去年の12月に旅立った哲ちゃん。ふと気づくと、これが新盆。温かく迎い入れねば。
キャンドルを玄関で焚いて〔迎え火〕。いつものこのブランドでなければならない〔またたび〕。食べさせてみたかったササミのおやつ、高級缶詰めをお供え。
中身を皿に盛ってやろうか迷うと「哲ちゃんは神様になったのだから」と家族の声。
正直、帰ってきてくれるのか、私が焚いた迎え火を目印に無事辿り着けるのか不安だった。
帰ってきてくれた。
部屋に戻る。哲が臨終後も使っていた猫用枕を顔に近づけて寝ると、確かにいた。哲がとってもいい顔をして。久しぶりに2人でニコニコしながら寝た。
父も「玄関から足音はっきり立てて帰ってきたよ!」と嬉しそうにニコニコ。父は動物を看取るのが65にして初めてで、一時気がふれてしまっていた。それで私にも八つ当たりしていたのだ。
いつも哲は家にいて「にゃん!」と鳴いたり、足音を立てたり。でも今回はずっといた。きっと神様公認で、ホントのお母さんにも遠慮することなく久々の〔我々〕を満喫したのだろう。たくさんのおやつと共に。
猫のお盆について調べると、たくさんの方が供養している。何年経っても、新しい猫さんを迎えても、迎えなくても。
猫の盆と安楽死について語っている方を見つけて、今まで誰にも言えない感情を吐露してしまった。有り難くコメントを返して下さり、確かに冷静に客観的に哲ちゃんの最後二年間を振り返った。
確かに哲ちゃんが幸せでなければ、こんなに帰ってこないよな。
おそらく当分は猫を飼わないと思う。まだ哲は時々家に帰ってきてるし、臨終や終末期について私の考えがまとまっていない。命に責任が持てない。
(自宅前に段ボールで雨に打たれていたら話は別か。。)
それだけ哲ちゃんは大きなものを残してくれたということ。
哲ちゃんは最後までがんばって一緒にいることを選んでくれたということ。
ありがとう。また来年逢おうね。送り火を焚いた。
2013-8-19 21:37