく香水の香りや愛想笑いと欲望に溢れるこの場所に、いつまで経っても慣れることなど出来そうにない。

「いかがですか?」

 ふんだんにレースのあしらわれた赤いドレスを身に纏った女性が、妖艶な笑顔でワインを差し出すのを片手だけで制しながら、蓮はすぐさまその場から離れた。
先程から何度も差し出されるワイングラスと小皿に盛られた料理の数々。
月森様、公爵殿、と。彼らは皆同じような笑みを浮かべ近づいてくる。
『笑顔』という固い鎧を身に纏い、取り入ろうと必死な形相を隠してはいるが蓮には全てわかってしまう。分かりたくなくても、分かってしまうのだった。

 開口一番、まず「貴方様のヴァイオリンはとても素晴らしい!」と褒め称え。
その後は聞いてもいない彼らの家柄の話をペラペラと始めるというのがいつもの、このような場で出会った貴族の行動パターンである。
もう。流石に。辛気くさいやら何やら言われようが溜め息の一つや二つ、こぼすくらい何だと言うのか。
社交場に参加した後はもう二度と行くものかと毎回思うのだけれど、しかし、これでも公爵家の息子という立場がある。
普段からあまり他人を寄せ付けるタイプではない自覚はあるが、このような場での付き合いが大切なものだということも良く理解しているのだ。
多少、いや多分に腑に落ちないけれども。
それを自制出来ぬ程、蓮はもう子供ではない。

けれど。
流石に。流石に。こうまで続くと相手をする気も失せてくる。
どこぞの令嬢なのだろう、派手に着飾った女性が無理矢理蓮の体に身を寄せて来た時には本気で引き剥がしそうになった。
あからさまな態度に辟易しつつも、冷静を装いながら彼女から身を離し逃げてきたばかりだというのに。

 もういっそこのまま帰ってしまおうか。
パッと浮かんだ考えは、我ながら良い案だと思われた。
体調不良だ何だと言えば、退出することも可能だろう。
あれこれ余計な詮索をしてくる者もいるだろうが、そこは何とか言いくるめてしまえば良いだけの話。
はあ、と。眉間に手を当て本日何度目かわからない溜め息をこぼしながら踵を返しかけた所で、蓮の胸に蘇る一人の少女の面影があった。

 この晩餐会の主宰である王の娘、香穂子。
一国の姫である彼女とは幼馴染みであり、彼女にそれ以上の特別な感情を抱いていることはとうに自覚している。
本来ならばあまり人目に触れることなくこの場から抜け出したいものだけれど、特別な感情を抜きにしても、主宰である彼女に退出することを伝えるのが最低限のマナーだろう。
そう結論付け、さっとやや乱れた感のある帯を直しつつ、特別賑わう一角へ足を進める。

多少よろめきながらも人混みをすり抜けた先、探していた少女はすんなりと蓮の視界に飛び込んで来た。
決して派手なドレスではないものの、一目で上質だと分かる薄生地に細やかな刺繍が施された、淡い空色のドレス。
ひらひらと裾が揺れる様は、まるで水面を踊る小鳥のように愛らしく、彼女のすらりと伸びた手足の美しさを更に際立たせていた。

 見知った少女の姿を視界に入れたことで安堵しつつ、無表情を貫いて来た顔の筋肉を多少柔らげる。
そのまま近づき、香穂子に声をかけようとしたその時。

「いや〜、しかしプリンセスは御美しくなられましたなあ!」

見るからに酔っぱらっているのだろう赤ら顔の紳士が、据わった瞳で香穂子の手を取り口づけている。

「またまた、御冗談を……」

薄い微笑を浮かべ答える香穂子も多少困惑しているようだった。
それに気づいているのかいないのか、呂律すら怪しいその紳士は馴れ馴れしく彼女の肩に腕を回す。
一国の姫に対し明らかに行き過ぎたその行動も、周りの参加者らも程よく酔いが回って寛容になっているのか、誰一人咎めようとはしない。
瞳を伏せ、あの……と言葉を濁す彼女を見ていられずに、蓮は思わず右手を伸ばした。

「失礼」

細腰に腕を回し引き寄せれば、香穂子が驚いたように目を見開く。
突然の横槍に何だ、と顔をしかめたその紳士も蓮の姿を認めた途端、これはこれは!公爵殿ではありませんか、と媚びた笑みを作った。

「プリンセスの顔が赤いように見えたのでね。酔ってしまわれたのかと思い、支えになろうと手を伸ばしたのでございます」

胡麻をするように手を捏ねながら、悪びれることなくふふふと紳士は笑う。
──本当にたちが悪い。
目の前の男に激しい嫌悪を覚えながらも、彼を鋭い瞳で一瞥するだけに止め蓮は香穂子に向き直る。

「では、どうでしょう姫。酔いを覚ますためにも、一度お部屋にもどられては?」
「……ええ、そうしようかしら」
「ではお手を」

頭を垂れ、すっと差し出した蓮の腕に重ねられる手。
流れるような仕草で彼女のエスコート役を勤めながら、ざわざわと未だ騒がしい大広間から颯爽と抜け出した。



 木製の重厚な扉を閉めれば、先程までの喧騒が嘘のように静まりかえり、ひんやりとした空気が室内の熱気に当てられた頬を冷ましてゆく。
いつの間にか詰めていた息をふぅ、と吐き出せば、隣の香穂子もまた緊張を解いたように肩の力をふわりと抜いた。

