続きです。







その日、フレンはユーリを捜して下町中を走り回り、確実に普段よりも身体は疲労していた。
それなのに、ベッドに潜り込んでもなかなか眠気がやって来ない。
理由なら分かっていた。
ユーリと出逢って、気分が高揚していたからだ。

フレンには、同い年で同性の友人というものがいなかった。歳が近い友人はいたし、普段そのような事を気にしたこともない。だが、ハンクスからユーリの話を聞いた時には何故か強い興味を覚えた。
大人になってしまえば一つ二つぐらいの年齢差など、友人付き合いをする上ではさほど気にせずに済むようになる場合が殆どであるし、立場によっては年齢など意味を成さない事もある。
バザールで仕事をしていて、そのような関係の者達を見る事は多かった。

だが、少年期において年齢差というものはある意味絶対的なヒエラルキーを形成していて、一つでも上の者は年長者として自分に接し、また自分も年下の者にはそのように振る舞う事が必要とされる部分があった。

それは決して悪い意味ではなく、下町の苦しい生活の中で互いが助け合って生きていく為のごく自然な人間関係ではあったが、どこか「対等」ではないような感じは否めなかったのだ。
何の遠慮をする事もなく、肩を組んで共に笑い合えるような、そんな友人が欲しいと思っていた。
ユーリがそのような友人になり得るかどうかというのは本来ならば全く別の話ではあるのだが、フレンはその点に関しては何ら不安を感じていなかった。

それはまだ話で聞いただけの、ユーリと会ってもいないうちから薄らと抱いていたものだったが、実際にユーリと話をして確信に変わった。

ぶっきらぼうな口調ではあるが、それをフレンは好ましいと感じた。自分ばかりが舞い上がっていたような気もするが、それはハンクスが言っていたように、ユーリが少々人見知りだからなのだろうと思えば何の不思議もなかったし、むしろそれにしては会話が出来たほうではないか。
何よりユーリは笑うととても可愛らしく、少し長めの髪のせいもあるかもしれないが事前に聞いていなければ、自分と同じ男の子だとは信じられなかった。

ユーリと友達になって仲良くなったら、もっとあの笑顔が見られる。
どうやって仲良くなろう、どこに連れて行ってあげようと考えれば考えるほど、当然の如く意識は覚醒するばかりで、結局フレンは殆ど一睡も出来ないまま朝を迎えたのだった。







「……いない?」

ハンクスからユーリの家の場所を聞いて来たものの、出迎えた彼の母親から告げられた言葉にフレンはきょとんとして首を傾げた。
と同時にまさかまた行方不明になっているのかと不安になるが、今日は大人達が誰も騒いでいないし、何より目の前の母親の様子も穏やかだ。
断りなく何処かへ行った訳ではない、ということにすぐ思い到ったが、ならば一体何処へ。

「ごめんなさいね、あの子が何処へ行ったのかは分からないの」

困ったように笑う母親は、ユーリの行き先が分からないというのに昨日のように取り乱した様子がない。
不思議に思っていると、それを察したのか続けてフレンに話してくれた。

今朝早く、朝食を食べてすぐにユーリは『遊び』に行ってしまったのだという。
普段から活発で、ひとところにじっとしていない性質らしかった。それでも出掛ける前には必ず母親にきちんと言っていたのに、昨日は黙って姿を消したからとても心配したのだ、と。

「昨日は本当にありがとう」

改めて礼を言われ、フレンは恥ずかしくて俯いてしまった。どこか儚げな笑顔と美しい黒髪がユーリの姿と重なる。
よく似てるな、と思った。

「あの子と仲良くしてあげてね?」

顔を上げたフレンが勢い良く頷くと、母親はとても嬉しそうに笑ってフレンの頭を撫でた。






ユーリの家を後にしたフレンだったが、そのまま自宅に帰る気にはなれなかった。やはりユーリの事が気になる。
越してきたばかりでまだ友達もいないのに、一人で一体何処へ遊びに行ったのか。人見知りだというなら尚更だ。そもそも、この下町のことだって詳しくない筈なのに。

フレンは今日、元々ユーリに下町を案内するつもりだった。特にそんな話をしたわけではないが、友達としてそうするのが当たり前だと思っていたし、ユーリと会うのが楽しみで眠れない程だった。
しかしユーリは別段フレンを待ってくれているでもなく、とっくに一人でどこかへ行ってしまっていた。


(約束してた訳じゃないけど、こんなに会いたいと思ってたのって、僕だけ…?)


