続きです。







丘を渡る風に吹かれながら、ユーリは『外』の景色に目を細めている。フレンはそんなユーリの横顔を見つめ、風に揺れる髪を眺めていた。


「…で、何処に案内してくれんの?」


顔を上げたユーリがフレンに尋ねた。
フレンはユーリをずっと見ていたのだが、いきなり話を振られて少々面食らってしまい、思わず『え、何が』と聞き返した。するとユーリがむっとしたように頬を膨らませて一歩フレンに歩み寄り、腕を組んでフレンを睨みつけた。
…だが、その頬は赤い。


「オレに下町を案内してくれるんだろ?そのために捜してた、って言ったじゃねえか」

「え?」

「違うのかよ!?」

「あ、ううん。もちろん、喜んで案内するよ!…ユーリ、なんで怒ってるの?何だか顔も赤いけど…」

「別に怒ってねえよ!」

でも、と不安げに眉を下げるフレンからユーリは視線を外し、そしてぼそぼそと呟くように言う。

「…あんまり、じっと見んなよな」

「…ん?どういうこと?」

「だからぁ、おまえ何かってーと真っ正面から人の顔ジロジロ見るけどさ、それをやめろ、って言ってんの」

不思議に思ってユーリを見ると、『ほら、それ』と言ってまたしてもユーリはそっぽを向いてしまった。

怒っているわけではなさそうだ。だがやはり少し顔が赤い。照れているのかな、とは思ったが、それが何に対してなのかがよくわからなかった。

「僕、人と話す時にはちゃんと目を見て話しなさい、って教わったんだ。だからそうしてるんだけど…ユーリ、何か気に入らない…?」

「…オレは、あんまりそういうのに慣れてない」

「どうして?」

「…………」

答えたくないのか、今度は本当に不機嫌な様子だ。
どうも、ユーリにはよくわからない部分がある。
しかしそれを知るにはまだ、お互い知り合ってから日も浅い。第一、フレンも自分の事を全てユーリに語り聞かせた訳でもない。

人見知りだと言っていたから、そういう事なのだろうか。

そう思っても、やはりフレンは誰かと話す際に相手の顔を見ずに、というのに抵抗がある。それでは互いの表情もわからないし、相手を無視して一方的に会話を進めてしまう事もあるかもしれない。

それに何より、フレンはユーリともっと仲良くなりたいと思っている。そんな相手だからますます見てしまうのかもしれないが、自分の視線が不快だと言うならそれも考えなくてはならない。ユーリにそのような思いをさせたい訳ではないのだ。

だから、思い切って聞いてみる事にした。


「…ユーリ、僕に見られるの、嫌?見られてると話しづらい?」

こちらを向いたユーリが困惑しているのが伝わって来る。
今の自分はやはりユーリを真正面から見ているのだが、今度はユーリも視線を外さなかった。

「…嫌って訳じゃ、ない。さっきも言ったろ?慣れてねえんだよ」

「だったらこれから慣れていけばいいと思うよ。そのほうが、絶対いい」

「そうか?何で?」

首を傾げる姿にフレンは思わず笑みを零す。

「だって、お互いの顔がよくわかったほうが話してて楽しいじゃないか」

「う…ん?」

「僕、ユーリの笑ってる顔、好きだよ」

「はあ。…ありがと」

「だから、ちゃんとユーリの顔を見て話したいな。ユーリは笑うととっても可愛いから」


自然に出た言葉だった。

しかし、ユーリはみるみる表情を曇らせ、フレンにまた一歩詰め寄ると今度は明らかに怒りを滲ませた声で、それこそ真正面からフレンの目を見据えて言った。

「今、何つった」

「え?」

更に近付いたユーリが腰に手を当てて身を屈め、見上げるようにしてフレンを窺う。視線は鋭く、フレンは何が何だか分からず逆に一歩引いてしまう。今度は確実に怒っているようだが、一体何が彼の逆鱗に触れたのか。

「今、何て言ったのか、って聞いてんだよ」

「え…えっと、僕はちゃんと、ユーリの目を見て話したいな、って」

「その後だよ!」

「…ユーリは、笑うと…」


そこまで言って、漸くフレンもユーリの怒りの理由を理解した。

出逢いの時も、一瞬ユーリを女の子だと思った。
性別は既に聞いていたが信じられなくて、本人に聞いてみようとして…さすがにやめた。もし自分が女の子に間違われたら嫌だな、と思ったからだ。