 パーティーが行われていたホールは城の隣に併設されており、短い通路を通ることで城に直接戻ることが出来る。
通路の両脇は庭となっており、様々な花やハーブが風に揺れていた。
思わず、すぅと胸に吸い込んだ新鮮な空気は、庭のハーブが放つ爽やかな香りを混ぜ、蓮の気分を多少和らげてくれる。

 同じく隣で一息ついていた香穂子が、くるりと長いドレスの裾を翻し蓮に向き直った。
「ありがとうね」
そう言って此方に微笑みかけた彼女は、もういつもの、幼馴染みの顔をした香穂子だった。
先程までの、凛と佇む『姫』としての風格は身を潜め、朗らかで無邪気な笑顔が顔を覗かせる。
自分だけに向けられるその無防備な笑顔に自然と月森の目も細められる。
けれど、すぐに香穂子の綺麗な笑顔は消え、その赤土色の瞳を曇らせた。

「でも、ごめんなさい。蓮までお部屋から退出することになってしまって……。まだパーティーは始まったばかりなのに」
「いや………」

しゅんと肩を落とした香穂子は、どうやら月森を巻き込んでしまったことに責任を感じているらしい。
別に月森自身パーティーに未練などないし、どちらにしても早々に帰るつもりだったから気にするな、とも主宰である彼女に言うのは憚られて。
さて、どうしようかと視線をさ迷わせた庭先。
月森はあるものを見つけて開きかけていた口を閉じた。

「……蓮?」
「君はここにいてくれ」

そう言い残し、蓮は一人明かりの届かない薄暗い庭先へ一歩踏み出す。
かさり、と葉が擦れる音がして、けれどそれもすぐに聞こえなくなった。
しんと、恐ろしい程静まり返る空間に香穂子一人が残される。
一人になった瞬間、先程まで気持ち良かった夜風が急激に温度を下げた。
ざわり、と何かが背中を駆け上がる。

「……どこなの…?蓮……?」

少しだけ、香穂子の声が震える。
目映い光に慣れた両目は、暗闇では全くと言っていいほど役に立たない。
「……ねぇ、蓮……?」
拳をぎゅっと握りしめながら、香穂子もまた暗闇に身を踊らせようとしたその時。
かさり、と近くで葉の鳴る音がして、香穂子は思わず身を縮こまらせた。

「すまない、驚かせてしまっただろうか」

耳に届く、清涼でやや硬質な声。
反射的に固く閉じてしまった瞼を慌てて開けば、そこには申し訳なさそうな顔をした蓮が立っていた。
その手には、一輪の薔薇の花。

「見事に咲いていたから……。」

そう言って、蓮は暗闇の中のある一点を見つめる。
その方向に目を凝らせば、ようやく暗順応した香穂子の瞳が、職人の手によって美しく手入れされた薔薇園を写し出した。

「……良い香り」
目の前に差し出された一輪の薔薇からは、なんとも香しい香りが届いて。
香穂子がうっとりと瞳を閉じるのを、優しい瞳で蓮は見ている。
「少しだけ、そのままで」
そう言って背を屈め顔を近付かせた蓮に香穂子の心拍数が急激に上昇していく。体の熱が一気に上がるようだった。
「……れ、れ、蓮?」
戸惑いを含んだ頼りない声にも、蓮は気にする素振りはなく。こんなところが鈍いのだ、と香穂子はいつも悔しくなる。
きっとドキドキしているのは自分だけなのだから。
そう香穂子が頬を染めている間にも、蓮の指が香穂子の髪を器用に耳にかけ、先程の薔薇の花を飾った。
蓮は近づいた時と同じ唐突さで香穂子から一歩離れると、満足げに目を細める。
「良く、似合っている」

何でもないことのように言う蓮に、香穂子は真っ赤になってしまった顔を上げることが出来ない。
もしかして、蓮の方こそ酔っているのではないかとも考えたけれど、思い返してみれば、蓮はときどき、本当にときどき何気なく、今のような爆弾発言をさらっと落とすことがある。
またそれが、本人に自覚がないぶん酷くたちが悪いのだけれど。

下を向いてしまった香穂子を心配したらしく、蓮が「どうかしたか?」と声をかける。
赤い顔を隠すように少しだけ睨み付けるような視線を送れば、蓮は訝しげに眉をひそめた。
ああもう。本当に。何もわかってないんだから。
じとりとした香穂子の視線に何なんだ、と憮然とした蓮の顔を見て。
何だか悔しくて、『ありがとう』とは言えなかった。
「何でもないですーっ」
そう言って、ぷんと子供じみた仕草で蓮から顔を逸らせば自らの頭から先程挿された薔薇の香りが香穂子の鼻腔をふわりと擽る。
甘い、甘い、大人の香りは、まるで今の自分の幼い態度を笑っているようで。

数秒考えて、何かに背を押されるように、香穂子はもう一度蓮に向き直った。
「……ほ、本当に似合ってる…?」
今度はしっかりと顔を上げて、正面から聞いてみる。
「俺は思ったことしか言わないが」
腕を組み、また憮然とした表情を浮かべる蓮は、その言葉と態度がどれほど甘く、優しいものであるのかをわかっていない。
その些細な一言で、どれだけ乙女心がときめき、震えるのかをわかっていない。

「ありがとう」と、香穂子が何とか絞り出した言葉は自分が思っていた以上に喜びに溢れ。
ああ、こんなにも彼に恋をしているのだと再認識させられる。
さわさわと庭先をそよいでゆく風も、もう頬の熱を冷ましてはくれなかった。







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