友達になったはずなのにな、と思うと少し寂しくて、やはりユーリに会いたいと思ってしまう。
ユーリの行き先は分からなかったが、フレンの足は自然とある場所へ向いていた。







「ユーリ、こんなところで何してるの?」

思っていた通りの場所でユーリを見つけたフレンは、その隣に腰を下ろしながら尋ねていた。

昨日ユーリと出逢ったこの場所で、ユーリはぼうっと結界の外に広がる景色を眺めている。
フレンに気が付くと少し驚いたように目をぱちくりとさせたが、すぐに視線を戻してまた眼下を見つめた。

下町でも外れのほうにあるこの辺りは、崩れた家の瓦礫だらけだ。長年放置されて雑草も生え放題だが、そんな中で唯一、今ユーリとフレンが寄り掛かっている楡の木だけが青々と繁り、力強い姿を見せている。

遮るもののないこの場所からは、帝都をぐるりと取り囲む平原の様子がよく見えた。

フレンはこの場所が嫌いではなかった。
昔はよく木登りをして遊んだりしたが、最近はそんな暇などないために、こうして続けて来るのはとても久しぶりの事だった。


「ユーリ、ここが気に入った?」

「…どうして」

「昨日もここにいたし…それに、遊びに行った、って聞いたのにこんなところにいるから」

楡の木以外、何もない。
あまり人も寄り付かないこの場所は、一人で遊ぶには不向きだと思われた。
ユーリはフレンの質問には答えず、辺りを見渡して独り言のように呟いた。

「何で…こんなに荒れてるんだ」

「え?」

「どうしてこんな、崩れたままで放ったらかしてあるんだ、と思ってさ」

フレンも辺りを見る。
その景色は、自分がもっと小さかった頃から変わらない。フレンは以前、ハンクスから聞いた話をユーリに教えることにした。

「昔はたくさん家があったらしいよ。でも大きな火事があって、みんな燃えちゃったんだって。…この木だけ、燃えなかったんだね」

「ふうん…。それっていつの話?」

「僕達が生まれる前、って聞いたけど…」

「そんな昔からこのまま…?住んでた人は?」

「知り合いとか、親戚のいる人はそっちに行ったりしたみたいだけど、僕も詳しくは知らないんだ」

生まれる前の話だ。知らなくて当然だが、ユーリはなおも質問を重ねて来た。

「で、なんで新しく建て直したりしないんだ?」

「…よく分からないけど、そんな余裕はなかったんじゃないかな」

「下町の暮らしって、そんなにヤバいのか?」

ユーリの言葉にフレンは違和感を覚えた。
今までの口ぶりだと、どうやらユーリは下町の状況というものをまるで知らないように思える。そういえば、ユーリがどこから越して来たのか、といった事もまだ何も知らなかった。
一瞬、ユーリはどこか裕福な―――もしかしたら貴族の子供なのではないか。そんな事を考えた。そう言われても何の不思議もない程ユーリの容姿は整っていて、品があるといえばそのような気もする。

だが、ユーリの母親は昔、下町に住んでいたとハンクスは言っていなかったか。だとすれば貴族ではない筈だし、今ユーリが身につけている衣服も自分のものとそう変わらない。

ユーリは、どこに住んでたの?