話をしてみれば確かにユーリは男の子だったが、その笑顔は素直に可愛いと思う。
だがやはり『可愛い』という形容詞はどちらかと言えば女の子に対して使われることが多い筈で、これまた自分が言われたら、と考えたら複雑だった。

なので、ユーリの気持ちは理解出来た、のだが。


「ユーリ、もしかして…僕が『可愛い』って言ったから、怒ってる?」

「当たり前だろ!そんな事言われたって嬉しくねえよ!」

「でも…本当に可愛いと思うよ」

「はあ!?まだ言うのかよ!!」

「だって…」

怒っているのが分かっても、では他にどう言えばいいのか分からない。フレンも大人から可愛いと言われる事はあったが、ここまで怒るものではない。

すると、オロオロとするフレンにくるりと背を向け、ユーリは下町のほうに向かって一人で勝手に歩き出してしまった。
慌ててフレンがその後を追う。

「ま、待ってよ!ごめん、そんなに嫌ならもう言わないから!!」

「うるさい!言わなくたって思ってんだろ!」

「そんなの仕方ないよ!だってほんとに可愛いと」

「また言った!!」

「ご、ごめ…あ、ユーリ待って!!」


何やら言い争うようにしながら下町に戻って来た二人を、大人達は暖かい眼差しで見守っていた。
戦争と重税で疲弊した生活の中で、子供達の元気な姿というのは町に明るさをもたらす数少ない要因だ。

それが、普段から年齢の割に大人に対して遠慮をする事を覚えてしまったフレンであれば尚更だった。フレンの『子供らしい』振る舞いを久し振りに見た大人は頬を緩ませ、何やら必死な様子で言い訳らしきものをしているフレンの隣で唇を尖らせる仏頂面のユーリにも柔らかな視線を向けた。
雰囲気の全く違う二人だったが、良い友人になるだろう、と誰もが感じていた。


結局ユーリの機嫌は直らないまま、臍を曲げた彼が家に帰ると言い出したので、フレンは仕方なしにユーリを彼の家まで送ったのだった。
入り口の扉の前で『明日は必ず一緒に下町を案内する』という約束だけはなんとか取り付け、また迎えに来るというフレンにユーリは一瞬眉を寄せたかと思うと、じっとフレンの瞳を見た。

明るいところで見るユーリの瞳は薄紫の中で様々な光が反射して、何か、見たこともない宝石のようだと思った。同時に真っ直ぐな視線に何故か耐え難くなり、気が付けばフレンはユーリから視線を外していた。


「…何で目ぇ逸らすの」

「え…その」

「おまえが言ったんだろ、目を見て話せ、って」

「そう、だけど。ユーリ、何か話したい事があるの?」

「…まあいいや。明日なんだけどさ、案内は適当でいいぞ」

「な、何で?」

「今日、だいたい見て回ったし」


川に近付くなとか色々言われたけどなー、と言ってつまらなそうにするユーリに、フレンは今朝この家へユーリを迎えに来た時以上の切なさを感じていた。

「…僕、君を連れて行ってあげたい場所、たくさんあったんだけど…」

「ほんとは黙っとこうと思ったんだけどな、おまえ、何かやけに楽しそうだったし。でももう帰って来ちまったし、めんどくさくて」

「…めんど…。そ、そう…」

がっくりと肩を落とすフレンを見て、ユーリはにやにやと笑っている。どうやら機嫌は直ったらしかったが、今度はフレンが沈む番だった。
そんなフレンを暫く楽しげにユーリは見ていたが、フレンが『そろそろ帰る』と言うとそれを引き止めた。

「何?」

「案内は適当でいいよ、おまえがどうしても見せたい場所とかあるなら別だけど」

ユーリの言葉に、フレンは少し考えた。
どうしても見せたい場所、と言われると、強いて言うなら今日も行った木のある場所か、丘からの眺めぐらいしか思い付かない。

フレンが首を捻っていると、再びユーリから視線を感じた。見ると、先程までの揶揄うような笑みはもうない。どこか真摯な眼差しに、フレンも今度はきっちりとユーリの目を見て答えた。

