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永遠の泡沫

*土千ED後
ネタバレありますのでご注意ください。




 ──はらり、はらりと。
 庭先に堂々と咲き誇る桜が、未だ冷たさを孕む風に吹かれその花弁を舞い踊らせる。
 ふわりと髪が煽られる度、香る花香と雪の如く舞い散るそれは酷く情緒的で美しく。
 一人縁側に座り惚けたようにその様を眺めていた自分に気づくと、千鶴はふっと唇を緩めた。


 蝦夷に到来した少しばかり遅い春。
 まだまだ暖かいとはいえないけれど、それでも突き刺すような冷気は身を潜め、こうして縁側にのんびりと佇めるまで和らいだ。
 ──…この地の冬は、とても厳しい。
 江戸から京へ移り、その底冷えする冷たさにとても驚いたけれど、蝦夷はそれとは比べられぬほど寒い。
 身を切るような寒さというのは正しくこの事か、と無理矢理に納得させられる毎日の生活は、"鬼"である千鶴にとっても決して楽なものではなかったけれど。
 それでも何とか、新たな季節をこの目に焼き付けることが出来た。


 ふわり、花香が千鶴の鼻腔を擽る。
 まるで全ての命が、今生まれ、育ち始めたのかと錯覚してしまいそうな程、一面に広がる桜色の景色は希望に溢れているように見える。
 いや、実際そうなのだろう。
 春は恵みの季節だ。冬眠していた動物達も目を覚まし動き出すように、村にも人が戻りもう少し賑やかになるだろう。
 そうしたらまた、すぐに訪れる次の長い冬を乗り越える為の食糧や衣服を、どうにか工面しなければならない。

 そう、何もかも上手くいっている訳ではない。
 けれど千鶴は幸せだった。
 どうしようもなく、こんな些細な日常の一部でさえも、いとおしくてたまらないのだ。


 案外、自分も現金なものだと千鶴は笑う。
 半生を振り替えれば、それこそ自分は壮絶な人生を歩んでいた。
 蘭方医の父を探し京に出れば、恐ろしい者たちに殺されかけて。
 新選組に助けられたものの、そこでもまた殺されかけて。
 新選組の仲間になった矢先、実は自分が"鬼"であることを知って。


 ひとり、ひとりと戦で仲間が減っていく中でそれでも託された夢や願いを背負い戦い続ける彼を支えたいと思った。
 鬼と恐れられ、自分にも他人にも容赦なく厳しい人だったけれど、彼が誰よりも近藤さんを──"新選組"を大切に思っていたことを千鶴は知っている。
 そして、あれからもう一年。
 彼が千鶴を受け入れてくれてからは、貧しいながらも慎ましく二人、穏やかに緩やかにこの場所で暮らした。
 何もかもが終わり、そして始まったこの場所で。


 時の流れは恐ろしく、時代は目まぐるしく移り変わっているけれど、この一面に咲き誇る桜は相変わらず美しい。
『薄桜鬼』と名を与えられた彼の如く、儚く、美しく、誇り高く純粋で、そして誰しもを魅了する花。
 ひらひらと舞い散る花弁が淡い寂寥を胸に運んで、千鶴はポロリと涙を溢した。
 ああ、また怒られてしまうと涙を拭おうとした時、ざあと一抹の風が千鶴の前を吹き抜ける。
まるで「泣かないで」と言っているようで、その優しさが胸に迫った。





「おい、」

 と。
 後方から苦笑したような声が降ってくると共に、ふわりと優しく抱き締められる。
 千鶴からその顔は見えないけれど、きっと、どこか困ったような、そんなとても優しい顔をしているのだと思う。


「何泣いてんだよ、お前は」
「……泣いてません」

 何となく認めたくなくてそう言うと、「…ふーん」と意地悪な笑みを浮かべた土方が、未だ微かに涙の残る千鶴の瞳を己の着物の裾で拭う。
 一見、乱暴に見えたその仕草も絶妙な力加減が加えられており、その証拠に、ごしごしと擦られたにも関わらず千鶴は全く痛みを感じない。

 彼のこんなところが素敵だな、と千鶴は思う。


「ったく、俺の仕事を増やすなよ」

 おどけたようにそう言って、土方は穏やかに笑った。
 会ったばかりの頃の彼からは想像できない優しい笑みに──もう何度も見ているはずなのに──千鶴は未だに慣れることが出来ず胸をときめかせる。
 元より顔が良いぶん、その笑顔ときたら凄まじいものがあることを本人は解っているのだろうか。


「しかし、お前いつから此処にいやがる?」

 頬を染めている千鶴に気づいているのかいないのか、土方は柔らかな体をしっかりと抱き締めたまま千鶴に問いかける。

「いつから…と言いますと?」
「………体が大分冷えちまってるじゃねぇか。風邪ひいたらどうするんだよ」

「桜が、あまりに綺麗だったので、つい…」

 ごめんなさい、と素直に謝る千鶴に「仕方ねぇやつだな、お前は」と土方が呆れたように言う。
 その声音が幾分か柔らかな物だったので千鶴はほっと胸を撫で下ろした。



 ざあ、と風が通り抜けては二人の髪を揺らし、桜の花弁を舞い上がらせる。
 千鶴は一言も言葉を発さずにその光景を見ていた。
 土方もまた何も言わずこの景色に魅入っていたようだったけれど、ややあって消え入りそうな声で「…綺麗だな」と呟いた。
 何故だか千鶴には、その声がまるで泣いているように聞こえて、くるりと顔だけ後方を振り返る。
 今にもくっつきそうなほど近くにあったその顔は、当たり前だけど泣いてなんかいなくて。

 突然振り返った千鶴に驚いたのか、一瞬見開かれた土方の瞳が次の瞬間、柔らかく細められる。
 あ、と思った瞬間、千鶴の唇は土方に奪われていた。
 瞳を閉じれば、さわさわと揺れる木々の音しか聞こえない。
 縋り付くように土方の胸に体を寄せれば、力強く抱き締めるその腕が、確かに彼は此処に居るのだと千鶴に教えてくれる。



「…土方さん」
「ん?」

 土方の腕の中、千鶴は丸まるように身を寄せる。

「私、とても幸せです。本当に、これ以上なんてないくらい……幸せ、なんです」

 それは千鶴の本心だ。
 この淡い泡沫のような安らぎの日々は、千鶴にこれ以上ないほどの幸福を与えてくれる。


「…土方さんは…、」

「………土方さんは、幸せ、ですか…?」

 だからこそ、確かめたかったのだけれど。


「馬鹿野郎、んなもん決まってんだろーが」

そう言って、土方は涙が出そうになるほど優しい顔で、声で、笑う。

「言っただろう?……お前と共に生きる、と」

「……はい」


 ──…私は、こうやって貴方の命を繋ぎ止める言葉を投げ掛けることしか出来ない。
 生きて、生きて、と縋り付くことしか出来ないけれど。
 それでも。それでも貴方が"幸せだ"と言ってくれるのなら、何度でも言おう。
 何度だって微笑もう。何度でも涙しよう。


「大好きです、土方さん」
「………んなもん、知ってるよ」



 ふわりふわりと、桜が踊る。
 いつか花が全て散ろうとも、またいつか、いつか花開くように。
 想いも、絆も何もかも、いつかの未来へと繋がっていくものだから。


 ──…明日にでも消えてしまうかもしれない貴方へ、精一杯の愛を送ります。
 だから、どうか。


 一分一秒、少しでも永く、私の側にいてください。
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