フレンがそう聞こうとするより早くユーリがフレンの顔を覗き込んで不安そうに眉を寄せたので、慌てて顔を上げて笑顔を作る。

「な、何?」

「いや…変なこと聞いたかな、って」

「そ…んな事、ないよ」

「………」

ユーリが黙ってしまったので、フレンはとりあえず自分の疑問は置いておき、先にユーリの質問に答えることにした。

「下町の生活は、いつでも大変だよ。昔の事はよく分からないけど、その頃も新しく家を建てたりできなかったんだろうね」

「その頃、も?」

「少し前に大きな戦争があったの、知ってるよね?戦争中からだんだん税金が上がって来たんだけど、最近また上がったんだ」

フレンの話を、ユーリは黙って聞いている。

「皇帝陛下も亡くなってしまって、これからますます大変になるんだろうな…」

「……皇帝……」

「うん。跡継ぎがいないからとかなんとか、大人の人達が言ってた」

「跡継ぎがいないと下町が大変なのか?」

ユーリの質問に、フレンは困惑した。直接どう、というのはフレンにも分からない。政治の話には詳しくなかった。

「ごめん、僕にもよく分からない。でも今バザールが閉まってて仕事がないから、そういう意味では大変かも」

「仕事?おまえの親父さんとかの?」

「ううん、僕の仕事」

フレンが、自分の両親が亡くなっていてハンクスに世話になった事や、自分がバザールで仕事をしたりしながら一人で暮らしているとユーリに話すと、ユーリはとても驚いた。
と同時にしきりに感心されて、フレンは照れ臭くて堪らなかった。

「すげーな、おまえ一人で生活してんのか…」

「う、うん。でもみんなすごく良くしてくれるし、すごくなんかないよ」

「いや、すごいって。…オレ、そういうの全然分かってなかった」

先程の疑問が、フレンの頭に蘇る。今度こそフレンはユーリに聞いてみる事にした。


「ねえ、ユーリ。ユーリはどこに住んでたの?」

「え…」

「下町…じゃ、ないよね。帝都?それとも、どこか他の街から来たの?」

「……帝都」

「帝都のどこ?」

「…っ!どこだっていいだろ!!何でそんなこと聞くんだよ!?」

「え、何でって…ただ、君のことが知りたかっただけで…」

突如厳しい表情で声を上げたユーリに、フレンは戸惑いを隠せなかった。
だがすぐに自分の質問が無遠慮だったと思い、俯いてしまったユーリに謝っていた。


「あの…ごめん、ユーリ」

「………」

「何か事情があるなら…」

「…母さんに、迷惑かかるから」

「え?」

「だから言えない」

「…そう、なんだ。じゃあ、僕ももう聞かないよ」

「いいのか?こんな怪しいやつ、嫌じゃねーのか」

「ユーリは怪しいやつなんかじゃないよ」

そう言ってフレンが笑って見せると、ユーリもそっか、と言って安心したように笑顔を見せる。
疑問は解消されていないが、これ以上聞くのは躊躇われた。何よりユーリがとても辛そうな様子だったので、フレンはとりあえずこれに関しては自らの胸に封印しよう、と心に誓った。
誰にでも、言いたくない事の一つや二つ、ある。
いつかユーリが話してくれる日が来ればそれでいいと、この時のフレンはそう思ったのだった。




「そういえばフレン、仕事してるって言ったよな。今日はいいのか?」

「うん。陛下が亡くなって、喪に服してるお店が多いんだ。今ちょっと、仕事なくって」

「ああ…閉まってるって、それで」

「だから僕、今日はユーリに下町を案内してあげようと思ってたんだ。でも家に行ったら、いないって言われて」

「また捜してくれたのか?つか、よくここだって分かったな」

「うーん…何となく、ここに来れば会える気がして」

「…そっか」

ユーリが立ち上がり、木を見上げる。



「なあ、フレン。オレ…この場所、好きだぜ」


唐突に言われて少しだけ驚いたものの、フレンも立ち上がるとユーリの横顔を見ながら言った。


「僕も。ユーリに逢えたから、ますます好きになった」



フレンを見てユーリは顔を赤くしたが、それが何故なのかフレンには分からなかった。



ーーーーー
続く