「お店の場所とか近道とか、教えてあげたい場所ならたくさんあるけど…どうしても、っていうのとは違うかも」

「だったらそっち後回しでいいから、行きたい場所がある」

「どこ?」

「おまえの家」

「……え!?」

「一人で暮らしてんだろ?おまえの家、見てみたい」

ダメか?と聞くユーリに、フレンは首を振った。

「僕は構わないけど、でも何もないよ?それでもいい?」

「ああ」

「じゃあ、明日はこのあたりを少し回ったら僕の家に案内するよ」

「それなんだけど、おまえの家ってどの辺にあるんだ?」

「あの空き地より、少し下町寄りだけど…ユーリ、どうして?僕、ちゃんと迎えに来るから大丈夫だよ」

しかしユーリは、家にわざわざ迎えに来なくていい、と言う。
不思議に思って聞くと、渋々といった調子で理由を説明し始めた。

ユーリの母親は、フレンを随分と気に入ったらしい。それは今朝の様子から、フレンにも伝わった。仲良くしてやってくれと言われて嬉しかったし、勿論そのつもりだった。昨日、ユーリも同じ事を言われたらしい。
フレンと仲良くしろというのは構わないが、礼がしたいから家に連れて来い、というのがどうもユーリは嫌なようだった。

「どうせおまえ、今朝もうちに来たんだろ?今日も絶対言われる、おまえを家に連れて来い、って」

「…ユーリがそんなに嫌なら、僕は無理にお邪魔するつもりもないけど…」

泣きそうな顔で俯いたフレンに、ユーリが慌てて手を振る。

「違うって!別に、おまえがうちに来るのが嫌なわけじゃねーんだよ」

「そうなの…?」

一つ溜め息をついて、ユーリが続けた。

「その…オレの母さん、ちょっとオレに甘いっていうか…べったり、なんだよな」

ユーリには、フレンと同じく今まで年の近い友人がいなかった。周りは大人ばかりで、どちらかと言えば彼らの顔色を窺うような暮らしをしていたのだと言う。詳しい事は話せないが、自分は母親の言うような、いわゆる『人見知り』ではなく、単に相手の出方を見ているだけなのだ、と。

だが母親はそれには気付かず、ユーリの人見知りのせいでこの下町で友人が出来るかどうか、とても気にしていたらしい。
失踪騒ぎを経て早々に友人になったフレンを好意的に見るのはいいが、会わせるとどうも余計な話までされそうで、それが嫌だから迎えには来なくていい、と、そういう事らしい。


「余計な事って?」

「…よくあるだろ、親しみを持たそうとして昔話したりとかさ」

「例えば?」

「もっとちっちゃかった頃の話とか、ドジ踏んだ時の話とか…そういう話されんの苦手なんだよ、オレ」

「…そういうもの?…よく、わかんないや。でもユーリが嫌なら、僕はそれでいいよ。どうする?どこか他のところで待ち合わせする?」

「教えてくれたら一人で行くって」

「ダメだよ、迷ったらどうするんだ?……そうだ、だったらこうしない?」

あの木の下で待ち合わせをしよう。
それなら自分の姿をユーリの母親に見つかる事もないだろうし、フレンの家からそこまで遠いわけでもない。少し行きすぎてはしまうがどうだろう、と言うフレンの提案に、ユーリも笑顔で頷いた。




家へと戻るユーリを少し離れた場所から見送り、フレンは帰途で今日の出来事を思い返していた。
人見知りというのとは違う理由は何となく分かった。むしろ、ユーリの機嫌や表情はころころとよく変わる。
それこそ、猫の瞳のようだ。

だが、ユーリがこれまでどのような生活をしてきたのか、想像できない。

帝都に住んでいて、下町の情勢には明るくない。周りを大人に囲まれて育ったらしいという話からは、やはり裕福な環境だったのでは、という事しか思い付かなかった。

貴族というものに、あまり良い感情は持っていない。

詮索するのはよくないと思いながらも、それらはフレンの心にいつまでも引っ掛かったままだった。




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続く